第4話 竜人王女と初めての欲

 人の国って、何てクサイのかしら。

 シュガルが初めて異国の城に足を踏み入れた感想はそれに尽きた。

 まず、純粋な匂い。

 人は亜人ほど鼻が良くない。体臭以上に香水を纏う。

 適量なら我慢できる。だが城にいる人間の多くは、人影が見える前に香りが届くほどなのだ。

 パーティが予定されている今日は、特にひどく会場近くで座り込んでしまった。


(マズイわね)


 消耗する。

 元々竜人としては高くない体力がガリガリと削られていく。

 フルール王国に来てから、特に魔素が薄くなり、魔力切れを起こす寸前だったのだ。

 視界が暗くなる中、ほのかな花と土の香りがシュガルの鼻腔を掠めた。


「魔力切れですか?」


 優しい問いかけにも答えられない。

 情けない王女だ、とシュガルが思っている内に、その人は魔力を分け、さっさといなくなってしまった。

 ハッキリ、くっきり、視界が戻ったときには、その人影は見えないほど遠くなっていた。

 従者であるサライに支えられながら、建国記念パーティの会場に移る。

 サライは年こそシュガルより下だが身体は大きく、エスコート役を命じるのにピッタリの従者だった。


「シュガルさま、無理はなさらないで下さいね」

「分かっているわ。でも、あの人のおかげで、とても調子が良いの!」


 魔力が満ち足りた感覚を楽しむように手を握ったり、開いたりする。

 香水は相変わらずプンプンと香っていたが、先程よりは気にならない。

 サライの腕を離し、人混みの中をゆっくり移動する。

 初めての異国。こんなに人間だけがいるのも見たことがなかった。

 フラフラとあちこちに足を進めていると、サライに子供を見るような目で見られた。


「人間で魔力を分けられる存在なんているんですね」


 ぼそりと呟かれた言葉にシュガルはすぐさま振り返った。

 サライは独り言のつもりでも、竜人の優れた身体能力は音を拾ってしまう。


「ただの魔力じゃないわよ! すごく、すごく、美味しいのよっ」


 魔力には味がある。

 竜人には理解してもらえても、人に理解して貰えたことはない。

 人は食べ物などから間接的に魔力を作り出す。

 竜人は魔素から魔力を作り出す。

 魔素を味わえない人間は、魔力の味が分からない。

 知っていても、つい熱弁を奮ってしまった。


「分かりました。分かりましたから、少し落ち着いて下さい」


 サライは苦笑いを深め、両手のひらをシュガルの方に向けて下に動かした。

 短く切りそろえられた群青の髪がサライの瞳を掠めていく。


「初めての国外です。魔力不足以外も考えられますから」

「……もう大丈夫なのにぃ」

「無理はダメです」


 頬を膨らませてサライを見る。笑顔のまま首を横に振られた。

 一切余地がない拒否。

 肩を落としたシュガルの耳に、その声は飛び込んできた。


「ルツェリア・バボシュ!」


 ざわりと人混みが蠢く。

 シュガルはただ首を傾げ、声を発した人物を見た。

 イアン王太子。成人もしたというのに、未だに摂政を側に置いている人間だ。

 人混みから漏れ聴こえる単語を拾うだけでも、大体の事情を把握でき、シュガルは顔をしかめた。

 人間の国は、どうしてこうもきな臭いのか。

 竜人のように強さだけで決めればいいのに、と単純な竜人であるシュガルは思った。


「はい、何でしょうか?」


 一人の令嬢がイアンの前に進み出る。

 すっと伸ばされた背筋、薄い紫の髪と瞳。真っ直ぐに下ろされた髪の間から見える耳は少しだけ尖っていた。

 シュガルはポカンと口を開けた。


(彼女だ!)


 忘れるわけのない声と花と土の匂い。

 ルツェリア・バボシュと名前を刻み込むように頭の中で繰り返す。

 見つけたことでシュガルの機嫌は急上昇だ。

 浮かれて雲の中まで上がった機嫌は、イアンとのやり取りが進むたび、急下降する。


「お前は、もう、いらない」


 と、イアンが言った頃には、シュガルはグツグツと噴火寸前のマグマを自分の中に抑えておくことに必死だった。


「言いがかりも良いところですね」

「ホントね!」


 サライの言葉に大きく頷く。

 なんて勝手な言い草だと思っていると、ルツェリアが騎士に拘束される。

 反射的に前に出ようとしたシュガルをサライが止めた。

 振り返る。なんで止めるのと文句を言おうと思ったからだ。

 だが、そんな言葉が飛んでいってしまうくらい深いシワがサライの眉間に刻まれていて。

 シュガルはルツェリアとイアンのやり取りに目を戻すしかなかった。


「まさか、魔封じまで?」


 サライの言葉にあわせて、周りの群衆のボルテージも上がる。

 嫌な興奮。まるで公開処刑。

 シュガルは腕を組み、つま先で地面を叩きながらサライに尋ねた。


「サライ、魔封じって何かしら?」

「魔法を使えなくするものです。人間の貴族は魔法をステータスにしています。特に、このフルール王国ではその傾向が強い」


 じっとルツェリアを見る。

 危機的状況だというのに、ルツェリアの表情は変わらない。

 ブランカ王女以外、彼女を助けようとする人間はいないようだ。


「なら、魔封じをされたら」

「……貴族扱いはされないでしょうね」


 ルツェリアがブランカを庇い、大人しく騎士たちに連行される。

 赤い絨毯の上を歩く姿はキレイなもので、シュガルはその姿を目に焼き付けた。

 綺麗だった。今まで見た人間の誰よりも。

 その心の姿勢が美しいとシュガルには思えた。


「自分の婚約者だった人に、そこまでできるものなのかしら」


 ルツェリアがいなくなり、イアンが仕切り直しの号令をかけると、何もなかったように元のくだらない雰囲気に戻る。

 シュガルは興味を削がれ、壁際に寄った。

 サライが口当たりの良いお茶を貰ってきてくれる。

 軽やかな音楽に合わせて、イアンと誰かが踊る。それを貴族たちが褒めそやしていた。

 何が良いのか、ちっとも分からない。


「人間は移ろいやすいものですから」

「あなたも?」


 シュガルは自分より頭2つ分は背が高いサライを見上げた。

 サライはシュガルの国では珍しい純粋な、番ってもいない人間である。

 だからこそ、人しかいないフルール王国への従者に選ばれたのだ。

 サライは頬を右手の人差し指で掻きながら、わずかに首をひねる。


「私は、竜人に拾われ育てられた存在ですから。性質は竜人寄りですよ」


 確かに、とシュガルは頷いた。

 サライの行動は竜人であるシュガルから見ても違和感がない。

 身体感覚の差を感じたことはあっても、性質の差を強く感じたことはなかった。

 ドレスに隠していたハンカチを取り出す。

 魔力の残り香が燐光のように舞っている。人の魔力がこうも強く残るのをシュガルは初めて見た。


「このハンカチをくれた人なのよ」

「え?」


 サライは目を見開いた。

 先程の顛末はこってりお説教されながら聞き出されている。

 サライの姿勢がシュガルの手元と顔を行き来した。


「ルツェリアって言ったかしら。あの人がアタシを助けてくれた人よ」

「本当ですか?」


「ええ」とシュガルは強く頷いた。

 そっと開く。白い布地に同色の糸で家紋が刺繍してある。

 目立たないけれど、上品で丁寧な仕立てだ。

 まるで彼女の性格を目にしたような気分になり、シュガルはそっと胸元にしまい込む。


「あの王太子は、ルツェリアのこといらないのよね?」


 胸元に手を当て、ニヤケながら踊るバカな王太子を見た。

 人の物を取るほど飢えてはいないし、竜人の性質を考えると気軽に手は出せない。

 だが、ルツェリアはシュガルの目の前でいらないと言われていた。

 いらないなら、貰ってしまってもよいだろう。


「そう言ってはいましたが」


 サライもイアンへちらりと視線を向けた。

 シュガルは胸元に手を当てて、王太子を冷めた目で見つめる。


「シュガルさま?」


 返事をしないシュガルに気づいたのか、サライが不思議そうに名前を呼ぶ。

 サライの顔を見ず、シュガルは笑顔で答えた。


「なら、アタシが手を伸ばしても良いわよね」


 竜人は人と違い、執念深い。薄れることはない。

 気にいった宝があれば、収集して、ずっと隠しておく。

 他人が触れようものならば、怒り狂う。

 そういう性質がシュガルには今までピンとこなかった。

 だけれど。


『その時が来れば分かるわよ。だって、あなたは私の娘だもの』


 いつかに母が教えてくれた竜人の性質。

 教えてくれたときの母の獰猛な笑顔が頭を過る。


「本当ね、お母様」


 胸元をぎゅっと握る。

 母とそっくりの獰猛な笑顔を自分は浮かべているのだろう。

 燃えるように熱い。確かに、分かる。

 これは欲だった。捨てるならば、貰う。

 そうシュガルは決意した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る