第13話 マーキング

 宿に戻り依頼完遂をマスターに報告し、食事を終える。部屋に戻ったパティは大荷物を抱えると、すぐさま階下へ降りて行った。今日も宿泊客相手に店を開くようだ。

(今日の魔石ケントルハンターでの稼ぎも、食事でほぼ消えちゃったな)

 そしてまた、宿代と明日の朝食代で借金はかさんでいく。

(パティは借金を返すまで私たちを逃がさないと言ってたけど、私たちと一緒にいればいるほど、彼女のマイナスもかさんじゃってるよね。いっそ放り出した方が、マイナス値もここで留められるだろうに、なんで私たちを見限らないんだろう)

 そんなことをぼんやりと考えながら窓の外を見ていた時だった。

「アリス」

 甘いビターボイスが耳元をくすぐると同時に、漆黒の腕が私を背後から抱きすくめた。

「レオポルド!?」

「……」

 暖かな吐息が首筋をかすめる。

「どうしたの、急に」

「今しばらく、このままで」

(ひょえぇ……)

 窓にはレオポルドに抱きしめられた私が映っている。目を泳がせ、赤い顔をして。レオポルドはと言えば、うっとりとした顔つきで私の髪に頬を摺り寄せている。

(あばば、やばいやばいやばい!)

 鼓動がどんどんと早くなる。もはや体全体が心臓になってしまったかのように、彼と触れている部分がドクッドクッと脈打っている。頬は燃えるように熱い。このままでは血液が沸騰してしまいそうだ。

「れ、レオポルド? しばらくって、いつまで?」

「……今日、貴女が猫型魔獣クタントを抱きしめていた時間と同じだけ」

(えぇええ!?)

 結構長かったはずだ。魔獣人化するのを信じ、姿勢を変えたり色々試していたから。

 目を落とせば、私を優しくいましめる逞しい腕がある。背中には彼の体温が伝わってくる。

(あ……)

 血が頭に上り過ぎたのか、足元がふらつく。けれど体に巻き付いたレオポルドの腕が、私を逃さない。

「アリス」

 体の奥から甘くとろけてしまいそうになる、レオポルドの声。朦朧となった意識の中、彼はゆっくりと私の体を反転させる。そして向かい合う姿勢になると、レオポルドはもう一度私をきつく抱きしめた。

(びゃあぁあああ!?)

 もう、何が起きているのかわからない。

 背中に回った手がじわじわと上へ移動し、私の後頭部を撫でる。そしてスルリと髪をひと房すくうと、そこへそっと口づけた。

(あぁああぁああ!?)

 推しの現身とも言える存在からの、甘いマーキング行為。高ぶりが限界に達した私の頭の中は、真っ白に染まる。その中で極彩色の光がチカチカと舞っていた。

 やがて浮遊感があり、景色がくるりと回ったかと思うと、私はベッドへと横たえられていた。

(えっ? えっ?)

 ぎしりとマットの沈む気配。私を覗き込むレオポルドの向こうに天井が見える。

(これって、まずい体勢じゃない!?)

 嫌じゃない、嫌じゃないですよ?

『けもめん』プレイしながら何度も夢想したシチュエーションだ。私だって大人だし、彼とこういう関係になるのもやぶさかではない。

(でも、まだ心の準備が出来てないと言うか! このまま進んじゃいけない気がすると言うか! すっごくいけないことしている気がすると言うか!)

「アリス」

 少し掠れた低い声と共に、艶やかな獣毛に覆われた漆黒の手がこちらへ迫る。

(あぁっ!)

 私は思わず身をすくめ、両手で目を覆った。


 私に届いたのは、ぽん、と頭に触れる優しい手の感触だった。

(え……?)

 恐る恐る目を上げる。

 レオポルドは優しい眼差しを私に向けていた。

「ありがとう、ようやく満たされた」

「満たされた?」

「あぁ」

 レオポルドは厚い胸に自らの指先を添える。

「ずっとこの辺りが妙な感じだった。モヤモヤするような重いような、空虚なような。貴女が猫型魔獣クタントを抱きしめるのを見てから、ずっと」

「レオポルド……」

「なぜ、貴女にかき抱かれるのが自分ではないのかと、そこにいるべきは自分であるはずだと。そう思うと……」

 ペリドット色の目に切ない光が揺れる。

「自分が抑えられなかった。怖がらせてすまない」

「あ、え? うん、大丈夫」

 私はベッドから身を起こし、正座をするとレオポルドを見る。

(もしかしてレオポルド、猫型魔獣クタントにヤキモチ妬いたってこと?)

 愛しさが胸に突き上げ、思わず頬が緩んでしまう。

(可愛い……!)

 私はレオポルドの頬に両手を添え、こつんと額を当てた。

「アリス? なぜ笑う?」

「なんでもない」

 ケモハーレムもいいけど、レオポルドただ一人に大切に想われる生活も悪くない、そう思った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る