第4話 地獄巡りのこと

 地獄の天気は相変わらず黒い雲で覆われていて朝も夜もわからない。けれども獄卒の方々が、ぞろぞろと閻魔庁に向けて歩いていることから今は朝なのだろう。

 しかしこの体は不思議なものだ。体は動くのに空腹も、体の怠さも感じないなんて。


 すでに閻魔庁には死人の列が成していた。久鬼様は今頃裁判の時間だろう。昨日の閻魔庁でのお手伝いを失敗してしまったため、ほかの地獄で手伝えることはないか鬼庭様が案内してくれる。


「では逝きましょうか奥方様。最初は等活地獄です」

「よろしくお願いいたします」


 地獄は八つの地獄に分かれていて、その一つの等活地獄は閻魔庁のすぐ隣にある。

 等活地獄の門を通り抜けると、閻魔庁では聞こえなかった死人たちの悲鳴や叫び声がはっきりと耳に入ってくる。


「すごい悲鳴ですね」

「慣れれば気になりません。しかしそれで閻魔様の奥方になるとは」

「叔父の遺言で。私も特に断る理由もございませんでしたので」


 女の婚姻は政治の道具として利用されるしかない。親、私の場合は叔父の指示で婚姻相手が決まるのが一般。なので遺言で決まっても当然のものであった。

 ただ生前、叔父が亡くなって四十九日が過ぎたある日叔父と争っていた貴族の男が私に婚姻を迫ってきたのは生理的に怖気が来た。


「どうせお主は独り身、小野家の者も権力が失いかけているからよい婚姻相手ではないかね」


 叔父が生きているときには、婚姻の話すらなく相手にすらしなかったというのに、叔父が亡くなってこの変心ぶり。叔父の息子たちも何も抵抗することもなく、あのまま井戸に落ちてなければ私は取り込まれていたのかもしれなかった。


「不幸なお方だ」


 鬼庭様が深くため息をつくと、眼鏡をくいと上げた。


「この地獄、娯楽も何もなく拷問と裁判しかない日々。閻魔様がそんな遺言を受け入れたのは、日々のお慰み程度です。気分一つで、離縁を申し渡されたら貴方の行き先は保障されませんよ」


 鬼庭様のご指摘は昨日の彼の「余興」という言葉からして相違はない。やはりどこかで居場所を作らなければいけない。


「こちらが等活地獄です。主な罪状が殺生を行った者が落ちる場所でございます」

「羽虫や蝿を殺してもここに落ちるのでしたね」

「正確には反省や供養をした者は落ちません。でなければ、多く虫を殺している農民全員こちら送りですよ」

「たしかに」


 昔、農地の近くを歩いているとき農民が虫の供養をしているのを見かけたことがある。虫の供養など大々的にしなくてもと思っていたが、畑を耕すときに大量に虫が出るから宮中の比ではない数の虫を殺生した反省の現れか。


 等活地獄には様々な刑罰で死人たちを責め苦を受けていた。沸騰した甕の中で煮詰められる刑罰、杖を鞭のように打つ刑罰、鉄火で焼かれる刑罰。どれも目を覆いたくなるぐらいに悲惨な刑罰で、悲鳴が絶え間なく耳朶を叩いてくる。


「こちら不喜処地獄でございます。ケンキ来なさい」


 ケンキ様と呼ばれてきたのは、茶色い犬でした。ただ、ふつうの犬と違い人の言葉を口にしていた。


「はーい。鬼庭さんだ。どうしたの? 異動? 書庫のお仕事今日お休み?」


 ケンキ様はグルグルと鬼庭様の足元を駆け回っては無邪気に聞いてくる。口をきく犬だと字面では不気味だが、所作が犬のままで人の言葉を使うと、愛らしさが増してくる。


「こちら、閻魔大王様の奥方になられた。何か手伝うことはあるか探しているのだ」

「え? 閻魔様の奥様! こんにちは、ボク、エンキだよ。角ないね。人? 人なの?」

「エンキ、待て。お座り」

「はい!」


 鬼庭様の一言でエンキはぺったりとお座りした。やっぱりここは犬と変わらないのね。


「先に、道子殿にここの仕事の教えるように」

「はい、えーっとね。ここの仕事は、ボクら畜生が衆人を食い殺すことだよ。ほら、あそこの鳩のドバさんとかもそうだよ」


 エンキが鼻先を向いた先には、鳩や狐が死人たちの肉を生きたまま食いちぎっていた。腹の肉や薄い背中の肉を食い破られるけど、食べられた肉はまた復活しては彼らに食べられるを繰り返していた。

 ここの仕事……できそうにない。けど、ここに連れてこられたからには、ほかにできることがあるかも。


「ここは肉食の畜生が担当するんだけど、奥方様は人だからできなくない? 始業開始の法螺貝係はもう埋まっているし」

「それは承知しております。なので彼らの世話などいかがでしょう」

「世話ですか?」

「はい、われら鬼や衆人は欲などはもうないのですが、彼ら畜生は欲がいまだ残っており、毎日食べたり寝たりするのです。閻魔庁でも彼らの食事係は人手が必要と聞き及んでいます」


 それなら、私でもできそうかも。


「食材はこちらで一通り用意しておりますのでご自由に」

「お鍋は」

「そこに空きの鍋があるのでご自由にお使いください」


 用意された鍋は人一人入れるほどの大釜で、ここにいる動物たちの分は余裕で作れそうな立派な大きさだった。その隣でぐらぐらと死人の方が煮立っていたのが視界に入らなければ鍋のことをなどを気にしなくてもよかったのだけど。


「何か食べれるものとかありますか」

「なんでも食べれるよ。できたらやわらかいものがいい」

「では食べられないものなどは」

「うーん。葱! 葱はみんなだめ。死ぬことはないけど、あれ苦いからみんな嫌い」


 やはり生前と同じく苦手なものは共通らしい。


 柔らかいものが好きとなると、粥のようなものがいいかも。それとエンキのような肉食の動物が多くいるから、肉も入れておいた方がいいかも。

 パチパチ豚の肉を焼いた上に先に炊いておいたご飯を混ぜ込む。そこに塩をいれて。


「炒飯ですか」

「みなさん肉を所望していたので。肉なら唐の国の料理がよいかと」


 遣唐使の方から、唐の国の生活を聞き及んでいてよかった。宮中の方は皆肉は禁忌として食べない生活をしていたから、みなさんの料理ができずにお手上げになるところだった。

 じわじわと焼きあがる米から肉が焦げる香ばしい湯気が立ち上がると、エンキ様が匂いに釣られて近づいてくる。


「いい匂いだね」

「もうすぐできますからもう少しお待ちくださいませエンキ様」

「エンキでいいよ。人の肉仕事で食べているけど、肉少ないしまずいから久しぶりにいいごはん食べれそう」


 可愛い顔して、人肉を好んで食べていたわけではないのね。とちょっと安心した。

 できた炒飯を平皿に小さな山をつくるように盛り付けると、エンキのしっぽが左右に早く降り出した。


「みんなごはんごはん」

「うまそう」

「俺が先」


 狐、サル、鳥などの動物たちが刑罰を止めて、一斉に炒飯の山にかぶりつきだした。


「ひゃあ、現世のご飯そっくりの味だ」

「昔人間から施された握り飯を思い出すな」


 うまい懐かしいと初めて作ったご飯は評判がよくて助かった。しかし皆さん私と同じ生前の記憶をお持ちになっている。みんな同じく死んで、ここにいるんだ。でもどうして極楽にいかなかったのだろう。

 ぺろりとまっさきに平らげたエンキにそのことを聞いてみた。


「エンキは極楽には逝けなかったの」

「ボクら畜生は死んだ後の逝き先を自由に選べるんだ。人の手で殺された畜生が、今までの恨みの仕返しに地獄に逝くのが多いけど、大半は現世に帰りたいから輪廻転生するんだ」

「……じゃあエンキは」

「ボクは極楽より、こっちの方が面白そうだから」


 そうキラキラと純粋そうな黒い瞳で答えてくれた。

 確かに恨み辛みが重なった目は無縁そうな目をしているね。でも一つお役に立てる場所ができてよかった。と使い終わった鍋を洗おうとした時鬼庭様に手を引かれた。


「では次も逝きましょう」

「次とは? あの、鍋が」

「彼らと遊んでいると、衆人たちに示しがつかなくなります。それにほかの地獄は、潜るごとに時間の経過が遅いので時間があまってしまいます。ほかの地獄の手伝いを探しましょう」


 どうやら私のお手伝い捜しはまだ続くそうです。

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