ハリボテ

雪洞

ハリボテ

 幻を見た。いや、見間違いなのだと思った。高校生くらいの少女が、サラリーマンと思しき男性をすり抜けた。

 休日出勤で疲れているのだろう。もう一度少女を注視する。

 人々の間を通り過ぎる。通り過ぎる。通り過ぎる。通り過ぎる。通り過ぎる。通り過ぎる。

 やはりそんなはずはなかったのだ、と自分に言い聞かせ、目線を外そうとしたその時。

 再び、彼女がすり抜けた。

 今回ばかりは、見間違うたはずはない。そう、分かっている。

 夏も終わりの午後三時、日本の真ん中の交差点。人の流れの最中で思わず立ち止まってしまった私のそばに、いつの間に近くに来ていたのだろうか。先程の少女がゆらりと現れる。


「…少し、お時間いただけますか?」


 見目より低いその声に、私は頷くことしかできなかった。


***


「すみません、こんな急に。でも、"見える人"には説明することになってるんです」


 彼女に連れられて入ったのは、どこにでもあるようなカフェだ。言われるままに席につく。丁度アフタヌーンティーの時間だ、店内はひどく混雑していた。注文したのは私だけ。彼女は何も頼む気がないようだった。

 ほどなく運ばれてきたアイスコーヒーをちびちび飲みながら、改めて少女を注視する。肩くらいの長さの髪と、どこかの制服だろうか、セーラー服を纏っている。瞳は大きく輝いているものの、なぜだろう、印象に残りづらいような雰囲気があった。


「そろそろ、本題に入っても良いですか」

「はい。……先程はすみません、あんな取り乱してしまって」

「何言ってるんですか、それがフツーですよ。

……それでなんですけど、私、フツーの人よりも存在が薄いんです」


 曰く。彼女は、普通の人には見えないらしい。まあそうなのだろうな、とは思う。大勢の人が幽霊みたいな少女を見たとなれば、それこそ一大事だ。

 それで、と彼女は続ける。


「でも、誰も彼もに触れることが出来ないわけじゃないんです。むしろ、触れない人の方が少なくて」

「その、触れない人というのは?」


 彼女はほんの少しためらうように下を向いた。どこか空虚さを帯びた瞳で、少女は言った。


「自分が死んだことに気づいていない人、です」

「……、え?」

「案外、いるんですよ。死んでいるのに自分も、他の人も、社会からも、生きていると思われている人が。きっと、認めたくないって、そう思う人ばかりに囲まれているんでしょうね。

……でも、人の感情や思いには限度がある。そんなもの、いつか脆く崩れてしまうって分かってるはずなのに」


 それでも気づくことができないのが、人間ってのなんでしょうね。彼女は薄く笑った。


「……でも。なんで、そんなことが起こり得るんですか。科学的に、そんなのあり得ない」

「そういう問題じゃないんですよ。結局、人間なんてどこまでも主観的なんです。自分の視点から出ることはできないし、自分の死すら感知しなければ無いものになる。世界ってのは案外、曖昧でとりとめのないものなんじゃないですか?

……あ、こんなに長い間引き留めてしまってすみません。私のこと、黙っておいて下さいね」


 そう言って、ふっと少女は立ち上がった。


「さよなら。今日はありがとうございました」


 また会うことは、きっと無いでしょうね。

 席を立ち、ドアへと歩いていく彼女の指先が、私の肩をすり抜けた気がした。

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ハリボテ 雪洞 @b_b_bonbori

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