あなたの恋が叶うなら

朱々(shushu)

あなたの恋が叶うなら

 代々ご先祖様がしてきた習わしに、反対する理由もなかった。

 折原家、そして白石家は、共に事業を展開している。共にと言っているが、代表取締役は折原家の者である。両家は歴史上縁深く、家族はみな顔見知りである。

 折原おりはら一会いちえは一人娘であり、ゆくゆくは家を継ぐ五代目になる。事業は様々おこなっており、不動産から飲食、アパレルまでも手がけている。


 一会は跡を継ぐことに疑問を持ったこともないし、白石家の面々もそうである。そして一会の世代の白石家には歳の近い兄弟が生まれており、彼らは一会の護衛でもあった。幼少期から三人は一緒におり、自然と共に育っていった。

一会、清成きよなり廉二れんじ。幼なじみで、大人の事情が入り乱れる三人である。




「一会お嬢様、清成様がお待ちですよ」

 メイクがちょうど終わったころ、扉の外から声が聞こえる。

「え! もう? キヨ君は何事も早いなぁ〜」

「廉二様もご一緒です。あまりお待たせしないよう、お気をつけくださいね」

「はぁ〜い」

 大学四年生の一会は私服に身を包み、授業で使う資料やタブレットの入ったカバンを持ち自室を出る。外に出た瞬間に背筋をピンと伸ばす仕草は、昔からの癖だ。

 靴を履き玄関を出ると、清成と廉二が立っていた。

「キヨ君、廉二、おはよう」

 これが、いつも通りの朝である。

 清成は家業を継いでいる身のため、就業前の挨拶。廉二は一会と同じ大学に通っているため、共に通学をする。

「一会、今日のワンピース初めてみるね」

「さっすがキヨ君! これ今日おろしたてなの〜」

 そう言いながら一会はくるくると回り、ワンピース全身をふたりに見せた。

「こないだ着てたのと、たいして変わんなくないか?」

「もう! 廉二はすぐそういうこと言うのね」

 家の玄関から門まで三人で歩き、なにげない雑談を交わす。清成はいつも一会の隣をキープし、廉二は二人の少し後ろを歩く。晴れの日も雨の日も、自然と立ち位置は決まっていた。

 門を出ると、清成は会社へ向かうため道が変わる。

「一会、今日も大学気をつけてね」

「うん! キヨ君ありがとー」


 そこから一会は廉二と共に大学へ向かう。一会と廉二は歳がひとつ違い、一会のほうが上である。大学、学部共に、同じキャンパスへと向かう。

 二人の後ろ姿を見送ったあと清成は待たせていた車に乗り込み、白石の会社へ向かう。大学を卒業して二年目、まだまだ新米だが、仕事の楽しさも覚えてきた時期であった。




「一会、課題ちゃんとやってるのか?」

 一会と廉二は共に法学部で、廉二はいわば一会を追って同じ学部に入学した。一会は昔から要領が良く成績がいいため、学部内進学で偏差値の高い学部でもテストに問題はなかった。法律を勉強したい、というよりも、社会を知りたいという気持ちが強かったのである。

「やってますよ〜。もう四年生だからさ、あとは卒論。大学生活もあっという間だなぁ」

「ま、一会なら成績も良いし大丈夫か。俺のほうが問題かぁ」

「なぁーに言ってるのよ。頑張って法学部入ったんだから、ちゃんと卒業してもらわなくっちゃ!」

 一会の笑顔は、いつも嘘がない。

 ひとつ年下の廉二が高校三年生のとき進路を決める際に法学部を選んだのも、そこに一会がいるからだった。一緒にいれば、何か問題が起きたときにすぐ行動出来るだろう。家の者にも報告出来るだろう。そんな考えからだった。

 だが、一会よりやや成績が足りなかった廉二は猛勉強し、それこそ一会や清成にも見てもらいながら、相当努力を重ねた。そのおかげで、無事に法学部に入学出来たのである。

「今日は何限目まで?」

「今日は三限目まで。調べ物したくて図書館行くつもりよ」

「俺は四限まであるから、終わったら図書館行くよ」

「はぁーい」

 二人は、二人でいることが至極当たり前だった。


 折原家の者として、白石家の者として、幼いときからこうやって育ってきたのである。折原家は凛と佇み、会社経営に務めること。白石家は、彼らを支えること。

 一会はひとり娘だが、元々は兄がいた。だがその兄は生まれて数日後に亡くなってしまい、一会も会ったことがない。一会は花よ蝶よと育てられ、何不自由なく生きてきた。だが現実として、折原家の家長になるべき存在である。一会は婿養子をとり、家の発展に身を捧げる未来が幼いころから決まっている。

 そして何の運命か、折原家に仕える白石家に、歳の近い兄弟が生まれたのだ。周囲は歓喜し、祝い、やがては一会と清成が結ばれるものだと無言の称賛がされた。


 この家に生まれたことに一会は、何不自由なく育ったことに感謝をしている。だが同時に、同じ熱量で言いたいことも言えない日々を幼少期から送り続けているのも事実だ。

 現在一会は大学四年生だが、周囲のように就職活動をしていない。卒業後は家業を継ぐため、家の仕事をすると決まっているからである。清成が、白石家の人間としてそうであるように。

 友人たちの就職活動を聞きながら、自分は恵まれているのか、はたまた自由がないのか、一会はわからなかった。一会の境遇に羨ましいと言う者もいれば、大変だねと言う者もいた。

 どちらが正しいかなんて、一会には判断が出来なかった。




 講義も終わり、学内の図書館へ向かう。

 一会は図書館が好きだった。天井の高い空間、レトロ感のある本棚たち、華美ではないが雰囲気のある装飾が付いている各机たち。一年生のころから一会は非常に気に入り、何もなくともここへ入り浸っていた。

 一会の卒業論文は、まだテーマが決まっていない。法学部として真っ当なものをテーマにするべきか、はたまた、大きな枠組みとして社会をテーマにするべきか。決められないままでいた。

 ふと、後ろから肩を叩かれる。

 振り返ると、廉二だった。

「あれ? 廉二、もう終わったの?」

 図書館の影響もあり、一会は小声で話す。

「それがさ、四限なくなっちゃって」

「あらまぁ」

「一会、まだ図書館いる?」

「うーん…」

 一会は自分の脳内がはっきりしていないことを自覚していた。このまま何に手を出しても、上手くいかない感覚。

「ねぇ廉二、なんか甘いものでも食べに行かない?」

 一会からの急な誘いに、廉二は目を丸くする。

「俺はいいけど。一会はいいの?」

「いいの。今日はもうおしまい!」

 そう言い、一会は荷物をまとめて廉二を誘導した。

 何を食べるのがいいだろう。パンケーキ? ショートケーキ? かき氷? 脳内に溢れ出る甘いスイーツたちに、一会の心は弾んだ。

 そんな様子を、廉二を優しいため息を付きながら見守る。


 入学前からふたりは一緒にいるため「付き合ってるの?」と言われることが、それはそれは多かった。その度「幼なじみなの」と言い返す。家の諸々を話すと正直めんどくさいのもあるし、わかってもらえないと諦めているのも事実だ。

 ふたりはいくら周りに噂を立てられても気にしない。一会は隣に廉二がいるのが当たり前だし、廉二は一会を守るのが当たり前として育ってきたのだ。

清成も一会も、一通り武道を習っている。名家に生まれたひとり娘の一会を物理的にも守るため、鍛錬は欠かさない。

 特に歳の近い一会と廉二は、一緒にいることが当たり前だった。それが、自然の摂理のように。




「チョコバナナパンケーキ生クリーム乗せと、期間限定抹茶パンケーキ、どっちにしよー?」

 スイーツのチョイスとしてパンケーキ屋を選んだふたりは席に座る。まわりは女友達同士が多く、廉二は少し居心地が悪い。

「じゃあはんぶんこするか? それならどっちも食べれるだろ?」

「えー! 廉二天才!」

 一会はにっこりと笑い、スタッフにどちらも注文する。お供はブラックコーヒーだ。

 ふたりの会話はいつも他愛のない話が多い。大学のことや、互いの近況。だが、家の話はなかなかしない。家の話をすると、暗くなってしまうのが常だからだ。

 運ばれてきたパンケーキは想像以上にサイズが大きく、ふたりは驚き、笑う。廉二がナイフで半分にしながらお皿に取り分け、食べ始める。

「…さすがに、甘いな」

 廉二はパンケーキの甘さに苦笑するが、それでも食べる。廉二は昔から、一会のどんな付き合いにも付き添ってきた。

「脳に糖分が染みる〜。おいしいー!」

「夕飯は少なめにしてもらわなきゃだな」




 パンケーキ屋をあとにし、廉二は一会を家まで送る。門に着いたあとインターホンを押し名前を名乗れば、ロックが外れる。

「じゃあ一会、また明日な」

「うん。また明日ね」

 一会が無事に門の中に入るまで廉二は見送り、済ませてから自分の家に戻る。白石家は折原家から約十分ほどの距離にあり、そこまで遠くはない。


 一会はひとり家に入り、ため息をつく。

 廉二といると落ち着く、安心する。それこそ、キヨ君と一緒にいるときよりも。

 歩き出しながらもそのことについて考えはじめ、同時に、家のことも考える。

 自分は清成と結婚する。それは、無言の圧で決まっている。でも、どうだろうか。婿養子をとるのならば、清成じゃなくてもいいのではないか…。


 門から玄関まで着き、「ただいま」と声をかける。

「おかえりなさいませ」「おかえりなさいませ、一会様」

「ただいま戻りました」

 次々と家にいる者から声をかけられる。

 自分は衣食住困ることなく、それどころか裕福に暮らしてきた。大切に育てられ、守られてきていることも自負している。

 なのに、そんな自分のわがままを、意見を言っていいものなのか。

 一会はわからなくなり、自室に籠った。




 その日の夕食、めずらしく両親共に揃っていた。だいたいは、仕事が忙しく父が不在になることが多い。

「お父さん、珍しいのね。少しひさしぶりってかんじ。元気だった?」

「あぁ。なかなかまだ暑くて体が怠いな」

「そうねぇ。秋も、もうそろそろの予感ですのに」

 給仕担当の物が次々と食事を運んでくる。フルコース形式のため、量は少しずつだ。

「ところで一会」

「はい、お父さん」

「一会が大学を卒業したら、白石家の清成君と結婚してもらう。いいな?」

 父は肉をナイフで切りながら、普通のトーンで言い放った。

「………え?」

 これまで一会と清成は無言の圧力ではあったが、ふたりの関係性を名言されることはなかった。その事実に動揺が隠せない。

「ちょ、ちょっと待ってください。卒業したら…すぐ?」

「あぁそうだ。清成君は我が折原家を支える白石家の長男でもあるし、今は会社で精進してくれている。一会はゆくゆく婿養子をもらってこの家を継ぐ者だ。それに清成君はぴったりだろう」

 父はそれがさも当たり前のように淡々と話す。

 母は父と一会の様子を見ながらも、何も言わない。

「ま、待ってください! 私の、私自身の気持ちは? キヨ君の気持ちは?」

 一会は椅子から立ち上がり抵抗を見せる。

「…気持ちなど…一会と清成君は小さいときからずっと仲がいいじゃないか。何か問題があるのか?」

 瞬間、一会の脳裏に、廉二の顔が浮かぶ。

 一会だけに向ける、優しく笑う、廉二の顔。


ーーーいちえ! なんかあったらすぐ僕に言うんだぞ!


 小さい頃の約束など、忘れてしまっただろうか。

 それでも一会の心は、廉二でいっぱいになる。


 幼稚園のときいじめっ子から助けてくれたこと。七五三で一緒に写真を撮ったこと。小学生のときの電車通学で、いつも守ってくれたこと。家のことをからかわれると、反撃してくれたこと。中学生になって変な輩に囲まれてしまい、廉二が拳を奮っては停学になってしまったこと。それについて何も怒らなかったこと。高校生になってそれっぽい放課後を送りたいと言った一会に、カラオケやプリクラやボウリングに付き合ってくれたこと。行きも帰りもいつも一緒で、ずっとずっと守ってくれていたこと。

 私が大好きな甘いものを半分こして苦笑しながらも、いつも完食してくれるところ。


 気付けば一会の目からは涙がこぼれた。


 私、廉二が好きだ。ずっとずっと前から好きなんだ。

 キヨ君相手じゃ、こんな気持ちにはならない。


 一会は食事を中断し、食堂から飛び出した。

「…一会っ!」

 母は一会を呼び止めたが、突っ切って外へ出た。






 一会はスマホで廉二を呼び出し、近くの公園にいた。そこは幼少期に遊んだ場所でもあった。

「一会!」

 ブランコに乗って待っていた一会は、廉二が来たことで顔をあげる。

「どうしたんだよこんな時間に。びっくりしたよ…」

 廉二は心配な顔で、ブランコの一会を見つめる。


 やめて、そんな顔で私を見ないで。

 だって、期待してしまうから。

 家と家の関係じゃなくて、あなたと、一緒にいたくなってしまうから。


「…言いたくないなら言わなくてもいい。だけどな、俺は一会が悲しい気持ちになったら心配だよ」

 廉二はブランコに座る一会の右側の頭を撫でる。まるで子どもをあやすような仕草に、一会はますます泣きそうになる。


「………私」

「うん?」

頭を撫でられながら下を向いていた一会は顔を上げ、告げる。


「…すきなの。 私、廉二のことが、世界で一番好きなの」

「………」

廉二は頭を撫でる手を止める。


「何を言ったら信じてくれる? だってもう、小さいときからずっと好きなの」

顔を上げた一会の瞳には、涙が溢れそうなほど溜まっていた。

「一会…」


「幼稚園のとき並んで書いた七夕でずっと一緒にいようって言ってくれたことも、小学生のとき一緒にお祭り行って金魚取ってくれたときも、雨降っちゃったのに私傘持ってなくて貸してくれたときも、中学になってテスト勉強付き合ってくれたことも、廉二モテるからいろんな子から告白されてもサラリと相手を傷つけずに断っちゃうとこも、廉二の可愛い笑顔も、大好きなフットサルしてるとこも、おじいちゃんおばあちゃんや小さい子どもに優しいところも、家のことで嫌なことがあるといつも私を守ってくれるとこも、もう、ずっと、ずっと………」


 次々と、言葉が止まらない。

 そして、泣きたくないのに涙が止まらない。

 そうだ、私は、廉二のことがずっと好きなのだ。

 きっと、出会ったときから。


「何を言ったら伝わる? ほんとだよって、伝わってる?」

「一会、俺は、」

 廉二の眉間に皺が寄る。廉二は何も言わない。


「私、キヨ君と結婚したくないよ! もう自分に嘘つきたくないよ!」


 その瞬間、一会の視界が廉二のシャツの色に染まった。

 衝動に駆られ、廉二が一会を抱きしめている。


「…一会、もう何も言わなくていい。わかった」

「ほんとに? ちゃんと意味わかってる?」

「わかってる」

「キヨ君と結婚したくないから言ってるわけじゃないんだよ? 私、廉二のことが、」

「一会」

 抱きしめられている肩に、さらに力が加わる。


「一会、好きだよ。俺だって、一会に兄貴と結婚してほしくない」

「……っ」

 そのとき、人生で初めて廉二の本音を聞いた気がした。止まらない涙は、さらに加速する。

「うーーー…」

「泣かないでくれよ。俺、一会の泣き顔に弱いんだ」

「えーーー…。だって、だって、うれしーーー…」

 ブランコに座る一会を抱きしめる廉二。

 こんな日が来るとは、二人とも思っていなかった。

「…一会。俺は、一会が笑ってる姿が何より好きだし、安心する。家のことで嘘をつくんじゃなくて、たとえば学校の放課後、楽しそうに笑う一会が好きだ」

「あ、ありがとう」

 照れる一会の顔は、つい赤くなってしまう。


「ただやっぱり俺は、小さいときから一会は兄貴と結婚するもんだと思ってたし、一会を想っても意味がないんだなって感じてた。けど、結婚の話が本格化するなら、俺は嫌だ」


「………」


「けど現実、俺は一会よりひとつ年下で頼りないし、兄貴は白石で働いてしっかりしてる。俺は一会を攫うほど、正直勇気もない。本音は、全員に祝福してほしい。一会と、白石廉二が結婚することを、全員に認めてもらいたい」


 蓮二の本音を聞き、抱き合っていた一会は廉二から離れる。


「わかる! 私も、みんなに認めてもらいたい! お父さんにもお母さんにも、みんなに」

 一会の本音を聞き、廉二は微笑む。


「よかった、同じ考えで。もしこのまま一会が駆け落ちしようって言ったら、どうしようかと思ったよ」

「え?! さすがにその発想はなかった!」

 ふたりは目を合わせ、ふふふと笑い合う。

 両思いがこんなに嬉しいことを、ふたりは知らなかった。。


「一会、ありがとう」

「え?」

 ふたりは向かい合い手を繋ぎながら、廉二は言葉を続ける。


「本音を言ってくれて嬉しかった。俺も嘘をつかなくていいんだって、呪いから解放された気分になった。一会がいてくれる事実が、俺は嬉しい」

「そ! そんなこと言ったら、急に呼び出したのに、こんな話した私が、」


 廉二は一会の唇に人差し指を置く。


「こんな話、じゃないよ。未来の、大事な話だ」

「……うん」


 ふたりはどちらかともなく首を傾け、唇を合わせる。初めてのはずなのに、それはまるで、何度もしてきたような行為だった。

 言葉で言わないぶんの想いが伝わる。熱が通る。皮膚が触れる。指先が揺れる。

 その日は間違いなく、ふたりにとって忘れられない夜になった。






 週末、廉二は自分が持っている上等のスーツを来て、百貨店の地下にいた。手足が長い廉二はひとりということもあり、だいぶ目立つ。

 何を持っていっても、価値は全部知ってそうなんだよな…という考えは頭を振って削除し、あの家に合う和菓子を選んだ。


 折原家にそのまま向かうと、門の前に一会が立っていた。もうすぐ着くと連絡を入れていたので、時間はそんなに待たせていないだろう。

 一会は自分が持っているなかでも思い入れのある着物を着ていた。

「ごめん、待たせちゃったな。着物似合うよ」

「全然待ってないよ。廉二こそ、スーツでいつもと違うかんじ。素敵よ」


 ふたりはそのまま折原家に入り、玄関に向かう。

 出迎えてくれたのは家の者と、「お母さんをお願いします」という一会の声で母が出てきた。父は仕事がありいないことは確認済みだった。


「あら、廉二君? 今日はどうしたの? ひとまずあがってちょうだい」

 案内されたのは客間で、ふたりは下座に座った。一会の母は上座に座り、言葉を一言も発さない。家の者が気遣ってお茶を三人分出し、これで本当に三人だけの環境になった。


「…まず、つまらないものですが、こちらを」

 廉二は買ってきた和菓子を出し、一会の母に渡す。袋をじっと見ては観察し、ひとつ笑った。

「今日は二人ともどうしたの? 廉二君はスーツ、一会はお着物。お父さんの前に私に話したい内容ってことで、合ってるかしら?」

 一会の母は、さすが名家に嫁いだだけあり、威厳のある場面はペースを乱さない。自分の不利にならない状況で話を持ち出す。


 口を開いたのは、廉二だった。

「はい。お忙しいところ申し訳ありません。僕たちふたりで話し合った結果、僕白石廉二と折原一会さんは、ゆくゆく結婚したいと考えております。本日はその件について承諾を頂きたく参じました」


「………」


「お母さん、私、本気です。幼少期からご長男である清成さんとの縁談を皆様に期待させてしまいましたが、結婚の意思として、廉二さんと共に歩みたいと考えています」


「………」


 一会の母はお茶を一口飲み、ふたりの顔を交互に見る。

 見られている、という感覚が廉二と一会を襲う。

「…廉二くん? あなた一会より年齢がひとつ年下だと聞いてますけど、卒業したら白石の家業に入るおつもりなんですか?」

「そこはもちろん、可能であれば折原家のみなさんの力になりたいと思っています。一会さんはひとり娘です。僕は婿養子に入るつもりで、今日もここにいます」

「あら、そぉ…」

 一会の母はまた一口、お茶を飲む。


 いつもは穏やかな母も、突然のことに動揺しているのだろうか。それとも、反対されるのだろうか。一会の心は気が気じゃなかった。

 カーンと庭の鹿おどしが落ち、空気が張り詰める。

「…いいと思いますよ。私は」

「お母さん!」

 予想外の答えに、一会は身を乗り出す。

 廉二も身を乗り出したい気分になったがぐっと我慢し、膝の上にある拳に力を入れる。


「ただ…、お父さんはなんて言うかしら?」

 一会の母は笑顔で、ふたりにとって怖いことを述べる。父は絶対的な存在だ。

「反対、されちゃう?」

「…わからないわ。ただ、こないだの夕食時にも言ったように、一会と清成君の未来を考えているものだから、突然言われると驚かれるかもしれないわね」

 一会はあからさまに落ち込み、廉二はそんな一会の顔をチラリと覗く。

「ちなみになんだけど、清成君はこのお話を知ってるの?」

「え?」「え?」

「ふたりの気持ちが通じ合い、ゆくゆくは結婚することよ」






 一会と廉二の気持ちが通じ合った翌日、廉二は清成の帰宅を玄関で待った。

「ただいま。…廉二? どうした?」

「…おかえり。あのさ、ちょっと話あって、」

 清成は廉二からの珍しい提案に驚き、間を開けて思案する。

「その口ぶりからするに、一会と付き合うようになった、ってところかな?」

「………は?」

 兄貴はエスパーなのか、と廉二は本気で思った。

「わざわざ仕事帰りの俺を待ってまでして言いたいことなんて限られてるだろ。大学辞めるは現実的じゃない。家を出るのも現実的じゃない。ひとり暮らししたいはちょっと浮かんだかな。なんにせよ、大事な話だろ。廉二の大事なものは、一会だ」

「兄貴」

「なんだ?」

「…こえぇぇ」

「はっはっは! 廉二は一会のことになるとわかりやすいからな」

 玄関で靴を脱ぎ、清成は自室へ向かう。廉二はあとからついていく。

「兄貴は、いいのかよ」

「一会と結婚しなくて?」

「あぁ………」

 清成はスーツの上着を脱ぎ、ハンガーにかける。廉二は後ろから話をかけていた。

 すると清成は、くるっと振り返る。

「じゃあ、俺が一会と結婚したいって言ったら、廉二は譲るのか?」

 まるで挑発するようなその目は、廉二を怖がらせるような瞳だった。

「譲らねぇよ! 譲る譲らないとか、そもそも一会はモノじゃない。俺は、兄貴と仲違いしてでも一会と結婚したい」

「…ふっ」

 清成はやさしい瞳に変わり、廉二を見つめる。

 いつの間にか大きくなったこの弟が、幼なじみの彼女を守ってくれる。こんな幸福はない。

「それがいい。一会だって、昔から廉二のことが好きだ。そもそも…俺の出る幕なんてないんだよ」


ーーーいちえちゃん、おまつりこんでてはなれちゃうから、手つなごうよ。

ーーーううん。あたし、大丈夫。キヨ君のとなりにちゃんといる。

ーーーお兄ちゃん! いちえ! いたいた! 見つかってよかった! いちえ、はなれたら大変だから手つなぐぞ。

ーーーうん!


 そんな淡い記憶を清成は思い出し、ひとり笑う。

 ひょっとしたら生まれたときから、この運命は決まっていたのかもしれない。

 一会。可愛い一会。妹のような、届かない高嶺の花のような一会。しあわせになってくれればそれでいい。それが、いいんだ。






「兄には、伝えています。僕が一会と気持ちが通じ合い、結婚したいことも言いました」

 隣の一会はその話を知らず、そうだったんだ!という顔をする。

「じゃあ、私との話はおしまいね」

「え?」

「廉二くん、まだ時間はあるかしら。話は早い方がいいから、今夜帰ってくるお父さんにすぐにでも伝えましょう」

「……はい」

「あなた、折原廉二になる覚悟はありまして?」


 その日の夜、滅多に使わないパーティー用の大広間にて、長いテーブルに、給仕たちの気合いが入った食事がズラッと並ふ。一会の両親と、一会、廉二の四名が座っていた。

 とてもじゃないが落ち着かない。いつもの食堂の倍以上広さがある。


「…話は家内から少し聞いたよ。一会、こないだの話は本当に断るんだな?」

「はい。私は白石廉二さんと結婚したく思ってます。…清成さんももちろん優しいし小さいときからずっと一緒にいて素敵なところも知っているけれど、結婚となるには…私には廉二さんがいいです。このあいだは逃げ出して…ちゃんと言えずにごめんなさい」

 一会は父の目をまっすぐ見て伝える。

 気持ちを確かめ合ったいま、もうこわいものはなにもない。

「そうか。廉二君も、同じなんだね?」

「はい」

 食事に手を付ける余裕がない。膝の上で握りしめる拳が震える。

 一会のそばにいたい、一生をかけて。その気持ちを伝えなければ。


「実際僕はまだ大学三年生ですが、卒業後には折原家の皆様の力になりたく思います。白石の仕事は兄に、僕は折原の仕事へ精進しつつ、協力して、一会さんを一生守っていくつもりです」

 隣で聞いていた一会は、その強い言葉に泣きそうになっていた。

 叶わないと思っていた、恋。

 その恋が実り、今こうして隣にいてくれる。ひとつひとつを言葉にしてくれて伝えてくれる。こんなに幸せなことがあっていいのだろうか。

「…まぁ、白石は了承するだろう。あとは私の一存ということか」

「お父さん、ふたりとも真剣ですよ。いいんじゃないですか?」

 一会の母は前菜を食べながら、楽しそうに笑う。


「お母さんは、ふたりをどう思う?」

「どう思うも何も、一会は一度言ったら聞かない子です。真面目で、誠実な自慢の娘です。廉二君もきっと、一会のそんな部分を知っているはずだわ」

「お母さん…」

「それに、婿養子がもう決まるなんて、我が家も安泰じゃありませんか? 何も決まらないより、折原家は永劫続きますよ」

「ふっ。そうだな」

 一会の父は、やっと笑った。母を見ていた視線を廉二に向ける。

「廉二君、一会をよろしく頼むよ」

「お父さん…!」

「あ、ありがとうございます!」

 廉二は垂直に頭を下げ、一会の父にお礼を伝える。一会は緊張が解けたのか、肩の荷が降りたようにほっとする。

「まぁ実際の結婚は、廉二君が大学を卒業してからだな。同居や手続きもある」

「はい! どうぞよろしくお願いします!」

 気付けば一会は涙を流しており、手を祈って喜んだ。


 家の事情もあるので反対されるかもしれない、という不安ももちろんあった。だが、父も母も受け入れてくれた。それが、こんなにも嬉しい。

 その後の食事では一会も廉二もまだ緊張が引きずり、どんな味かすら覚えていなかった。






 夕食後、一会が廉二を門まで送ると言い、ふたりで外に出た。

 玄関から少し離れた距離で、ふたりは手を繋ぐ。

「今日は本当にありがとう。すごく緊張したけど、嬉しかった」

「俺も。こんなに緊張することもう二度とないかも」

「ふふふ」

 絡まる指先は遊ぶように無邪気で、それは、互いの存在を確かめ合うようだった。

「俺さ、一会にとってふさわしい男になるよ」

「なぁーに言ってるのよ。今も充分よ? 今日とってもかっこよかった」

「いや、ただでさえ一年ハンデあるんだ。一会が誰にも振り向かないくらい、頼もしくなりたい」

 廉二は一会に顔を近づけ、自分の理想を語る。

「…廉二って、」

「ん?」

「…廉二って、付き合うと、甘々なのね……」

 首を傾げる廉二に一会は恥ずかしくなり、頬を染める。

「ははっ。そういう一会は、すぐ顔が赤くなるんだな」


 ふたりはまだ気持ちが通じ合って日が浅い。それでも、生まれたときから決まっていたかのように、ふたりでいることがしっくりくる。こうなることがきっと、運命だったのだ。

 廉二は右手を一会の頬に当て、唇を合わせようとする。が。


「そういうことは室内か、廉二が大学を卒業して結婚してからにしてくれない?」

 

「…!」「…!」

「あ、兄貴!」

「キ、キ、キヨ君?! どうしたの?」


「一会のお父さんに呼ばれてね、ふたりの結婚のことじゃないかな。ちゃんとインターホンも押したよ」


 清成は満面の笑みで対応する。

 恥ずかしい場面を最も見られたくない人に見られてしまい、ふたりは手で顔を覆う。


「一会と廉二がしあわせだと、俺もしあわせだよ」


 清成は心から満足そうに笑う。

 廉二は照れ、頭を掻く。

 一会は恥ずかしさで埋まりたいほどになり、両手で頬を覆う。




 三人の夏は、まだはじまったばかりだ。

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