第2話 叔父、小野篁のこと
二つ角がついた鬼の鬼庭さん。
「どうぞこちらでお待ちくださいませ」
鬼庭さんが私に頭を垂れると、椅子に座るように促す。唐の国にある調度品というのは知っていたがどうやって使うものか。いつも畳の上にひざを折っているのが日常で、椅子というものを使い慣れてない。
「ああ、小野様のいた此岸では椅子はございませんでしたね。その上に臀部をお乗せください」
鬼庭様の指導により、やっと椅子というものに腰かけると、目の前の机にお茶が出された。お茶から立ち込める湯気からはまるで花のような香りが漂っていた。
どうも落ち着かない。
閻魔大王様の一声で急変して、判決もわからないままここに連れてこれらてしまった。二転三転する事態に未だ呑み込めず、淹れてくれたお茶に手をつけることなく、そのまま冷めてしまった頃合いに、閻魔大王様がいらっしゃられた。
赤い道服はそのままではあるが、頭の帽子は脱いでおり、帽子の中に隠されていた黒く垂れ下がる長髪が現れていた。黒髪は女の髪のように艶やかで、切長の目も相まって顔だけ見れば女と見間違いそうなほど美形だ。
「茶を飲まなかったのか。まさかお主、
「いえ、そういうわけでは。いただきます」
気を害してしまったかと、冷めてしまったお茶をはしたなくぐいっと一気に飲み干してしまった。漂っていたお茶の花のような優しい香りが口の中でふわっと広がり、体の芯が温まってくる。
「時に、お主は
「はい、篁は私の叔父でございます」
叔父の名前を口にした途端、ふいに閻魔大王様が笑い出した。
「やはりな。あすこから来るとなれば、あやつぐらいだが、一族ならさもありなん」
「叔父と何かありましたか」
「そうだな。お主の叔父とは、俺の補佐を務めていた。閻魔大王の補佐官としてな」
……ああ、本当だったんだな。と驚きなどは遠に過ぎ去っていた。
叔父篁は、参議として天皇の覚えめでたく宮中で辣腕を振るった。反面、性格の苛烈さと奇行から野狂と宮中では暗に広まっていた。その一つに、小野篁は夜な夜な井戸に降りては閻魔大王の補佐をしているとの話もあった。
ほかにも死者を蘇らせたなど人の範疇を超えた話に、一番そばで叔父のことを知っている私はうんざりするとともに、こんな話を広められて何もしない叔父に怒りを感じていた。
「
鷹揚に構えて、ふんぞりかえる叔父に不満を覚えながらも。一部とはどういうことか頭に引っかかっていたけど、今その答えが返ってきた。
「驚きはしないのだな」
「噂は聞き及んでいましたので」
「なるほど。ではこの文に見覚えはあるかな」
閻魔大王様の袖の下から取り出した文を受け取る。その字体と書き方は紛うことなく叔父のものであった。文を開いてみると、
『閻魔殿、生前の私めの罪で焦熱であろうが大叫喚であろうがお裁きに一切の口を挟むことも、貴方様のつながりを放言することもございませんことを誓います。ですが、生前の心残りとして貴方様が一人寂しく裁判をされることです。私めが補佐をしてない時、貴方様に生気がないことを憂いてました。お若い身の上でありながら、重責に押しつぶされること痛みいると誠に勝手ながら憂いておりました。
そこで貴方様の気を和らげるよう、私の一族の娘を嫁に差し上げます。
どうぞ娘が地獄に参られるまでお待ちくださいませ』
……嫁。
私はすでに十七、婚姻の儀はとっくに過ぎている年齢なのに死ぬまで
「お前が俺の嫁になるのは生前より約束されていたということよ」
「これは本当のことでしょうか」
「判決を申し出た後に、この文を直接渡して獄卒に大人しく連れて行かれた。俺の補佐をしたとあって、変わらず肝が据わっている男だった」
クックッと袖で口元を押さえて笑う閻魔大王様。
「娘のために極楽送りなどを懇願されたと思いましたが」
「極楽送りなど、篁が俺の補佐官であったとて簡単にはできん。それにお主の地獄行きは決まっていたからな」
「そうですか……え」
腹の中に溜まっていたお茶が逆流しそうになった。
地獄、決定。なにが原因なのか、思い返してももうどうしようもない。私は地獄いき。
「罪の重さから勘定して、逝き先は等活地獄の予定だが。でいかがする小野殿。篁の約束は守るつもりであるが、お主の考えを尊重したい」
閻魔大王様はそう言うけど、選択肢は決まっているようなものだ。
私の地獄行きは決まっていた。そうなれば鬼たちに何年、何百年と続く拷問の日々が延々と繰り返される。それよりも、閻魔大王様の嫁になるほうが。
もう腹を括るしかない、叔父が彼岸で私のために残してくれた救いの道を使わないと叔父の面目が立たない。
「不束者ではございますが、よろしくお願いします。閻魔大王様」
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