第12話 ネクスコープ株式会社

 黄昏ソウマが所属する事務所、「V-Scope」。翌日出社を控えた日曜の夜、そのホームページを見ていた。もっともそれは、配信やイベント、グッズの情報を追うためではない。所属Vtuberのリストや配信スケジュールをスルーして画面の下部に向かい、小さく書かれた「運営会社について」というリンクをクリックする。


 するとカラフルでポップな色遣いとVtuberのアイコンが躍る画面から、モダンで落ち着いた雰囲気のサイトに遷移する。消費者向けのサイトではなく、コーポレートサイト、つまり、法人顧客や投資家など、ビジネスの客に向けてのサイトだ。「ネクスコープ株式会社」。それが事務所の運営会社名である。


「仮想とリアルは、まだまだ溶け合える」


 そんな、長年ソウマを追っているような俺ですら聞いたことがないようなコーポレートメッセージがでかでかと書かれている。俺やミナ、楢崎やアカツキのような存在からしてみれば全く縁もゆかりもない言葉が、投資家や広告出稿主に対しては、さもこの会社の事業を代表し本質を表すようなキーワードとして提示され、聞いた人々は「ほうほうそういうものなのか」という薄っぺらい認識だけを持ち帰るわけだ。


 このページにおいて、V-Scopeの名前を見るにはどこに行けばよいかというと、「事業領域」というページになる。そこには「Vtuber事務所運営事業」として、このような文章が書かれている。


「多様なVtuberタレントが所属する事務所「V-Scope」の運営を行っております。YouTubeなどのプラットフォーム上での活動のサポートの他、各種イベントの主催、オリジナルグッズやデジタルコンテンツの製作販売を始めとする多彩なIP(知的財産権)ビジネスを展開し、VTuberとファンの絆を育む場の提供に努めています。50名以上の個性的なタレントが持つ発信力を用いた各種のプロモーション施作についても、民間から官公庁まで幅広い領域に向けてご提案を行っております。」


 IPビジネス。そう言われてしまうと、なんとも味気ない表現だ。当たり前と言えば当たり前で、普段意識の外に置いているだけとはいえ、しかしソウマ含め、彼ら所属Vtuberの活動は、ビジネスとしてはそのような言葉で括られてしまうわけだ。


 後半のプロモーション施作。これはつまり「案件」のことだ。どことなく、俺たちは案件動画に対して屈折した感情を持っている。案件動画というものそれ自体は、さまざまな制約に縛られてしまう退屈なものになりがちだ。しかし一方で、自分の応援しているVtuberがそのような仕事を任せられるほどに世に認知されているということに、ひとしおの感慨のようなものを抱いたりもしてしまうのだ。


 それにソウマであれば、そうした制約の中でも最大限に暴れまわったり、逆にそれを逆手にとった捻くれた笑いを取ってみせたり、どころかそんな制約も気にせずに暴れまわってくれるのではないか、というような期待も与えてくれる。


 俺は各種の数字情報、例えば所属人数や総登録者数、総再生回数といった数値や、主な活用事例に目を通す。ソウマのどんかつコラボは最近過ぎて、まだそこには反映されていないようだったが、それを確かめるのが目的ではない。ここに書いてあることをテコに、社内でV-Scopeのプロモ起用を提案しようと思っているのだ。


 翌日月曜日、部全体としてどことなく業務の落ち着いた時間帯になったのを見計らって、俺は課長(うちの会社の場合は平の上は課長だ)のもとに赴いた。


「お疲れ様です。あの、これは半分雑談半分業務みたいな話なんですけれど」


「ん、なに?」


 課長はパソコンに向けていた視線を外し、俺に向き直った。


「この前の事業部連絡会で、何かのうちのクライアントさんが、プロモーションの施作で困ってる、みたいな話をされてたじゃないですか」


「ああ、事業二部の案件の話? そういう課題感が提示されたけれども、現状のウチのサービスじゃうまいことソリューションが提示できない、ってやつ」


 わが社が具体的にどんなことをやっているか、というのはちょっと個人情報のアレがあるし、そこまで本筋には関わらないのでここでは伏せさせてもらうのだが、まあクライアントの課題解決策を、モノなりサービスなりの形で提案・提供するようなことをやっている会社だ、と言えば、そこまで外れでもないし、世の多くの人々の仕事と似たようなものだ、と理解してくれるだろう。


「それです。で、あの話って、若い世代にリーチしたいけれどもウチの商品だと顧客層が離れてるから、っていうのが問題だったわけじゃないですか。だったら、若い層を得意とする他のサービスと、タッグというかコラボというか……」


「協業?」


「それです。協業して、共同提案みたいなことをしてみるのはどうかな、と。ウチで新たなそういうサービスが開発できればそれが一番なんでしょうけれど、それじゃあ今困ってるお客さんの課題解決にはならないし、かといって今ある会社にそのまま向かわれちゃったら、ウチがお客さんを逃してしまうかもしれないわけで」


「確かに、同じことはこちらでも考えてたけれど」


 課長は軽く伸びをする。流石に、俺が考えるようなことは先に思いついていたか、と肩を落とすが、


「具体的にそういう層にフィットする業種がイメージ付かなかったんだよね。それでいうと、栗尾にはそういうのを聞いてみたかったんだけれども」


 お、これは願ってもない流れかもしれない。


「そしたら、バーチャルユーチューバーってのはどうですか」


 あえて、Vtuberとは略さずにフルでそう告げてみる。課長の反応やいかに。


「ああ、聞いたことはある気がするけれど……あれだ、アニメのキャラみたいなのがYouTuberやってるやつ」


「それです。恐らくですけれど、普通のYouTuberよりもリーチできる範囲がはっきりしてますし、相対的にコストも安く抑えられるんじゃないかと思うんですよね」


 そういいながら、俺はコーポレートサイトに書いてあった数値や事例をもとに、VTuberへの案件依頼が今回の事案にどれだけフィットしているかを語った。課長はふんふんと頷き、自分のパソコンでもいくつかのVtuber事務所のページを見ている。


「ふうん……まあ、悪くない話か。とりあえず、この話を営業二部に連携しておくわ」


 おっと、そうなるとマズい。俺の手を離れてしまってはその先に繋がらない。慌てて、


「いや、俺がまずは話を聞いてみたいと思うんです。内容によっては我々の担当事案にも活用できるかもしれないですし……」


 完全に出まかせの理由だったが、しかし課長は少しの黙考の後、


「まあ、栗尾にとっても良い機会だし、いいか。まずは話を聞いて来て。案件の情報はこっちで簡単に二部からヒアリングしておくから」


「あ、ありがとうございます」


 と、なんとか恙なく接触の許可を得ることが出来た。すると課長から苦笑交じりに


「なに露骨に安心した顔してるんだ」


 と突っ込まれた。


「いや、趣味が露骨に出てるのでそれを咎められないかを心配してたんです」


 と正直に言うと、課長は手をひらひら振りながら、


「さっきも言ったろ、何かしらの手立てを提案出来ないかっていうのは考えてたことだって。お前は仕事を自分のために使うことにうしろめたさ感じてるのかもしれないが、そんなこと思う必要はないぞ。こっちで許可出すのは、究極その結果会社が利益を得られるようなことだけなんんだから」


 流石。ドライな合理さと、部下へのやさしさ。その二つをいとも簡単に両立させて示して見せるこの人は、やはり尊敬するべき上司だ。さて善は急げと言わんばかりに席に戻ろうとした俺だったが、「あ、けど一点」と呼び止められた。


「なんですか?」


「さっきも言った通り、利益を上げられるんだったら許される行為っていうのは、裏を返せば不利益を出せばその正当性を失うことになる。損失を出すくらいなら、プラマイゼロのほうがマシだからな。そのことだけは改めて心得るように」


 俺は背筋を伸ばして「はいっ」と応えた。



 ネクスコープ社の問い合わせフォームの「企業の方」という欄に、自社名、名前、目的などを書いて送信する。その日のうちには返信は返ってこなかったので、他の業務を進めて終業した。


 家に帰って晩飯も適当にコンビニ飯で済ませてから、俺はディスコードを繋いだ。相手は楢崎だ。


「楢崎さん、どうでしたか」


 そう、事前に俺は楢崎の元に「夕焼け」の音声データの一部を送り、それをソウマやアカツキの歌声と比較するよう依頼していたのだ。もっとも、それがソウマの前世の歌かもしれない、ということは伏せている。妙にソウマに似ている歌声があったから、というようなことを言って依頼した。

 俺の質問に、彼は一言、


「凄まじかった」


 と答えた。


「この曲の出どころは、不明なんだっけ」


「ええ。YouTubeに一瞬上がっていただけで、一体誰が投稿したのか、あるいはなぜ消されたのか、その正確なところは今のところ分からないんです」


「なるほどね……」


 ぎい、と椅子の軋む音が聞こえる。楢崎が後ろに体重を寄せたのだろう。


「正直もっと聞きたいけれど、それをクリオネくんに言っても詮無いことだろうね」


 実際には俺はそのフルコーラスを聞かせることも出来るわけだが、タダでさえ無作為に聞かせ続けるのが問題であるのに、これ以上のリスクを取るのは避けたい。俺は「そうっすね」と曖昧に濁しながら、


「で、実際どうなんですかね。あの歌は、ソウマのなんでしょうか」


「それについては、画面共有しながら説明するよ」


 そういった後にシェアされたのは、何やら音の波形が映し出されている画面だった。


「これは声紋というものを分析するソフトでね。声にも指紋のような、その声の発し主をユニークに表すような特徴がある。それを読み取って、同一人物による声かどうかを判定できるという寸法なんだ」


 そこには三つの、赤、青、緑の波形が並んでいる。


「まずこの赤が『夕焼け』、緑がアカツキの『君の声』。これを重ねてみると」


 赤の波の上に緑の波がドラッグされ、重なる。すると、ぎざぎざとした緑の波が大きく赤の波をはみ出した。


「これだけズレるってことは、おおよそこの二つは同じ人物によって歌われたものじゃないと言えるだろう。で、続いてこの二つ」


 今度は赤い波に、緑の波が重ねられる。すると、おどろくほどにぴたりと一致した。


「この緑は」


「そう。ソウマのこの前の新曲だよ。この二つはほぼ完全に一致した。つまり、声紋の観点から言えば、この『夕焼け』という曲は、黄昏ソウマの声に間違いない」


 俺は少し、ここで確認できた事実を整理するために考えを巡らせて、


「例えばですよ。アカツキの、声変わり前の声が、ソウマのこの声と同じ、なんていう可能性はありますか?」


「声変わり前、か。その可能性は、今回についてはかなり低いと思われるね。というのは、声紋は何で決まるかというと口の中の構造なんだ。声変わりは声帯の変化によるものだから、相対的には声紋に与える影響が少ない。もちろん成長につれて歯の並びや口の中身は変化していくから、声紋も変化はする。けれどもこの、赤と青ほどの違いはそれでも現れないはずだよ」


「そうですか……」


 ここに、おおよそミナが気にしていたような懸念はまずは払しょくされたと言っていいだろう。それだけでも確実な前進だ、と半ば満足していた俺だったのだが、


「ただ」


 と、楢崎は言葉を続けた。


「声以外にも、この曲たちというのは重要な共通点を持っているみたいなんだ」



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推しのVtuber(前世なし)が前世で歌っていた曲が宇宙一に最高だったとき、俺は一体どうしたらいい? 及川盛男 @oimori

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