第33話 運動会を見守る夫婦

 朝食を終えた後、私たちは一階の酒場に降り、掲示板の前に立った。

(えぇと、今日は猫型魔獣クタント鴉型魔獣ウロックと、兎型魔獣ラティブ……)

 すっかり慣れた手つきで依頼書を剥がそうとした私の手を、横合いから伸びて来た別の手が止めた。

「それ、取ったらアカン」

 パティは小声で言って、私の手を『兎型魔獣ラティブ退治 ウルホ湖 7000カヘ』と書かれた紙から遠ざける。

「なんで?」

「なんでて、アンタがよぉ知っとるやろ。そこにコリン連れてったらどうなるか」

(あ)


 そうだ。

 兎型魔獣ラティブにコリンを近づければ、吸収されてしまう。完全な形の魔石ケントルだけを残して。そうなると、討伐の証である砕いた魔石ケントルを提出できなくなるのだ。

 正確には提出できなくはないが、裏ルートで高値が付くものを、わざわざ砕いて格安で売り払う羽目になってしまう。

「えぇか、どこで兎型魔獣ラティブが出現したか、場所だけこっそり記憶しとき。依頼は受けんな。依頼とは関係ない所で討伐して、石を稼ぐ」

「分かった」

 私たちはコソコソと頷き合い、掲示板の前から離れる。

 依頼を受けて現地に赴いた魔石ケントルハンターが空振りすることになるが、そこは心の中で謝っておいた。


「おぉい、アリス!」

 背後から、マスターの声が追いかけて来た。

 その手には、先ほどの兎型魔獣ラティブ討伐の依頼書がひらめいている。

「こいつも頼むぜ。お前さんなら問題なくいけるだろ」

「えぇと、それは……」

「あー、アカンアカン!」

 パティは私の肩に手を回すと、マスターに向けてもう片方の手をぱたぱた振る。

「その依頼は、アリスらには荷が重いて」

「そんなわけないだろう。この間だって、依頼を完遂していたぞ?」

「今日は無理なんやて。そんじゃ行ってくるわ」

 まだ何か言いたそうなマスターを振り切り、私たちは『金の穂亭』を出た。



「あの依頼を誰かが受ける前に、ウルホ湖に行っといで! 他の依頼はそれが終わってからでえぇ」

 広場に着くと、パティは店を広げた。

「依頼を終えたらここに戻ってぃ。ウチはここで商売しながら待っとる」

「分かった」

「裏の換金所には、ウチと一緒やないと行かれへんからな。自分らだけで行こうとしても無駄やで」

「!」

 彼女の言葉に、先日あの店に到達できなかったことを思い出す。

「パティ、それって……」

「説明は帰ってきてからや。早くウルホ湖行かんと、誰かが兎型魔獣ラティブを先にやっつけてまうで!」

 犬でも追い払うように、パティは私に向けて手の甲をシッシッと動かす。

 少しムッときたが、確かに獲物を先に狩られてしまってはまずいと思った。

「分かった。行こう、レオポルド、コリン!」



「行っくなのーー!!」

 目的地で標的である兎型魔獣ラティブを発見した瞬間、コリンは元気よく駆け出した。

 危険を察してか、白い魔獣たちは慌てて逃げ出す。

「あははは、待て待てなのー!」

 コリンは心底楽しそうに兎型魔獣ラティブを追いかけ回す。一定の距離まで追いつかれた兎型魔獣ラティブは次々と光に変わり、コリンの中へと吸収されていった。

「絶対に逃がさないなのー!」

 きっと、コリンの通過した場所には、完全な形の赤い石が落ちているのだろう。


「あとで全部きちんと回収しなきゃね。誰かに拾われたら大変」

「そうだな。自分たちがいれば、見落とすことはない。安心しろ」

「うん、頼りにしてる」

 元気に駆け回るコリンを二人で見守りながら、私はふと思う。

(なんだか今の私たち、子どもの運動会を見ている夫婦っぽくない!?)

 レオポルドと夫婦、そう考えただけでドキドキしてしまう。

(子どもの運動会を見に来る夫。いつものスーツ姿とは違うラフな格好だけど、元々の体格がいいから普段と違う魅力があって……)

 ほわんほわんと妄想に浸る。徒競走で頑張るコリンに声援を送る私たち。シートを敷き、一緒にお弁当を食べる私たち。


 ハッと我に返ると、レオポルドが私をじっと見ていた。

「な、何?」

「アリスが笑っているな、と」

「そ、そう?」

 よだれが出てなかったか、慌てて口元を確認する。

「アリスが幸せそうだと、自分も嬉しい」

(ぴゃあぁああ~っ!)

 優しく細められる目、その陰で光る翠がかった金色の瞳、甘く静かなビターボイス!

(はぁあ、こんな理想を具現化した存在と、私は今、並んで立っている!! 同じ空気を吸っている!!)


「そ、そうそう」

 このまま妄想に浸っていると頭が沸騰してしまいそうだったので、私は意識をコリンに向ける。

「魔獣と言えば、人を見れば襲い掛かってくるものだと思っていたけれど。あの兎型魔獣ラティブはコリンから逃げるのね」

「自分らは、仲間である魔獣の気配はすぐ分かる。兎型魔獣ラティブにとって、コリンはよく知る気配を持ちながら、自分たちを狩ろうとする謎の存在だ。近づきたくないのだろう」

「吸収されちゃうしね」

「あぁ」

 その時、私の指先が獣毛に覆われたレオポルドの手に当たる。

(あっ)

 引こうとした手は、素早く大きなてのひらにすくわれていた。ごく自然な動きで私たちの手は、指を互い違いに絡めた形に結び合う。

(これって、恋人繋ぎ!)

 ドキドキしながら、隣に立つイケ獣人をそっと見上げる。レオポルドは満足気に目を細め、遠くへ視線を向けていた。

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