第5話 貴族様のこと
等活地獄、黒縄地獄と案内されたがどちらも私が手伝えるような居場所はなかった。
「なかなか奥方様の合うお仕事見つからないね」
エンキが耳をぺたんと畳ませて残念そうにしていた。
等活地獄にいるはずのエンキだったが、ご飯を作ってくれたお礼とついてきてくれた。
次に訪れたのは衆合地獄。
ここの地獄にいる死人の方は、等活地獄や黒縄地獄と異なり血色がよく顔が細い男女の方々が多くいた。
「衆合地獄は邪淫の悪行が主となります。なので衆人はほぼ貴族が中心です」
貴族。叔父や私も身分として貴族に当たる。
婚姻で宮中の権力をつかむために、政略結婚をするのが当たり前だが、他人の思惑での婚姻で、夫婦仲がよいことはない。夜中、殿方や奥方が欲求不満解消のために夜這いのために宮中を徘徊することは珍しくもなかった。だから邪淫の悪行で地獄に落ちることは容易に想像できた。
叔父は地獄送りとは久鬼様からお聞きしたけど、邪淫の罪とは無縁な生活を送っていたからここにはいないはず。
「もしや顔見知りとお会いになるのが不安ですか」
「いえ、叔父はそれとは無縁でしたし。ほかに年上の貴族の方とはあまり会うことはなかったので」
「いるかもしれませんよ。此岸と彼岸とでは年月が経つ時間が異なります。例えば、こちらでの一日は人の四百歳にあたります。少し時間が経てば、奥方様より後にこちらに来られた方がやってくるはずです」
い、一日が四百歳。前世の感覚が地獄で溶けて消えてしまいそうなほどここでは通用しないことを改めて思い知らされた。昨日一晩寝てしまったから、私が生きていた時代の人はもうここに落ちているのかもしれない。
「ボクここ初めて来たけど、まだ刑場まで遠いのに、悲鳴が聞こえるね」
「犬だからよく聞こえるんじゃないですか」
「いえ、これは
「そんなに悲鳴を上げるとは、なんの罪を犯したのですか」
「兄弟姉妹を相手に手を出したものです。何を驚いていますか、ここはそういう地獄ですよ。そんなクズの集まりが衆合地獄です」
鬼庭様の眼鏡の奥から険しく汚いものを目撃したような目が映っていた。宮中の貴族は権力の拡大を目的とするため近親相姦に至ることも珍しくなかった。無論それが双方の同意のであるかなど、政略結婚であるため断ることなど婚姻の儀の前日でも口にもしない。
するとエンキが先に衆合地獄の中を進んで、私たちが来るのを待っていた。
「おーい早く早く。先に逝っちゃうよ」
「エンキ、楽しんでいるみたい」
「犬ですから、誰かの先に行きたがるんです」
***
衆合地獄というのは、ほかの地獄と比べると人体の穴に対して責め苦が多い。鬼庭様曰く、行為をするための中を洗浄するという意味合いがあるためらしい。
ここの獄卒の方たちは、大量の汗をかきながら死人の口の中に焼けた鉄棒を挿入していた拷問を行っていた。
「鬼庭様ここに私にもできる仕事はあるのでしょうか」
「実際に拷問を行うことはないでしょう。裏方の仕事もありますので、そちらに手伝いがあるか聞いてみましょう」
鬼庭様がその場を歩いていると、汗をかきすぎて赤面した獄卒が手を挙げて呼び止めた。
「鬼庭様、ちょうどよいところに。
「ああ、あそこですか。奥方様しばしお待ちいただいてもよろしいでしょうか」
「ええ、私は構いません」
「護衛はボクがいるから」
「本来の役目を他所の獄卒にお任せするのは遺憾ですが、ではお願いします」
ぺこりと鬼庭様が頭を下げて、赤鬼の方と向こうへと逝ってしまった。
「朱誅処地獄ってどんなところなの」
「たしか羊やロバとした人が投げ込まれるところだったような。最近そこに落ちる人が少なすぎるって聞いたことがある」
それはほぼ落ちる人がいない地獄だろうな。動物とするなんて奇特すぎるし、それが羊やロバとほぼ見かけない動物と致す人なんて。
鬼庭様が戻ってくるまで暇を持て余すため、しばらくエンキと衆合地獄を歩いてく。
「
「そうね。ちょっと聞いてみましょう」
鬼庭様がいないけど聞くだけなら、と
「すみません。手伝えることありますか」
「君、等活地獄の獄卒でしょ。ここは鬼の獄卒じゃないと扱えないから」
「ボクじゃなくて、こちらにいる奥方様。お暇だから何か手伝えることがないか探しているんだって」
「手伝えることがないかなんて、見ればわかるだろ。多すぎるんだよ。ここは
鬼庭様が呼ばれたのは獄卒の人員整理の直談判でもあったのだろう。ずいと
「俺はここの頭領の
「いえ」
「火あぶりは」
「いえ」
「灰責め」
「いえ」
「それじゃあ何もできないと同じだよ」
返す言葉もない。
そもそも拷問をするのがお仕事なのに、その補助だけするなんて身勝手もいいところだ。
「そんなことないって。ほら雑用とか任せてみたら。雑用に回されている獄卒の人の手が空けば、拷問できる人回せるじゃん」
「ううん。それもそうか。よし、じゃあそこに置いてある火責め用の鉄棒があるからそれを窯のところへ持って行ってくれ」
「オッケー、奥方様お仕事できたよ。行こう」
エンキの必死の説得で、やっと仕事を一つもらえた。
「ごめんなさいエンキ、お手伝いだけなんて無茶をお願いして」
「なんで謝るの。ボク奥方様ががんばっているの応援したいもの。それに、ご飯のお礼もしたいし」
パタパタ尻尾をはためかせるエンキの邪気のない笑み、見つめるだけで折れかけていた心が戻ってくる。
***
鉄棒はその名の通り先端に鉄がついている。この先に鉄に火を入れて、死人の方の肌に焼き当てる拷問の道具だ。しかしこの鉄棒、一本一本が重い。一つ両手で持ち上げるのでも大変なのに、二本三本と重ねると体が後ろによろけてしまう。
「重いよ~」
エンキも手伝おうとするけど、犬では口で咥える他なく一本しか持つしかできない。
「おーい早くしてくれよ」
「はい、もうしばしお待ちを」
獄卒の方に急かされて、今持っている鉄棒を持ち上げて窯のところまで移動する。持つだけで大変なのに、それを運ぶとなると余計に体がフラフラする。
「おふふぁははま、ふぁんはれ」
鉄棒を咥えながら、エンキが応援してくれている。頑張らないと。
やっとの思いで、窯のところにまで運び終えた。
「やっときた。ってこれだけ。もっと運ばないと間に合わないよ」
「あ、あの。荷車などはないのでしょうか」
「全部出払っているの。荷車で間に合わない鉄棒をお願いしているんだよ。はい次次」
荷車が戻る時間も与えられず、早々に鉄棒が置いてある場所へと追いやられる。鉄棒置き場に戻ってみると、さっきよりも冷めた鉄棒の数が増えていた。
これを手だけで運ぶなんて無理。でも運ばないと居場所の数が減ってしまう。心が折れそうになりながらも、先ほどと同じく一本、二本と鉄棒を手に持ち始める。
「おお、地獄に仏か」
のっそりと髭の生えた中年の男が這い出てきた。白の襦袢の下から覗く肌は拷問によるやけどで黒ずんでいていた。
「まさか道子。お主も地獄に落ちていたとはな」
にししと下卑た笑みを浮かべると、その死人の顔を思い出した。生前叔父を怨敵と睨み、私に婚姻を迫っていた貴族の男だった。
「な、人違いでは」
「違っててもなんでもよい。慰めよ。こんな地獄で責め苦続きだったのだ」
男は無理やり私の着物を脱がそうと力を籠めだした。突然のことで力が入らずのしかかられてしまう。すると男の体がぐいっと地面に引きずり降ろされていく。
「離せ、離せゴラ。焼いて食っちまうぞ」
「女、女ぁ」
危機を察したエンキが男の脚に噛みついて、私から引き剥がそうとしていた。けれど、男の執念は恐ろしく未だに私の着物を離そうとしない。邪淫の罪で拷問にかけられているというのに、まだこんな力が残っているなんて。
どうしよう。叫び声をあげても、周りの苦痛の叫びの声が大きくてかき消されてしまう。ほかの獄卒の方もいない。このままだとエンキが。
「道子。お前は私に抱かれてばよかったのになぁ、井戸で死ぬとはなぁ。篁の墓石の前で抱かれる姿を晒したかったのになぁ、ほかの女で我慢するほかなかったぁ」
「…………そのためだけですか」
私と婚姻を迫ったのは、叔父を辱めるためだけ? 権力が大きくならないように、叔父の子たちや摂政様に頭を下げて、回避に努めたというのにこの男は。この男は、こんな下衆だったなんて。
そうよ。この男はただの死人、何をしてもいいんだ。
ふらりと持っていた鉄棒を片手で持ち上げるとそのまま男の頭目がけて振り上げた。
「この
パコンッ!
人の頭にしては心地の良い音を立てて、破裂した。
男の手は急に頭部と体が離れたのに気づいたのが遅れたようで、まだ着物をつかんでいたが、しばらくしたらぼとりと体が地面に落ちた。
「奥方様、大丈夫? 怪我してない?」
「う、うん平気よ」
急に腰が抜けてその場に地面に腰を落としてしまった。
「おーい、ここに脱獄衆人が。いた!」
頭領の尾鬼様が倒れていた男の体に驚くと、いそいそと脚に縄を縛り始めた。
「いや、助かり申した。獄卒不足で衆人が逃げ出すことがよくあって、押さえつけても強く抵抗するのでこんな大人しくなるとは」
「奥方様がはっ倒したんだよ。鉄棒でバーンって」
「ほう、一撃で?」
「うん一撃で」
それを聞いた尾鬼様がまた私をしげしげと覗き見るように見つめてくる。
「奥方様、拷問やってみませんか」
「へ?」
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