がんばろうKOBE

 ながく暮らした尼崎の家の床を懐かしみながらいつかの絵の具の跡を濡れ雑巾で拭い、退去の立ち会いではけっこうでかい壁紙の沁みも見逃してもらって、これまでお世話になった多くの方々、とくに心臓手術の費用のクラファンに関わっていた方々に何度も頭を下げ、新幹線の時間までしばらく暇を持て余したため、神戸に向かった。震災にかんする資料館があって、私は一度も来たことがなかったのだが、幾分の決まり悪さを覚えながら、なかに入る。神戸の震災からはもう三十年近く経つ。忘れられようとしているのだろうか、入場客はまったくいなかったけれど、展示されている写真や遺品はあのころの様子をそのまま映していて、いつでもここに来れば、私はあの日々に帰ることができ、この場所を今でも残してくれていることに感謝した。よく磨かれたガラスケースのまんなかに「春を待つ奇跡の子」という表題のくすんだ新聞紙を見つける。あのころ書いた、「子どもを作ろう」という詩を読むことができた。いま読めば、なかなか悪くないじゃないか。いまの夏美とほぼ同い年だった。仮設住宅での暮らしを支えてくれた、だいすきな友だちを思って書いたっけ。「この詩は震災なんて関係ない」と思いたかった、意地っ張りの自分をやっと愛おしく思う。詩をスマホで打ち直し、ふと思いついて、「を作ろう」の箇所をテキストエディタの置換機能ですべて「と暮らそう」に変えてみた。愁香にLINEを送ってすぐにスマホの電源を落とすと、気持ちいいぐらい心臓がばくばく鳴る。


 新神戸を出る新幹線のうち、東京駅で特急ひたちと連絡すれば福島に辿りつける最終便を「みどりの窓口」で抑えたあと、道すがらではないが神戸の球場に寄ってみた。デイゲームは最終回。山本由伸が好投するものの、打線が繋がらずゼロ封で負けそうないつものオリックスの試合だった。1点差を追う、ツーアウト二塁の場面で打席には8番紅林。たしか今年ハタチになるはずの選手だ。あの震災のときには生まれていなかったオリックスの選手たちは、この神戸の地でなにを思うのだろう。ネクストバッターズサークルに代打のラオウが控えているからか、一塁が空いているにも関わらず、きょう当たっている紅林と勝負するらしい。いまわとばかり場内に合唱される「紅」よりもずっと大きな声で、私はヘリコプターなどいない空に向かって、ちからいっぱい叫んだ。

「がんばろうKOBE!」

 カウント0―2からインハイに外した釣り球を叩いた紅林の打球は、たかく、たかく――。

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夏映え/子供と暮らそう にゃんしー @isquaredc

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