第1話 気まずいBBQ

 ――半年前、日本

(うぅ、電波状況よくないな)

 開放感あふれる山の中。『呉天谷ごてんだにキャンプ場』と看板のかかった管理小屋前で、私はスマホを見つめていた。視線の先には『ダウンロード中』と書かれたバーがある。

 今日からお気に入りのソシャゲ『けもめん』のイベントが始まる。しかも、推しである黒豹獣人のレオポルドがメインのシナリオだ。

(なのにどうして!)

 せっかくの休日にこんなところに来なきゃいけないのか。

(あ、止まった! も~っ! やっぱり自宅じゃないと厳しいよ)

 動きを止めたバーにやきもきする。


『けもめん』とは、獣人男子で構成された軍の指揮官となり、魔王軍と戦うといった内容の女性向けRPGだ。女性向けでケモ男子というと、人型の美形に動物の耳と尻尾の付いたキャラであることが多いが、『けもめん』は違う。獣:人の割合は6:4くらい、フォルムは獣頭人身、その身は獣毛に覆われているという絶妙な造形なのだ。女性向け作品では滅多にお目にかかれない、ニッチな作風。だからこそ、この奇跡的な作品を私は心から愛していた。


(あ、出来た!)

 ダウンロードのバーの表示が100%となり、ゲームを始められる状態となる。

(よぉし、早速ピックアップガチャ!)

 今回のイベントストーリーの舞台はカフェ。最推しレオポルドのカフェエプロンバージョンを引くため、あらかじめ3万課金しておいた。真面目な軍人の彼が、接客業の衣装を身に着ける、そのアンバランスがたまらない。

(お願い、レオポルド、来て! 限定レオポルド! 来ぉい!!)

 想いを込めて、10連ボタンに触れようとしたその時だった。

不破ふわさん、こんなとこまで来てゲームなんかしてんの?」

 呆れたような声にふり返る。そこには会社の同僚女性が3人並んでいた。

 その背後には、薪や食料の入った袋を手にした4人の男性が立っている。

「オタクくさいよ、やめたら?」

 リーダー格の岡名おかな由芽ゆめが鼻で笑い、とげとげしい声を私に投げかけてくる。

「……そだね」

 私はゲーム画面を閉じ、スマホをウェストポーチにしまった。

有寿ありすちゃん、ゲーム好きなんだ?」

 立ち上がった私に、一人の男性がにこやかに話しかけてきた。

(今、下の名前で呼ばれた?)

 一般的に「イケメン」と評される顔立ちだろう。

「俺もゲーム結構やるよ、気が合うね」

 男はごく自然な動きで私の腰に手を回してくる。

(ぅお!)

 私はすんでの所でそれを躱す。きょとんとなるイケメンにお愛想程度に笑顔を返すと、先を歩いていた岡名さんたちの後を追った。

(苦手だ、距離感バグってる人……)

 紳士的でストイックなレオポルドは、こんな真似しない。まぁ、レオポルドなら大歓迎だけど。

 私たちは管理小屋を後にし、吊り橋を渡るとBBQエリアへ移動した。


「うぉーっ、肉―!」

 バーベキューコンロを前に、テンションを上げる男性陣。

「煙、すっげー!」

「脂、やばいよねー。燃えてる」

 同僚たちはかいがいしくビールを用意し、彼らに手渡す。

 きゃあきゃあと嬌声を上げ、男たちに体を押し付けながら。

(帰りたいな。乗り気じゃないBBQって、苦痛……)

 彼らと出会ったのは先日の合コン。私は数合わせとして、強制的に駆り出されたのだ。普段そこまで親しくもない、会社の同僚たちによって。場は予想以上に盛り上がり、「次はみんなでBBQしようよ」ってことになったんだけど。

(なんで私まで……)

 そもそもが数合わせの参加だったのだから、私は彼らにあまり興味がない。実は名前すら覚えてない。

(なのに岡名さんが……)

 ――神室かむろ君が、あんたが来ないならBBQやらないって言ってるの! だから、絶対に来なさいよね。私たちのために――

(神室って誰?)

 だいたい半ば無理やり参加させておきながら、扱いが酷くぞんざいだ。岡名さんを始めとする女性陣の、私に対する口調は冷たいし、目つきは厳しい。

(居心地、悪)

 本来なら今日は、家でゆっくりと「けもめん」のイベントを迎えるはずだった。お気に入りの紅茶を淹れて、お菓子を用意して。

(はぁ、帰りたい)

「ほら、有寿ちゃん!」

 名前を呼ばれ我に返る。さっき管理小屋の前で私に触れようとした男が、肉を乗せた紙皿をこちらに差し出していた。

「焼けてるよ。こういうのは遠慮せず、どんどんいこ」

「うん。ありがとう」

 皿を受け取ろうと手を伸ばす。けれど指が触れようとした瞬間、紙皿はひょいと引っ込められた。

(は?)

「有寿ちゃん」

 男は笑うと、箸で肉をつまみ上げた。

「食べさせてあげるよ。あーんして?」

「え? いや、自分で出来ます」

「いいから、ほら、あーん」

(ちょ……)

「不破さん!」

 岡名さんが鬼の形相で割り込んできた。

「さっきスマホ触ってたでしょ? ちゃんと手を洗った?」

「え? いや」

「ほらぁ、もう、汚いなぁ! スマホって雑菌だらけなのよ?」

 岡名さんはとげとげしい声を張り上げる。

「不破さんさぁ、手を洗ってきたほうがいいよ。神室君もそう思うよね?」

「俺?」

 あ、この人が神室だったんだ。合コンの男子サイドの幹事で、今回の主催者の。

「別に汚くないっしょ。それに、あーんして食べさせるから、問題な……」

「手洗い場、あっち! 食中毒起こしたらみんなに迷惑だから!」

 言いながら、岡名さんはぐいぐいと私の背中を押す。目尻を吊り上げて。

(なるほど)

 察するに岡名さんのお目当ては、この神室って人なのだ。だから、彼にかまわれている私が目障りなのだろう。

「そうだね。手、洗ってくる」

 未練のない私は、その場から離れる。むしろ、この空間から解き放たれることにほっとしていた。

「あっ、有寿ちゃん!」

 背後で神室さんが私を呼ぶ声が聞こえたが、無視してそのまま歩を進める。

(よし!)

 頭の中に、レオポルドのカフェエプロン姿が浮かんだ。

(このまま管理小屋まで行って、ゲームして時間をつぶそう)

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