第3話

 

 どうにか滑り込んだパーティは王太子の入場を残すのみだった。

 ルツェリアは人込みに紛れつつ、壁沿いに移動する。

 一番混んでいるのは入り口から王太子が座る椅子までの一本道だ。

 わかりやすく緋色の絨毯が敷いてある。

 ダンスをするときはわざわざ片付けるのだろう。目立ちたがりの彼が考えそうなことだ。

 端過ぎず、人も多すぎない。ちょうどよい中間地点でルツェリアは足を止めた。


「遅かったわね」


 目の前に差し出されたのは細いシャンパングラス。中では細かな泡が金色の液体の中で踊っている。

 ルツェリアは一つを手に取り、ドレスの裾を持ち上げた。


「王女殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅう」


 ブランカ・アレクセイエフ・ド・フルールは、お姫様という言葉が誰よりも似合う人間だった。

 白に近い薄紅の髪色は不思議な光沢を持ち、キラキラと光を反射させる。

 お菓子より重いものを持ったことがないと称される細い指は節一つなくシルクの手袋に包まれている。

 何よりフルール王国の月見草と呼ばれた母親の美貌を受け継いだ花の顔。それで愛想よく周りに愛を振りまく。

 中に入っているのが、武王の誉れ高き父親のような性格でなければ、ルツェリアもうっとりと陶酔できただろうに。

 幼馴染という立場になってしまったことが悔やまれる。


「止めなさいよ、その慇懃すぎて無礼さを感じる挨拶」


 ブランカはぴくりと眉を上げると、シャンパングラスに口をつけ傾ける。

 無駄のない動き。グラスを傾けるだけで、人はここまで優雅になれるのだ。

 ルツェリアは胸の前で支えたまま、それを見つめた。

 まったく、ずるい王女様だ。


「ブランカはこういうのが好きでしょ?」

「時と場合に寄るわね。今、幼なじみのあなたにそうされることは、残念ながら悪手よ」


 滑らかに動く口から、歯に衣着せぬ言葉が流れていく。

 ブランカと会って会話した人間の反応は三つに分けられる。

 この言い草に呆気にとられるもの。

 この口調でも幻想を保っていられるもの。

 この姿勢に王の面影を見て、喝采するもの。

 ルツェリアはどれにも当てはまらない。


「遅れてくるなら、もっと遅れて来なさいよ」

「流石に遅刻するわけにはいきませんから」

「迎えも行かない、麗しの王太子殿下が悪いんでしょ。どうせなら、ブッチしてあげれば良かったのに」


 肩を竦めたルツェリアを横目で睨みつつ、ブランカは空になったグラスを給仕に押し付ける。

「ありがとう」と王女様からほほ笑み付きでグラスを受け取った給仕は頬を染めて去っていく。

 すごい。横を向くだけで、仮面を付け替えたようだ。この愛想を少し分けて欲しい。

 空恐ろしいことを言うブランカに、ルツェリアは小さく首を振った。


「それは流石に」

「そういう良い子ちゃんだから、ああいう舐められたことされるのよ」


 ブランカが親指で自分の背後を指した。その先には赤い絨毯がある。

 いつの間にか王太子の入場が始まっていたようだ。

 その隣には最近よく見る貴族令嬢が付き添っていた。王太子と揃いとわかるドレスを身にまとい、エスコートされながら歩いている。

 舐められている。確かに。

 ルツェリアの今の現状を表すのにピッタリの言葉だ。

 だが、ルツェリア自身の心境は不思議なくらい凪いでいた。


「言葉もございません」


 ブランカの眉間に皺が寄る。一瞬、泣きそうな顔が出てきて、すぐに引っ込んだ。

 ルツェリアの鉄面皮を一番悲しんでくれているのは、この幼馴染なのかもしれない。


「まったく、自分が嫌な思いをするってわかって、どうして出てくるのかしら」

「義務ですから」

「勝手になさい」


 ルツェリアとて何も考えていないわけではない。

 王太子の隣にいる令嬢はカミーラ・バートリー。リシュー侯爵の妹の娘だ。

 わかりやすい外戚政略だが、その渦中の王太子が気づいていない。

 幸せなことだとルツェリアは思う。あれでは、いつの間にか乗っ取られていても気づかないだろう。

 彼女が現われて、ルツェリアの家には迎えが来ず、そこにあの進行表。

 何をしたいかなど透けて見える。


「ルツェリア・バボシュ!」


 玉座(まだ王ではないが、そう表現するのが一番だろう)に座ることもなく、ルツェリアの婚約者であるはずのイアン・ド・フルールは会場を見回している。

 一段高い場所からでさえ、ルツェリアを見つけられないらしい。


「ほら、呼んでるわよ」

「ありがとうございます」


 いつの間にか、ルツェリアの手からシャンパングラスを掠め取ったブランカがそのままグラスを煽る。

 そのような飲み方をする酒ではないし、そんな飲み方をする人でもない。

 荒れているブランカの前を通ろうとして、ルツェリアは思い出したように足を止めた。


「見ててくださる?」


 止めなくていい。庇わなくてもいい。

 ただ、一人くらいルツェリアの姿を見ていて欲しかった、と言ったら笑われるだろうか。


「ええ、ええっ! 自分で自分の引導を渡すやつの最期くらい見守ってあげるわ」


 良かった、とルツェリアは小さく呟く。

 その言葉が聞ければ、何も怖くない。

 ルツェリアはまるで今呼ばれたとばかりに、赤い絨毯へ足を乗せた。


「はい、何でしょうか」


 イアンの前に進むと、顎を上げ真っ直ぐに顔を見る。

 挨拶もなく平然と立つ姿にイアンは少々怯んだようだ。

 馬鹿らしい。

 今から糾弾されるというのに、丁寧な挨拶を交わす人間がどこにいるのだ。


「ルツェリア、お前は成人したというのに、花の一輪さえ出せない体たらく。そんな様では花の国に相応しくない!」


 まるで台本に書いてあるセリフのようだ。

 ルツェリアの見た進行表には載っていなかったから、イアンのために用意された台本があるのかもしれない。

 後ろに立つ摂政殿が小さく頷いているから、予想は中らずも遠からずだろう。

 まったく、どこからどこまで人の言いなりになる王子様なんだか。


「また、カミーラへの陰湿な嫌がらせ、目に余るものがある。お前は、もう、いらん」

「そうですか。わかりました。イアン殿下のお好きなように」


 一言、一言を強調する口調に、ルツェリアは仕事を押し付けられた時のように頷いた。

 取り乱すとでも思っていたのだろうか。

 イアンは面白くなさそうに唇を歪めると、もごもごと歯噛みした。隣にいるカミーラの方が、嬉しそうな顔から驚きへと上手に演じられている。


 そう、ここで必要なのは、怒りではない。

 いかに自分たちの正当性を貴族たちにアピールできるかだ。

 事の顛末を少しも見逃さぬよう取り囲んでいた貴族たちからざわめきが漏れる。

 この中に、あの時の少女もいるのだろうか。

 ふと赤い髪を探したくなり、すぐに近づいてきた騎士たちに肩と腕を拘束される。


「これはどういうことでしょうか?」

「お前がそのようになったのも、無駄に魔力を余らせているからだろう。罰として魔封じを行う」

「は?」


 あまりの暴言に、ルツェリアは言葉を失くした。

 魔封じとは言葉通り、魔法を封じるものだ。基本的に罪人にしか行われない上、一度かけられるとかけた人間にしか解けない。

 魔法を失うことは貴族にとって死に近い屈辱。

 それを、少しも理論づけられていない理由で行おうとしている。

 やっと望み通りの反応をルツェリアがしたのか。イアンの顔が不快な笑顔に変わった。


「なに、すぐ終わるさ」


 冗談じゃない。

 なんで、そんな理由で魔封じまでかけられないといけないのか。

 というより、勝手に婚約破棄をされた時点で、十分な罰は受けているはずだ。

 だが、ルツェリアの喉から、その想いの一欠けらさえ出ていかなかった。代わりに響いたのは別の声。


「王太子殿下、それはっ」

「ブランカ、五月蝿いぞ」


 はっとして声の主を見る。

 さっきまでシャンパンを煽っていた人間とは思えない。

 背筋を伸ばし、冷気さえ感じる視線でブランカがイアンを見つめていた。


「それとも、ルツェリアを庇いだてするか?」


 この売女が。

 イアンの口がそう動く。声がなくても、その意思は伝わった。

 ブランカの母は側室であり、イアンの母からすればその言葉は真実だったのだろう。

 だがーーマズイ。

 ルツェリアはブランカの視線が冬山から凍土に変わるのを見てしまう。

 このままブランカまでこの茶番に巻き込むわけにはいかない。彼女は立派な王女で(内面がなんであっても)国に必要な人間だ。

 ルツェリアは深く息を吸い込んで、声を張った。


「わかりました。そのように……ブランカ王女殿下は関係ないことです」


 魔封じが増えたところで、なんだというのか。

 元々魔法は使えない。唯一の拠り所だった婚約者の地位も奪われる。

 嫌がったところで、変わらないならば受け入れてしまえ。

 ブランカにまで迷惑をかけるつもりは毛頭ない。

 この日、王太子の婚約者である鉄面皮令嬢は、魔封じされた罪人へクラスチェンジした。

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