第2話 本性露呈

(気持ちいい!)

 BBQエリアと管理小屋の間は渓谷によって隔てられ、そこには吊り橋がかかっている。吊り橋と言ってもしっかりとした手すりがあり、足元も幅広の板が敷かれているため、両手が物でふさがっていても安心して渡れる造りになっていた。橋の下では渓流が心地よい音を立てている。そこから立ち上る目に見えぬミストは、橋を渡る者に香気と涼しさを与えていた。

(BBQでもレオポルドと一緒なら楽しいんだろうな)


 限定衣装の推しが肉を焼く姿を想像しつつ、吊り橋の半ばまできた時だった。

有寿ありすちゃーん!」

 名前を呼ばれふり返る。橋を揺らしながら小走りでやってきたのは、神室かむろさんだった。

「やっと追いついた!」

 笑いながら、神室さんは私のパーソナルスペースに躊躇なく踏み込んでくる。

「なんでこんなところにいるの? 手洗い場はあっちだよ? さ、おいで」

 言って私の手首をつかむと、元来た道を戻ろうとする。

「え? あ、ちょ!」

「有寿ちゃんって方向音痴? 可愛いなぁ」

「……」

 もし私が一般的な感覚を持っていれば、彼は魅力的な人に思えただろう。けれど残念ながら、私は違うのだ。

 神室さんにつかまれた手を、やや強引に引き抜く。

「有寿ちゃん?」

「ごめんなさい、道を間違えたわけじゃないんです」

「え? じゃあ、散歩がしたかったの?」

「管理小屋に戻りたくて」

「管理小屋?」

「そこなら電波マシだから。ゲームしようと」

「あぁ」

 クスクス笑いながら、神室さんは更に身を寄せてくる。

「本当にゲーム好きなんだね。分かった、俺も一緒に行くよ」

 形のいい口がスッと私の耳元に寄せられる。

「2人で抜け出すのも悪くないね」

「っ!」

 私は囁かれた側の耳を押さえて一歩距離を置く。肌が粟立っていた。

(そうじゃない!)

 正直この人にこれ以上関わりたくない。興味がないのもそうだけど、彼は岡名おかなさんのお気に入りだ。2人で抜けたと彼女が知れば、恨まれ睨まれ、職場での風当たりが強くなる。同僚の中でもリーダー格である彼女を敵に回したくない。

(明日からの平和な職場生活のためにも、この人とは距離を置きたい)

 私は意を決し、神室さんに向き直った。

「神室さん」

「ん? なに、有寿ちゃん」

「私、人の男に興味ないんです」

「え?」

 笑顔のまま、神室さんが固まった。

「女性がいいってこと?」

「違います、ケモノがいいんです」

「ケモノ?」

「聞いたことありませんか、ケモナーって。獣人って言う、動物と人間の半々の姿をした空想上の生物が私の恋愛対象。そういう性癖なんです」

「性癖……」

「『美女と野獣』で、野獣が王子様になった瞬間ガッカリしたタイプです。中身で好きになるとかじゃなくて、あのビーストの見た目じゃなきゃときめかないんですよ」

「……」

「だから、こんなおかしな私のことなんて放っておいてください」

 よし、言った。ここまで言えばさすがにキモいと……。

「へぇ、そうなんだ。奇遇だね、俺も猫耳とか割と好きだよ? 今度2人で、そういう仮装系のイベントとか行ってみようか」

 すごい、くじけない! そうじゃない!

 こんな特殊性癖にまで話を合わせてくれるなんて、いい人なんだろうとは思う。

 思うけど。

「私、イケメンにケモ耳しっぽ付きは、好みじゃありません。それが好きな人もいますけど。私は全身獣毛に覆われて、頭が動物の形をしているタイプじゃなきゃダメなんです。だから……」

 私は神室さんに一礼する。

「ごめんなさい。私に構わず、みんなのところに戻ってください」

 神室さんは口を閉ざす。沈黙が続いた。川のせせらぎの音だけが耳に届く。やがて神室さんは、「そっか」と残念そうにつぶやいた。

(わかってくれた?)

 ホッと息をつく。だが次の瞬間、私の体は神室さんによって高々と持ち上げられた。

「きゃ!?」

 吊り橋の手すりよりも上の位置まで吊り上げられる。

「何を!?」

 神室さんは薄く笑うと、私を手すりに座らせた。

「あぶなっ……!」

「俺ってさ、SかMかっていうとSなんだよね」

「何の話!?」

「先に特殊性癖の話を始めたのは、有寿ちゃんだよ?」

 な……。

「下ろして! 落ちる!」

「怖い? でも俺、有寿ちゃんの怯えてる顔、結構好きかも」

 言って神室さんは足を使い、吊り橋を揺らした。

「やっ……!」

 慌てて手を伸ばし、神室さんの襟元を掴む。神室さんはそんな私を見て、満足そうに目を細めた。

「ねぇ、今、有寿ちゃんの命は俺が握ってるんだよ? どんな気持ち?」

 どんな気持ちって!?

(意味わかんなくて、腹が立ってるよ!)

 私が黙っていると、神室さんはまた足元を踏みしめて吊り橋を揺らす。

「ひっ!」

(まさかコイツ……、文字通りの『吊り橋効果』狙ってる!?)

 恐怖のドキドキを、恋による胸の高鳴りを錯覚させるというアレだ。

「怖かったらさ、俺にギュッと掴まっていいよ? そしたら下ろしてあげる」

(はぁあああああ!?)

 さっきまで好青年だと思っていたけど、取り消し!! こんなの完全に脅迫だ! 本気で落っことす気はないだろうけど、こっちが怯えてるの見て楽しんでるよね? サイコパス! 最っ低!

「ほら、俺にしがみついて? それから『神室様、助けて』って言ってみて?」

(ふっ、ざっ、けっ、んっ、なっ!!)

 生殺与奪の権利を握ったこの状況に、この男は陶酔しているように見えた。

(この、自覚なしDV野郎! 最悪! でも、どうすれば……)

 心もとない吊り橋の手すりの上で、必死にバランスを取りつつ耐えていた時だった。

「神室君!」

 こちらに向かって歩いてくる岡名さんが見えた。

「そんなところで何を……、不破ふわさん?」

「助けて、岡名さん!」

 チャンスとばかりに私は叫んだ。

「落とされる!」

「えっ、神室君がなんでこんな……」

「あ、あはっ、違うんだって~」

 神室さんの表情が、元の穏やかなものに戻る。だがその瞬間、私を支える彼の手が緩んだ。

(え……)

 あっという間にバランスを崩し、私の体は後方へとひっくり返る。

「きゃあっ!?」

「しまった!」

 空中に投げ出され、体は渓流に向かって吸い込まれてゆく。

(ここの川って……)

 子どもの膝ほどの深さしかなかったはずだ。落下してきた人間を衝撃から守ることなど、無理だろう。きっと私の体は、ごつごつとした川底に叩きつけられる。

(私……)

 急激に意識が遠のく。

(限定レオポルド引きたかった……!)

 推しの顔を思い浮かべながら、私は真っ黒な世界へと飲まれていった。

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