だから小説を書いていたんだ

西影

これが小説家というものだ

 暗闇に打鍵音が響く。外からの光はカーテンで遮断されており、気温より十度以上涼しい部屋。唯一光を放つパソコンの前で、俺は小説を書いていた。一週間ほど上位のネット小説を読み漁った甲斐もあって、読者が好きそうな話、盛り上がる展開が次々と思いつく。それをテンプレの形に則って文章を紡ぎ、今日だけで三話分書き終えた。


「ふぅ、投稿っと」


 一話だけ書き溜めを残して投稿ボタンをクリックする。推敲や添削はしない。ネット小説にとってスピードは命。毎日投稿は当たり前で、一日に二話投稿しているやつだっている。俺も大学の夏休みを使って、この期間中だけでも毎日二話投稿を意識していた。


 次に画面へ表示させたのは今書いているネット小説のPV数一覧。昨年では考えられない程数字を伸ばしており、それが今ではデフォルトになっていた。昔みたいに少しのPV、数個のレビューなんかでは喜ばない。毎日のように誰かに反応され、感想を書かれる。それに慣れてきたからか、どんなに褒められても何も感じなくなっていた。


 まぁ、流行りに乗ってるから当たり前か。椅子の背もたれに体を預ける。


 ……いつからだろうか。


 『次回も楽しみにしています』という言葉が嫌いになったのは。


 誰も俺の小説なんて見てくれなかった。伸びたとしてもせいぜい千に届くかどうか。感想だって全然貰えないし、完結した数日後には作品が読まれなくなる。数カ月間考えた設定、構成、キャラクターに意味はない。それで伸びるのは一握りの天才だけで、俺みたいな凡人が読まれるには流行りに乗るしかなかった。


 よくある設定、よくある構成、よくあるキャラクター。伸びている作品を参考にするだけで簡単にランキング入りする。初めてランキングに載った時は勘違いしたもんだ。俺の小説がついに認められた。俺にも固定ファンが多く付いたんだって。


 伸びた小説が完結し、次に出した俺好みの新作。正直、ほとんどの分野で前作を上回っていたと思う。ただ、流行りに乗っていない。そんな致命的な弱点にさえ目を瞑れば……。


 それを投稿した時の絶望は未だに忘れられない。少ないPV、数個のレビュー、全ての数字が元に戻った。昔から作品を読んでくれている一人以外からは安定した反応を貰えず、あんなに伸びた前作が夢や幻のようだった。もし、その一人がいなかったらゼロPVの日もざらにあっただろう。


 そんな失敗をして、やっと気付いたんだ。みんな、俺の小説を読んでいたんじゃない。俺の話に魅了され、楽しんでいたんじゃない。


 誰でもいいから流行りの小説を読みたかったんだ。ただ、投稿頻度が高いものを読みたかっただけ。レビューをしてくれた人の半数、いや九割近くは俺のペンネームすら覚えていないだろう。新作の投稿でフォロワーの数は山から滑り落ちるように減ったし、俺の小説の価値が目に見えてしまった。


 そうしたら、なんだろうな。一から物語を作るのがアホらしく感じるんだ。どうせ書いても見てくれない。見てくれないなら存在しないのと同じ、無価値なものだって。


 そのような境地に立ち、自己を捨てた人が小説家というものなんだと思う。ひたすら読者のニーズに合わせて評価を貪欲に求める。そういった人間じゃないとネット小説では生きていけない。


 そういえば……とエタっていた作品があったのを思い出す。現在投稿している小説と比べて見るも無残な評価。自分が面白いと思う小説を書き続けていれば、数字が伸びてくれると信じていた俺の黒歴史。


 編集ページへ向かうと投稿していない話がいくつも並んでいた。投稿しなかったのは理想と現実のギャップに苦しんだか、フォロワーが減ったせいだろう。


 一応、投稿してみるか。


 またフォロワー数が落ちるかもしれないが、一日ぐらい大目に見てくれるはずだ。投稿時間もろくに考えず、すべて公開してから家を出た。


 ***


 電車に揺さぶられながらSNSを見る。大学の講義で出来た友達は夏休みを満喫しているようで、次々に海やカフェの写真が流れてきた。写真は流れてこないが、今頃サークルのオタ友たちは聖地巡礼をしている頃だったと思う。こうしてみると、俺は何一つ夏休みを謳歌できていないように見えた。


 俺も執筆から離れたらこんな生活ができるのだろうか。


 つい、考えてしまう。夏休みに入ってからは四六時中家に引きこもって小説を書いていた。大学入学を機に一人暮らしを始めたおかげで、そのことを咎める親はいない。自由過ぎて逆に執筆に縛られるような生活。


 しかし成果はきちんと出た。投稿頻度を増やしたおかげで多くのPV数を獲得できたし、今のシリーズは歴代最高峰の伸びを見せている。頑張りはちゃんと評価されている。だというのに、この虚無感はなんだろう。


 小説を書いているのに、書いていない。矛盾した思考回路が頭を覆い尽くす。


 あれ、なんで俺は小説を書き続けているんだ?


 揺れていた電車が止まり、目的地に到着した旨を知らせるアナウンスが耳に入る。ドアが開いたと同時に下りると、数分歩いて目当ての本屋に足を踏み入れた。


 外の灼熱地獄から出迎えられるように冷たい空気が俺を包み込む。先程まで搔いていた汗も嘘のように引っ込むのを感じながら、ラノベコーナーへ向かった。とあるレーベルの棚へ行き、一冊の本を手に取る。


 そう、俺はこの本のためだけに蒸し暑い外までやってきたのだ。


 やっぱり紙の本は最高だ。手で実際に触れることでそこに本があるんだと感じる。電子書籍でも読めはするが、やっぱり本として実物を触れるのは嬉しかった。いつか俺の小説も……と考えてはいるが道のりは遠い。


 そういえば、最近はどんな小説があるんだろうな。ラノベコーナーに収まった本のタイトルを読み続ける。ネット小説で有名なもの、新人賞に応募して結果を出したもの、又はその作者の別作品など、様々な本が並んでいる。もちろん、そこには自分より読者受けをする作品しかない。だからタイトルだけでも勉強にもなった。


「――ってこれ……」


 思わず手に取ってみる。初めて見るタイトルだった。感動系と青春系ばかりを出版しているレーベルで、表紙には可愛らしい女の子が涙を流している。しかし注目すべきはそこではない。


 左下に小さく記された著者名。それに見覚えがあった。約一年前、共に同じジャンルの小説を書き、話し、アドバイスしあったネッ友のペンネーム。まさかと思いSNSで調べてみる。


 ……同じだった。プロフィール欄には、代表作として俺が手に持っている本の名前が紹介されてある。お互いにPVを稼げていなかったけど、コイツは最後まで自分を貫いて結果を出したらしい。


「よく、頑張ったな」


 自然と口からこぼれ出ていた。先に書籍化していく連中は見ていて嫉妬しか生まれないが、この作品は見るだけで胸が温かくなる。この想いを静かに噛みしめて俺はレジへ向かった。


 ***


 気付けばネッ友の小説は読み終わっていた。


 電車で十数ページ読んだら心を掴まれ、家に帰ってからは昼飯すら食べずに読んでいるうちに捲るページがなくなったのだ。読了の達成感で、全体重を椅子に預ける。


 涙を流すことはなかったが、物語には感動したし、主人公たちが最後に救われたのは胸を打たれた。もう少し涙腺が緩かったら泣いていたと思う。


 ただ、それ以上に俺は文章に惹かれた。とにかく著者が楽しんでいることが分かり、読者にもその楽しさが伝わる文章。見ていて勇気の貰える小説だった。


「よし、俺も書くか」


 いい小説を読んだおかげで創作意欲が高まった。PCを起動して小説サイトにログインする。今なら最高の話が書ける気しかしない。


 そこで新たな感想の通知が目に入った。電車でも今日の感想を確認していたが、数時間でまた新しいものが来たらしい。


 マウスを動かして感想を眺める。その中の一つ、違うタイトルの小説のものがあり、思わず目を見開いた。


『お久しぶりです。最近こちらの投稿がなかったので心配していましたが、続きが投稿されて安心しました。私が好きな小説の一つだったので良かったです。続きを楽しみにしています!』


 今朝投稿した、流行に乗ってない俺が好きで書いた小説のものだった。


 目頭が熱くなる。そうだ、そうだった。


 ずっとPVに夢中で、他人からの評価ばかり気にして忘れていた。俺は自分の好きを表すために小説を書いていたんだ。


 一つの感想で有頂天になったあの頃。自分の小説を面白いと言ってくれる人がいて、俺の好きな作品を待ってくれている人がいた。それだけがモチベーションだったはずなのに……。


 いつの間に俺は数字ばかりを気にするようになったんだろうな。手元にある小説が視界に入る。


 まだやり直せるだろうか。また、始められるだろうか。


 今でも人が離れるのは怖い。少しずつ減っていく数字を見るのが怖い。誰からも見られないのは怖い……けど。


 待ってくれる人がいるのなら、書き続ける。それが小説家ってものじゃないのか。


 震える手でマウスのカーソルを合わせる。そうして開いた画面に返信を書き始めた。

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