わたしのロビ

こいけけいこ

わたしのロビ

 「マリーさん、起きてください。7時ですよ」

 「えー、まだ眠いよ。」とわたしはまた寝に入る。


 5分後

 

 「マリーさん、起きてください。7時ですよ」と同じ声。

 「うーん、もう」とわたしはぼやきながらディスプレイに手を伸ばす。わたしのクセをよく知るロビは、もうちょっとだけ身体を起こさないと届かないところで次のアラームを鳴らすタイミングを計っている。

 わたしは起き上がり、ロビのディスプレイにある「停止」ボタンに触れ、アラームを止める。

 ひとつ大きな息を吐き、「さて」とベッドからのろのろと足を下ろして、ぱたぱたっと膝を曲げ伸ばしてから立ち上がる。ロビが「しゅっ」と出した手すりにつかまると、斜め前方に押し上げるように、ベッドが合わせてちょうどいい具合にアシストしてくれる。ふう、おかげで、わたしの膝は今日もひどい痛みに遭わなくて済んだ。


 今日は週2回の通所リハビリの日。別に行かなくてもいいんだけど、オンラインリハビリではどうも運動した気にならない。やっぱり人に会って、直接教わったほうがやる気も出るし、成果も上がる。外出するのはいい気分転換になる。買い物だって配達じゃあ味気ない。お店で物を選びたいし、人と話をする機会は貴重だ。動けるのに外に出ないんだったら、なんのためにリハビリをしているのかわからない。「ママの目的はおしゃべり」って娘に言われるかもしれないけど。

 配信のリハビリプログラムで、タカミーの筋トレとかおもしろそう。TMレボリューション、おっぱっぴー体操...選び放題だ。タカミーも大好きだけど、家の中がこう快適になってしまっては、外に出る理由がなくなってしまう。時代遅れだと言われようと、ライブは会場に足を運びたいし、音楽はCDでもメモリーカードでも自分のものにできる「なにかパッケージされたもの」がほしい。いつのタイミングですべてを止めることができる前提での「なんでも視聴し放題、聞き放題、読み放題」なんてクソくらえだ。

 

 「マリーさん、朝食を食べてください」

 「わかった」

わたしはぽそりと言う。

 

 「マリーさん、朝食...」

ロビのディスプレイを止めて、トースターへパンを切って入れる。外付けのトースターとか調理器具を取り付ければロビがパンも焼けるけど、うちはまだわたしが調理するから、ほぼ本体のみの利用だ。

 子供と暮らすとか、施設に入るとかも考えなかったわけじゃない。だけど、ロビがあれば、一人で暮らしていける。ロビのおかげで旦那と暮らしたこの家に住み続けられる。


 以前はかなり問題になった少子化だが、なんやかんやいって、少子化のおかげでこの暮らしが実現したようなものだ。空前の人手不足で、医療・介護施設で働く人が激減した。っていうか、そもそも一人の人間ができる以上の仕事量を低賃金でやらせていたんだもの。人が集まらなくて当たり前。でもその悪条件のおかげで、介護ロボットの開発がものすごい勢いで進んだ。

 2025年に大量の定年退職者が出て人手不足に陥る問題も、なんの広報も対策もせず2020年まで放っておいた。そしてもたもたしているうちに、あろうことか新型コロナウィルス感染症の大流行期に突入。日本の医療機関に勤める中堅看護師は辞めるか心身を病み、多くが現場を去った。あとに残された大多数は、もうすぐ退職するベテランたちと、就職したての新人ばかりだった。


 2010年代頃は4年制看護学部卒の看護師が増えた時期で、優秀な人も多かったから、ロボットの有効活用で日本の医療が生き残れたのは事実。そしてロボットやAIも当たり前にある現在に至っても、看護は経験がものをいう職業であるのは変わらない。まともな先輩がいなければ、看護のおもしろさはとは分からない。先輩看護師の患者とのやりとりを見ることで、わたしたちは患者とコミュニケーションをとること大づかみにして覚えていったものだ。

 とはいえ経験ばかりがものをいう職場でも決してない事は、看護師ならだれでも知っている。新しい薬剤や技術が日々出てくるが、ひとつも覚えない看護師はだいたい一部署にひとりはいた。病院の時間外の勉強会に残業代も出ないようなところに勤めていたのが理由なのか。半永久的に有効な免許に胡坐をかいている医療従事者がいるのは事実だ。

 医療技術とは直接関係がないけれど、電子カルテの普及ではパソコンの入力ができない看護師が相当数離職した。電カルが入ると知っていて、「パソコンが苦手だから」で職を失った人たちはなにを思って辞めていったんだろう。コンピューターが扱えなくても、人ができる、いや、人にしかできない仕事はいくらでもあったにもかかわらず。


 2023年くらいから人をケアするロボットとかAIが、爆発的に発展した。「人かAIか」「AIに仕事を奪われる」なんて問題提起をよく聞いたけど、人とは暮らせなくても、AI ロボットとなら暮らせるわたしみたいなのもいるんだよねえ。必要なところだけアシストしてもらえば、十分一人で暮らしていける。一人で住むのにこの家はもったいない気もするけれど、人口もだいぶ減った現在、それはもう大変な贅沢というわけではない。

 「人にしかできない仕事」なんて言ってみても、一人暮らしに慣れきってしまったわたしは、今さら人とは暮らせない。ロビがあれば困らない。当面、いまのところ、そういうことだ。


 チン、とひかえめな音を立ててパンが焼けた。取り出して、皿に置く。コーヒーを入れる。牛乳を5㎜。ロビはわたしの動作を身動きもせず確認しているはずだ。転倒しないように、なにかおかしな、いつもとは違う行動をしないかどうか、すべての動作を観察している。

 あの新型感染症以降、あまりにも生命に危険な職場となった医療・介護機関では、その主な業務を担うのは、ロビのような看護・介護ロボットの役割となった。そりゃもちろん人間の看護師もいるし、介護士もいる。けっきょくは人間の手がないと、ロボットだって最初の動作は起こせない。

 パンとコーヒー、ヨーグルトを食卓に運び、「いただきます」とボソッと言ってから、朝食を食べ始める。ロビは動かないが、じっとわたしのことを観察している。椅子の位置から、食べる姿勢、食べる量、食べる速度、食べ方、飲み込み、食べるのに適した食器や道具を使っているかまで。看護師をしていた時は自分もそうだった。「看護師さんって血圧を測る以外に何をしているの?」と聞かれたら、言葉に詰まっただろう。でも、いまは違う。いまは自分が観察対象だから。看護師が自分のなにを見ているのかが分かる。

 最初は監視が入ると思うとぎくしゃくしなかったわけじゃない。でも、一人暮らしを支えてもらうためには、自分のできるところとできないところをロビに見せなければならない。できると思われて、適切なサポートが受けられないのは事故の元だし、お互いに悲劇だ。とはいえロビがそれを悲劇と思うかは分からないけど。

 食べ終わる少し前に、水の量を確認するとロビは

「マリーさん、お薬です」

と薬を視認しやすく、取りやすく、そして落とさないところにそっとプラスチックの小さなケースを置く。だいぶ少なくなったとはいえ、朝の薬は6錠。食べ終わった後に、たっぷりの水で飲み下す。もちろん、ロビはわたしが薬を口に運び、水をコップから口に入れるタイミング、水で薬を飲み下す速度とわたしののどの動きを観察しているはずだ。そして、全部の薬が飲めたのかを。薬のカラをスキャンして、服薬済みの記録をつけるまでがロビの仕事。ゴミはわたしが捨てる。できることは自分でやる。


 食事と服薬が終わったら、食器を片付けて洗顔、歯磨き。そして出かける準備をする。

「ロビ、リスト見せて」

と話しかけると、ディスプレイに今日の持ち物のリストが現れる。幼いころから物忘れがひどいわたしには、ロビのディスプレイがない生活が考えられない。のろまだけどあわてんぼうのわたしの必需品。どうして今までなかったんだろう。

 ロビはわたしについてきて、移動するたびに荷物を入れていく動作を確認しては、チェックリストに印を入れてリストの下に移動。あとはなにを準備すればいいのかがすぐに分かるようにしてくれる。

「どうしてあの頃ロビがなかったんだろうね?そしたらわたしももっと生きやすかったのに」

 ロビはなんにも言わずに、チェックリストを見やすい位置に動かしたり、自分がさっさと目的の場所に移動したりして「早く準備しろ」と言わんばかり。朝食と水分がしっかり入ったわたしのお腹は、ちゃぷんと音がしそう。

 着替え(上下と下着も)と、タオル2枚、汗っかきのわたしはいつも3枚持っていく。ロビはそれも知っているけど、わたしがリストをそう作ったから「2枚」と表示し続ける。いつかわたしの判断が変わったときは、わたしの中のなにかが変わったときだときっと考え、観察ポイントが変わるのだ。

 あとは靴下と靴、水筒に冷えた麦茶。リハビリ記録と検温表はロビに出してもらえばいい。必要なら、ここ1年間のわたしの記録を見ることだってできる。

 オンラインなら着替えもしなくていいから本当にラクちんだけど、それはわざわざリハビリのために外出しない人に任せておこう。

 あとは連絡帳も薬もロビが持っているし、わたしの杖はロビの役目。


 あとは、顔を洗って、歯磨き、着替えをして出かけるまで座ってライブ録画でも見ようか。先週放送していた佐野元春のライブがあったはず。まあ、もう80歳!?エレキを持ってライブとは、元気なもんだ。わたしは自分の横に伸びてきた手すりにつかまり、斜めに持ち上がったソファに腰を掛ける。

 あ、元春もロビ、使ってる。元春のそばを形を変えながら、元春のロビがマイクスタンドだったり、ピアノの椅子だったり、ギターストラップだったりで身体を支えている。元春はなんとロビを呼んでいるのか知らない。しかし使いこなしてるなー。ロビがあっても、わたしがエレキギターを持って舞台に立てるとはとうてい思わない。人工筋肉のシェルを付けたらもしかしていけるかな。元春のロビはわたしのよりもう少しスリム。たぶんレンタルじゃなくて、自費購入したもの。そりゃあ常時必要だし、ステージ上ではスペアも必要だから、そうなるよね。ロビの開発に協力した有名人って、元春だったのか。

 カメラがアップになると、ちらちらとロビの姿が見える部分がある。ロビは光学迷彩のマントに包まれて、楽器やマイク、舞台装置に紛れている。そのマントがときどきめくれて、ロビの下の方が見える。相変わらず元気な元春。またライブに行かなくちゃ。

 

 あ、もう出かける10分前。さて、とわたしはテレビを消してロビにつかまり、そろそろと立ち上がる。ソファがすすすとお尻を持ち上げてアシスト。おかげで関節の痛みがだいぶ緩和されてる。もうちょっと体力がつくまで、立ち上がりアシストは必要。痛いと運動をする気もうせてしまうし、痛み止めを飲むよりも、楽に立ち上がれて運動する方がずっといい。スポ根じゃないんだから、ゆるゆるやりましょ。わたしだってもうすぐ70歳になるんだもの。


 「マリーさん、もうすぐ車が到着します」とロビ。車が来るまであと5分ほどのシグナルを受信した知らせ。

「はいはい」

 荷物の入ったバッグをロビにひっかけて、わたしはゆるゆると玄関に向かう。先にトイレに行っておこう。心配があるわけじゃないけど、なにがあるか分かんないからね。

 トイレは手すり完備だからロビは入らない。手すりにつかまると、便座がすすすと上がり、楽に座れる。終わったら手すりにつかまり、便座がまたすすすと上がる。ドアを出たところにロビが待っている。

 家の鍵もロビが持っている。あー、なんて便利なんだ!

 鍵を忘れても、杖を忘れても、家を忘れても、ロビがいれば大丈夫。


 「マリーさん、間もなく車が到着します」


 「はい」


 わたしはロビを伴って玄関を出る。


 「行ってきます」、ロビとわたし。


                                   おわり

 

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わたしのロビ こいけけいこ @ashikokeiko

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