ナイターと愛読書

阿部蓮南

ナイターと愛読書

 あの曲に出てくる「クラッカージャック」って、日本の球場に売ってるのか知らない。「私を野球に連れてって」をちゃんと英語の詞で歌いながら、地上に出る。二時間後は、この空に風船がたくさん舞ってるのかな。そんな光景も久しぶりなんだよな。

 チケットは個別の支払いがしづらくて、その点ひとりは楽だ。フル充電のまま切っていたスマホをオンにして、チケットの画面を起動した。午後六時前のほどよい暗さの街は、「今から行く」の意思表示に満ちている。この画面が、共通言語みたいで好き。私は今から行きます。今日は三塁側です。

 あ、選手のポストカードをもらってしまった。クラッカージャックのはちみつが好きな子どもの心を持って、大声で応援できたなら。朝のパンケーキの気分、続いてほしかった。暑い、塩気が欲しい。

「ビッグフライドポテト」

この注文で、私の衝動性だけが子どもに変わった。小さなワゴンに置かれた、ジェット風船とポンプのセットをレジに運んでいた。


 ドームの屋根の向こうも突然見えてきて、これを「天高し」と言いそうで。ここに吹く海風にも名前をつけて、あわよくば季語にしたい。春から秋まで使える季語なんて、反則かもしれないけれど。この涼しさに、ジェット風船を買った満足感も増していく。通路側の席で外側にもたれる。

 この地域の水って、どこよりも澄んでいる。本当は裸眼で見たいなんて言えない。しゅわぁとするビールはまだ飲めない。二十歳になったら、推しの選手にビールをかざして「君に金メダル」とか言ってみたい。ポテトの油が輝くのを見ていたら、開始時刻になった。

 

 視界にオペラグラスを乗せる。普段は水族館で使っているもので、この広さには敵わない。私の購買意欲も、意外と無力らしい。それでも、あの選手と同じものが欲しくなる。愛読書をお揃いにして、大学で使うリュックにずっと入れたい。初球から振ってる君は、きっと優しいミステリーが好きだ。手汗をつけないように読んでいるはずだ。甘い妄想をする体にポテトを三本。彼はフォアボール。

 彼だけが帰ってきて、攻守交代になった。澄んだ水をちゃんと飲んでほしい。このポテトの箱に沈んだ塩も分けたい。ゆっくりとサードにつく彼に、声ではない力をあげたいと思っていた。よし、球場で食欲が無限になるこの私が、あなたの分まで食べようじゃないか。一回の裏、私の買い食いは、マップの二番、唐揚げ屋さん。

「八個入りをひとつ」

先頭バッターはファウルを繰り返していた。絶対音感なんてないのに、鮮明な音階を感じた。あれは応援歌の最初の音と同じ。センターの人が取ってくれたらしい。彼の守備は、まだ光ってないな。サードだけに夢中になる時間を与えてほしい。セカンドゴロが再放送されるような生活だ。


 二回の表、彼が打たないからって退屈するのは本来ファンじゃない。距離を取って座ることのなくなった球場。そして私は、集客と数学の関係がわからない経済学部生。ボールの飛び方なんて、高校時代に何よりも避けていた。でも「女の子は文系」の言葉は嫌いだった。少しだけ使う数学に、苦しめられて、癒されている。三塁まで行ったのに、ここでアウトなんて。ちゃんと悲しくはなっていた。

 守備につく彼を、私のミステリーに入れる。あのダイヤモンドが檻なら、勇気を持って斜めに破っていくだろう。ファーストへの送球が確実だって、彼をアイコンにした人が言っていた。今の彼は立体だ。やっぱりうまくアウトを取ってくれる。


 四回の彼は、大きく空振りをした。急な変化は誰だって苦手だし、大学について行けない私もここにいる。


 得点に変化がないまま、五回までの時間が過ぎた。あの女子高生グループは、みんなツインメガホンを持っている。多感な時期は、音で主張したくなるよね。それでもあの子たち、ダンサーみたいに輝いてる。自分と戦う以外の青春って、たくさんあるんだな。絵を描くように、手だけを動かして小さく踊る。


 別に得点を取ってくれる未来とか描いてなくて。六回の裏、私のデザートは、スイングしたい長さのチュロス。中にはチョコレート、球団からの友チョコと思いたい。お返しをする風船の出番が来る。

 前奏の間に急いで膨らませた。レモンのような丸みの風船が、応援歌の子音までを反射している。選手たち、フルーツは食べるのかな。果物図鑑は、種類ごとに体への影響を書いてほしい。この風船は、この後を闘う力になってほしい。


 九回の表、彼の打席。自分の一番大きな目で見たい。オペラグラスを出す暇もなく、球にぎゅっとピントを合わせた。打って、伸びて、右中間に飛んだ。走る姿は、凛々しい花だった。あんな風に、私を野球の世界へ連れ出してくれるんだ。ダブルプレーを決められた瞬間、彼は小さく私に、じゃないかもしれないけど礼をした。

 相手はセンターフライが続いた。彼の一点で始まった試合だから、彼の守備で決めてほしい。そう思った二秒後、サードからダイヤモンドを突っ切っていくボールが見えた。歓声の中で、私はスマホの買い物リストに一冊の本を入れた。


 球場を出て、地下鉄に乗った心で延長戦を始めた。ターミナル駅の手前で降りて、三階建ての建物に入った。これ全体が本屋さん。癒されるミステリー小説を探した。

『青年と寒卵』

きっとこれが二人の気持ちに合う。彼のオフシーズンは、卵に栄養が詰まっている。

 彼が野球の世界にいる季節なら、私はいつだって応援する。

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ナイターと愛読書 阿部蓮南 @renalt815

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