第5話
王宮から帰ったルツェリアを待っていたのは、優しい星の瞬きなどではなく雷だった。
自室に戻ることも許されず、父親であるバボシュ伯爵の執務室に連れて行かれる。
何人かのメイドや使用人とすれ違ったが誰も目を合わせることはない。ルツェリアがどういう目に会うか、知っているからだろう。
ルツェリアは心のなかで大きくため息を吐いた。
「婚約を破棄された上、魔封じを受けただと?」
「はい」
カチコチと時計の針の音が聞こえる。
執務室にはルツェリア以外の全員が揃っていた。父、母、兄に妹。食事も別に取っているため、顔を合わせることさえ久しぶりだった。
誰も寝間着に着替えていない。ルツェリアが婚約破棄された話は余程早くこの家に齎されたらしい。
もしかしたら、書面で通知が来ているのかもしれない。
眉間にシワを寄せ、口角から泡を飛ばす伯爵の姿は優雅とはかけ離れたものだ。
「お前はどれだけ私達を落胆させれば気が済むのだ」
「魔封じなど、罪人と同じ。あなた、色々考えなければなりませんね」
「魔封じだって……お姉様の唯一の取り柄だったのにね」
「花を咲かせれない時点で同じことだ」
落胆するほど期待もしていなかったくせに、勝手なことだ。
母、妹、兄と誰一人、ルツェリアを労る言葉をかける人間はいない。
涙など、もはや枯れ果てた。鉄面皮の言葉通り、この家でルツェリアの表情が動くことはほぼない。
「ブランカ様を庇ったとのことだが、お前に庇われるような人ではあるまい。大体にして親友だと思っているのはお前だけだろう?」
彫像のように直立しているルツェリアに、伯爵が鼻で笑って言った。
ぴくりと小さく肩が跳ねる。
あの王太子の婚約者になって唯一良かったのは、ブランカと知り合えたことだ。
そこに触れられることは、ルツェリアの中に残っている柔らかな部分を刺激する。
「この度はこのようなことになり、非常に申し訳ないと思っていますわ。次の行手も自分で考えます」
元から考えていた言葉を口にする。
深く頭を下げたまま、この嵐が去るのを待つ。
婚約破棄された時点で、この家にはいられない。いたくない。
「ほう。本来なら直ぐさま荷物をまとめて出ていってもらうのだが……私も鬼ではない。一週間猶予をやろう」
「ありがとうございます」
一週間。
普通の貴族令嬢であれば、泣いている内に終わる時間だ。
猶予なんてチャンチャラおかしい。
「一週間経って、この家にいるようなら修道院へ入ってもらう。いいな」
「わかりました。そのように致します」
胸に手を当て、小さく膝を折る。
頭を下げたままのルツェリアの視界に、部屋から出ていく色とりどりの裾が見えた。
父も、母も、兄も妹も、すべて出ていってからも、ルツェリアは静かに作戦を練っていた。
※
婚約破棄されて(しかも王太子に)魔封じを施された貴族令嬢を拾う人間はいるのか。
結論は、いない、だ。
ありとあらゆる求人を出している貴族の家に手紙を書いた。その返事はすべて「当家では雇えない」という内容だった。
「で、ここまで来たわけね」
ルツェリアは机の上に置かれた紅茶に口をつける。爽やかな香りとちょうどよい温度に体が温まる。
部屋の主であるブランカは対面のソファに座り、肘をついてこちらを見ていた。
彼女の後ろにはいつも通り、宮殿の制服を着たエルザが控えている。
今ではルツェリアの最後の希望になっている制服だ。
「まさか、就職でこんなに苦労するとは」
「あなた、優秀だからねぇ。でも、わざわざ王太子と摂政の恨みを買うような貴族いないわよ」
「そうよね」
ブランカからの指摘にルツェリアは頷いた。
わかっている。今、ルツェリアを雇うなんてすれば、王太子と摂政から不興の視線を集めることになる。
普通の貴族ならしない。普通でない貴族にはルツェリアが応募しない。
その普通の中でも、とくにマトモな(表面上は)ブランカをじっと見る。
「何かしら?」
紅茶を片手ににっこり。
自分が一番可愛く見える角度で行うあたり、さすがである。
その背後には、空気読めよという文字が見える気がした。
しかし、ここで引かないのが幼馴染というものだ。
「ブランカは、雇ってくれたり」
「するわけないでしょ」
単刀直入に切り込んだルツェリアを、ブランカは返す刀で切って捨てた。
「そうよね。そう言うと思ってたわ」
ルツェリアは手に持ったままだった紅茶にもう一度口づける。
驚きはしない。悲しくもない。
王太子の代わりに国政に関わる仕事をしていたルツェリアの頭は、冷静に損得勘定をすることができる。
そして、ずっと側にいたブランカの中身が、そこらの貴族より冷静で合理的であることも知っていた。
「大体、魔封じまで受ける必要なかったじゃない! 止めようとしたら、逆に受け入れるし」
ブランカが唇を尖らせる。
まったく、そんなことを今更言われても困ってしまう。
そういった事柄を言い始めたらきりがない。ルツェリアにとっては、ブランカが何かされることのほうが嫌だったのだ。
紅茶をソーサーに戻して、口元に手を添え考えていることをアピールした。
「魔封じされたところで、そんなに困らないと思ったのよ」
「……困らないの?」
眉根を寄せて、丸っ切り理解できないという顔でブランカが首を傾げた。
ルツェリアは小さく頷く。
これが、驚くほど困らなかった。
魔封じという大それた名前の割に、効果としては呪文を口にできないというものでしかない。
効率は悪いが気になるほどではなく、大量に魔力を使えば、今までのように土に付与したり物を強化したりできそうだ。
「元々、貴族が使える魔法は使えないし」
触って放出するのはできるし、とまでは言わない。
ルツェリアの特異体質は他の貴族から理解されないのだ。
ブランカは小さい頃から見ているためか、受け入れてはくれる。だが、彼女は魔法の扱いに長けているので、使えないという感覚がわからないのだろう。
ルツェリアは小さく息を吐いた。
「困ってるのは、魔封じされているって時点で就職できないことよね」
「罪人の代名詞みたいなものだから」
ブランカが肩をすくめる。
そう、罪人。その言葉が、今回の婚約破棄で一番重くのしかかっていた。
婚約破棄、結構。むしろ、してもらえる方がありがたい。
魔封じ。特に生活に支障は出ていない。
ただ、されたという事実が、ルツェリアの就職をさらに難しいものにしているのは間違いなかった。
「ブランカ様」
「あら、失礼。もう約束の時間だったかしら」
二人して頭をひねっていたら、見慣れぬ制服を来たメイドが現れた。
この王宮の制服はエルザが着ているものだ。
違うメイド服を身にまとっている時点で、異国からの客人だろう。
すぐに猫を被ったブランカが対応する。申し訳無さそうにメイドが体を小さくする。
「いえ、まだ早いですが、主人の体調が思わしくなく」
「まぁ、大丈夫なの?」
「ええ、大丈夫と言っております。しかし、体調を考えると……」
「早くして欲しい、と」
調子良く行き来するブランカとメイドの会話を脇に、ルツェリアは紅茶を飲んでいた。
聞き耳は立てませんというポーズは貴族の作法のようなものだ。しかし、内容はしっかりと把握して気遣いを見せる。
それが一流の振る舞いとされていた。
親しき仲にも礼儀あり。ルツェリアは静かに退去の準備をする。
「ルツェリア、悪いけど」
「ええ、大丈夫よ」
軽く返事をする。準備といっても、荷物を持ち、スカートの裾をキレイに整えるくらいだ。
ブランカが部屋をでるのに合わせて退室する。
異国のメイドと共に廊下の先へ歩いていく背中を見送りながら、ルツェリアは最後の希望が断ち切れたのを知る。
「さて、どうしようかしら」
修道院行き。
その文字が徐々に足音を立てて近づいてくるように、ルツェリアには思えた。
【書籍化】鉄面皮令嬢、婚約破棄されたら、隣の国で王女に溺愛される?! 藤之恵多 @teiritu
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