第7話 エピローグ

 エピローグ


 今日は日曜日の昼下がり。教室には当然生徒の姿はなく職員室にも人はぜんぜんいない。ここにいるのは俺と、目の前で座るヨハネ先生との二人だけだった。

 ヨハネ先生の席は窓際で日差しをもろに受ける。太陽の光と同じくらいにヨハネ先生の微笑が映えるが、俺は少し緊張しながら隣の席に座っていた。いや、自分が座っている席が教師だと思うと気が気がじゃないっていうかさ。それに職員室という場所も落ち着かない。

 まあ、固まってても仕方がない。なんか話でもするか。

「そういえば、あの事件が起こってからだいたい一週間くらいだよな。先生はお変わりなく?」

「ええ、それはもう」

 それで会話を始めたわけだが、話題として挙がるのは当然あの事件のことだった。ここに俺がいるのも、間接的には事件があったからだ。

 ヨハネ先生が狂信化した事件から一週間ほどが経った。それからは平穏な学校生活が続いているが、忘れるには重すぎる過去だ。

「いやー、情けない話、今回の件については宮司さんたちにはひどい思いをさせてしまいましたね。まさか私自身が狂信化とは。そこまで思い詰めていたつもりはなかったのですが、やれやれ、なってみないと分からないものだ」

 事件が起こる前のヨハネ先生の様子はどこか悪かったが、今思えば狂信化の予兆(よちょう)だったんだろうか。

 まあ、いろいろあったが無事に済んで良かった。そんなヨハネ先生に俺は意地悪っぽく言ってやる。

「昔話みたいに気楽に話しやがって。こっちは殺されかけたんだからな?」

「いえいえ、とんでもない。申し訳ない、本当にすみませんでした。反省していますし、私だって二度とごめんですよ。あのままなら私は完全に理性を失くし狂騒(きょうそう)していたでしょう。そうなれば私の人生はお終いでした。まったく恐ろしい……。宮司さんには、助けられた、ということになりますね」

「やったのはミルフィアだがな」

 ニッコリ笑うヨハネ先生に俺は窓に視線を移す。ここにはいないミルフィアを思い浮かべ、彼女の行いに感謝した。

 狂信化は信仰心が理性を破るほど増大した時に起こる現象だ。ならば信仰心が低下すれば狂信化も収まる。ミルフィアの布教(ふきょう)によりヨハネ先生の信仰心は下がり、結果狂信化から回復した。

「幸いヨハネ先生が狂信化したのを知っているのは俺たちだけだからな。黙ってりゃ済む話だし」

 ひどい目には遭ったが責める気にはなれない。ヨハネ先生の狂信化の原因が俺のためだった、という気持ちもある。他の三人もそれは汲んでくれていて、誰一人反対する者はいなかった。まったく、本当にいい奴らだよ。

「いやいや、ありがとうございます宮司さん。いえ、宮司さま~」

「止めろぉ! 離れろ気持ちわりい!」

 いきなりヨハネが俺の手を取り頬ずりしてきたのだ。しかし気色悪いだけなので強引に押し返す。頬ずりしてきた片手をズボンでゴシゴシと拭きつつ、確認するように睨む。

「その代わりだ、俺たちは黙っとくが」

「ええ、条件ですね。それも滞りなく。宮司さんもすでに合否(ごうひ)は知っているのでしょう?」

 頬ずりを拒絶されたヨハネは口先を尖らせてくるが、俺からの問いに表情を戻す。それは笑顔で、条件という言葉にも嬉しそうだった。本来なら引き換えの条件なんて嫌なことだろうに。

 だが、自分で押し付けておいてこの条件、ヨハネ先生が笑うのも分かる。

「ミルフィアさんの編入手続のこと」

 ミルフィアを学園の生徒にすること。それが俺の出した条件だった。

「ミルフィアさんを正式に生徒にしてくれ、ですか。優しいですねえ、人のため、ですか?」

「うっせえよ」

 ヨハネ先生の眩しい笑顔から顔を逸らす。なんというか恥ずかしい。

「宮司さんは素直ではないですね~。ですがまあ、受かって良かったですよ。受かるとは思っていましてが、ミルフィアさんはあなたよりも不明な点が多いですからね。もしやと過りましたが、ふふふっ」

 ヨハネ先生はミルフィアの入学について話すが、そこで面白いことでも思い出したのか、抑えきれないように笑い声が零れ出す。

「宮司さん、あなたも見たでしょう。ミルフィアさんを担当した面接官の反応を。私、内心では笑いを堪えるのが大変でしたよ」

「そりゃそうだ」

 ヨハネ先生はずいぶんと楽しそうだが、俺は天井を見上げ振り返る。なんていうか、あれは面白いというよりも面接官には同情するぜ。

「鉄パイプをシャープペンの芯のようにへし折ったら誰だってビビるぜ」

「ミルフィアさんの神化を考慮すればまだまだ可愛いものですがね。しかし、それで神化の高さを評価され合格となりました。これでミルフィアさんも晴れて神律学園、特別進学クラスの生徒です。さらには優秀な信仰者として特別優遇が適用され、奨学金の返済は免除。こういう形に落ち着いてくれてホッとしています」

「それは、まあな」

 親の経済的な事情もあるのでこうでなければミルフィアの入学は実現出来なかっただろう。これ以上にない条件で入学出来たことに安堵(あんど)している。

「それよりもですよ宮司さん。私はむしろあなたの方が心配でした。最近は大変だったでしょう。正門には連日記者が押し寄せていましたからね」

「それを体張って防いだヨハネ先生一同もな。もしかして、俺また迷惑かけてる?」

「まさか」

 不安になって聞いてみるが、ヨハネ先生は明るく否定する。そのまま視線は俺の腕章へと注がれた。

 俺も追いかけるように見つめてみる。そこには、黄色のダイヤが誇らしげに刻まれていた。かつては黄金に輝いていたが、今では黄色に落ち着き大人しく左腕に垂れている。

「第四の神理、王金調律。騒ぎも大きくなるわけです」

「俺としては理解出来ないね。ほっとけばいいじゃねえかよ」

「まあまあ、そういうわけにもいかないでしょう。これは大ニュースですよ?」

 三つの神理が広がる天下界で新たな神理が現れた。しかも無信仰者だった宮司神愛ということで、このことは大々的に報道され世界中が注目していた。この出来事に大きな波乱が起こるんじゃないかと不安も抱いたが、しかし現実としては穏やかなものだった。


「最初はどうなることと思いましたがね。ですが、現れたところでどうしようもないのが現状で良かったですよ。学園側としても害があるわけでもないですし、このまま様子見、という方針で決まりました。各国も警戒対象としてはいるみたいですが、特にどうこうというわけではないらしいです」

「そっか。そいつは何よりだ」

 とはいえ気が重い。背もたれに体を預けギギギと軋む音が響く。ため息を零し、疲れが見える声が空気に溶ける。 

 やれやれだが、そんな俺へヨハネが改まって質問してきた。

「それで宮司さん。一つお伺いしたいのです」

「んー?」

 起き上がる気力もなく緩い声で返事をする。たいへん失礼な態度だが、ヨハネは咎(とが)めず、それよりも重要そうに話かけた。

「ミルフィアさんは、あなたがこの世界を創った神だと言っていました。このことはまだ誰にも知られていませんが、私はミルフィアさんが嘘を言っているようには思えませんでしたし、そして、あなたが神理を発現(はつげん)させたことの裏付けにもなっています。宮司さんは、このことをどう考えているのですか? ずばり、自分が神だと、そう思いますか?」

「…………」

 ヨハネからの質問にしばらく考える。先生の疑問は尤もで、重大という意味では第四の神理が霞むほどだろう。天下界の常識を打ち崩す、まさに全世界の大問題だ。

 俺はじっと考えていたが、結論が決まりがばっと体を起こした。その勢いのまま、けれど学校で話す気軽さで話した。

「ハッ、勘弁してくれよ。無信仰者の次は神様だって? おいおい、冗談だろ」

 両手を広げ鼻で笑ってやる。そこに構えも緊張もない。

「俺はそんな風には思ってない。俺は人間さ。普通でいい。普通がいいんだ。有名人でも偉い人でなくてもいい。楽しい友人がいて笑えれば、それだけでいいんだ。嫌だぜ? 何が嬉しくて神様になってお前らの世話しなくちゃならないんだよ」

「ははは」

 ヨハネ先生が笑う。神様なんかになりたくないと、ここまで言われればむしろ爽快だろう。

「それに、ミルフィアの言ってることが意味不明なのは前からさ。本気にしないでくれ」

「分かりました。宮司さんがそう言うのでしたら、私もそう受け止めましょう」

 それで話は終わり立ち上がった。俺がこの日に職員室を訪れた理由は今後の自分の処遇(しょぐう)を知るためで、それを果たした以上用はない。

「それじゃ、確認したいことは終わったしそろそろ行くわ。実は人を待たせてるんでね。じゃあな、ヨハネ先生」

 気楽に挨拶してから扉に向かう。扉を開け出て行こうとするが、そこで頼まれごとがあったのを思い出し足が止まった。

「ああ、それと三人から言伝を預かってたの忘れてたわ。会う度に謝るのは止めてくれ、接しづらい、だとよ」

 あれだけのことをしてヨハネ先生も負い目があるに違いない。謝罪したい気持ちは分かるが、好きな教師から毎度謝られるというのも心苦しい。それだけ加豪や恵瑠、天和もヨハネ先生が好きなんだろう。

 だが、良かれと思っていたヨハネ先生としては心外(しんがい)だったようだ。

「そんな! 私は皆さんに対して――」

「それともう一つあったわ。言い訳は止めてくれ、話が長くなる、だ」

「……それは誰からのですか?」

 まるでこうなることを予期していたかのような言伝(ことづて)にヨハネ先生の眉が曲がる。そんなヨハネに向かって、俺は悪戯っぽく笑ってやった。

「俺からのさ」

 そして、今度こそ職員室から出て行った。扉を閉めるが、その間際、ヨハネ先生の独り言が聞こえてきた。

「まったく、教師をなんだと思っているんですかねえ。ですが、初めて会った時よりもいい顔をしている。良かった良かった」

 ああ、まったくだ。そして、ありがとうな、ヨハネ先生。

 俺は陽気な気分で廊下を歩く。玄関で靴に履きかえ外に出る。向かう先は正門であり、足を伸ばせば、そこには四人の女子生徒が会話する姿が見えてきた。

 その内の一人。それは、皆と同じ制服姿のミルフィアだった。新品の制服に袖を通し、三人の話を丁寧に聞いている。

「それよりも聞いてよミルフィア、私は恵瑠のために頑張ったのに、恵瑠ったらすぐに逃げ出すのよ?」

「だって、無理ですよ~」

「ねえ、ミルフィアさんって動物なにが好きなの?」

「えっと、私は……」

「おいミルフィア、答えなくていいぞ」

 なにやら危ない質問が聞こえてきたのですかさず声を掛ける。俺からの呼びかけにミルフィアは驚いたように振り返った。

「主!?」

「神愛遅い!」

「神愛君、お疲れ様です」

「宮司君……、どうして邪魔するの?」

 同時に三人の声も投げかけられる。とりあえず三人は無視して、俺は緑の少女に近づいた。

「お前、ミルフィアを巻き込もうとするんじゃねえよ」

「そうね。これは誰も立ち入ることの出来ない、二人だけの秘密の関係の方がいいわね」

「秘密の関係!? 主! 秘密の関係とはなんですか!?」

「ちげえええええ!」

 紛らわしい言い方するんじゃねえよ、それと俺は違うって言っただろうが! 天和は相変わらずだがあとでしっかりと説明しておかないとな。

「ところでさ神愛、気になってたんだけど」

「ん?」

 すると加豪が俺に聞いてきた。

「事件があったあの時。どうして体育館に現れたのよ? よく分かったわよね。まあ、それで助かったんだけどさ」

 そう言いながら加豪はどこかもじもじしていた。

「あー、あれか」

 俺は思い出す。ヨハネ先生が三人を体育館で襲った時、間一髪というタイミングで俺は現れたわけだが、それには理由があったのだ。

「恵瑠と天和と別れてから泣いたせいか喉が渇いてな。体育館の近くに自販機があること思い出して行ったんだよ。そしたら中から女の悲鳴が聞こえてきたから、なんかエロいことでもしてるのかと思ってな、木を登ってみたんだよ」

「ちょっと待って! あんた落ち込んでたんじゃないの!?」

「しゃーねえだろ、気になっちまったんだから! それで見てみればお前らが大ピンチだったから飛び込んだのさ」

「サイテー、聞かなきゃ良かった」

 ヒーローよろしく登場した俺だがそういう経緯だった。加豪はなんだか落ち込んでいる。仕方がないだろ、そう不貞腐れるなよ。

「それよりも皆さん! これから、ボクたち遊びに行くんですよね!?」

 と、今度は恵瑠が大声で呼びかけてきた。実はこれから皆で遊びに行く予定になっているのだが、そのことを熱気の帯びた声で確認してきた。

「そうよ」

「うをおおお!」

 加豪の返事を聞いて何やら恵瑠があらぶっている。ビームでも出すのかこいつ?

「それではさっそく行きましょう! お洒落な喫茶店でお話してカラオケで歌って最後には皆でプリクラを撮るんですよね? 分かります!」

「待て待て待て、その女子が女子による女子のための女子会コースに、男である俺が一人っきりで参加するのか?」

「行きましょう!」

「聞けよ!」

 逸る気持ちを抑えきれず小動物は走り出してしまった。その後を慌てて加豪が追いかけ天和も自分のペースで歩き出す。すっかり出遅れてしまい、やれやれと頭を掻いた。

「仕方がない、俺たちも行くか」

「はい、主」

 隣から返事が聞こえる。振り向けば、そこにいるミルフィアと目が合った。

 制服を着たミルフィア。皆と同じ服装で、これからは学校でも消えていなくてもいい。ずっと皆と一緒にいられるようになったんだ。普通の女の子として学校にも通えるし、友達のように皆と話すことも出来る。

 そしてミルフィアの腕章には、俺とお揃いの黄色のダイヤが印されていた。

「なあ、ミルフィア」

 隣にいる少女は、とびっきりの美少女だという点を除けばどう見ても普通の女の子だ。気品のある佇まいと可憐な瞳で見上げてくるミルフィア。

 そんな彼女に、俺は、ふと聞いてみた。

「俺と、友達になってくれないか?」

 言葉は自然と出てきた。今なら聞ける気がしたんだ。

 一緒に通学して、同じクラスメイトで、ずっと傍にいる女の子。学園に通うミルフィアはもう普通の女の子と変わらない。加豪や恵瑠と天和とも、友達のようにこれから遊びに行く。

 果たして願いは叶うのか。

 けれど、ミルフィアは寂しそうに笑うんだった。

「それはなりません」

 断られた。まるでフラれたみたいだ。いや、フラれたのか。ちくしょう、それでも可愛い。

 ミルフィアは左胸に手を当てて、申し訳なさそうに笑っていた。

「私は主の奴隷。ミルフィアは、ずっとあなたにお仕えいたします」

 穏やかで、優しい声が俺の願いを否定する。

「…………ハッ」

 ミルフィアの答えに、けれど俺は笑った。それは皮肉った笑いではなく、気持ちの整理がついた笑い声だった。俺は晴れた表情で相変わらずの隣人を見つめる。

「ああ、そう言うと思ってたよ」

 ミルフィアは変わらない。初めて出会った時からずっと。きっとこれからも自分は奴隷だと言って接してくるのだろう。

 降参だ。でも、それは今はという話。すぐにでは無理でも、いつしか友達になってやる。

 俺は決意を改める。だというのに、

「我が主。私はずっとあなたの傍にいます。そこであなたを支えます、永遠に」

 誇らしそうにそう言ってきた。金髪がきらりと光り、青い瞳が真っ直ぐに俺を見つめている。

「……ったく、知ってるよ」

 やれやれ、だいぶ先になりそうだな。

 何度も聞いた台詞に投げやりに答えて、俺は三人の後を追いかけた。続いてミルフィアも歩き出す。

 まるで友達のような奴隷を引き連れて、俺はこれから友達と遊びに行く。頭上に目線を向ければ澄み切った青空がどこまでも広がっていた。

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