第2話


 窓から差し込む太陽の光が徐々に角度を低くしていく。

 書類に視線を向け、内容、代表者の名前を確認する。

 現在、フルール王国は摂政制をとっている。王様――ルツェリアの婚約者である王太子の父親は、すでに亡くなっていた。

 小さいころ、婚約したばかりのときの朧げな記憶だけが残っている。

 豊かな口ひげ、がっしりとした体格。武力にて領土を広げ、国民からも愛された王だった。


(国王様が生きていてくだされば)


 その想いが何度こみ上げてきたか。

 国王が亡くなり、まだ年若い王太子だけが残された。彼の後見に立ったのが、母親の兄であり、現摂政リシュー侯爵である。

 成人していない王太子はすぐには王になれなかったのだ。

 リシュー侯爵が摂政になると、王太子の教育は緩められた。いや、甘やかされたと言っていい。

 必要なことをせず、最低限のことができただけで褒め称えるコピー人間ばかりが王太子の周りに集められた。

 そのツケが、ルツェリアの前にできている紙の山だ。


「じゃ、あとは頼む」


 と、それだけを言い残して王太子は取り巻きたちと部屋を出ていった。

 狩りの話をしていたから、また森にでも行くのだろう。

 そう短くない期間で(というより、数日で)この量の仕事が溜まるのだ。

 王太子は最低限の仕事さえしていない。

 もっとも、そんなことをルツェリアが訴えられるわけもなく、こうやって代わりに仕事をこなす日々だ。


「はい、これはこれで終わりです」

「ありがとうございます!」


 急ぎの書類だったのだろう。

 目に涙を浮かべた貴族が、ルツェリアの手から紙切れ一枚を受け取り、仰々しく礼をしていた。

 その美しい礼を終えた途端、ダンスのターンの如く背を向け、部屋を去る。

 よほど急いでいると見える。ルツェリアはその背中を何とはなしに見送った。

 手は、もはや見なくても書けるようになった王太子のサインを書いていた。筆跡をまねるまでもない。

 仕事のサインなど、元々ずっとルツェリアが書いていたのだから。


「見ろ、表情一つ変えないぞ」

「さすが、鉄面皮令嬢は違うな」


 聞こえてる。

 ヒソヒソと話す声にルツェリアは書類から顔を上げずに、心の中で呟いた。

 書類には様々なものがある。

 令嬢が見るには悲惨な内容のものや、事件についての意見書なども含まれている。だが、それを見ていちいち顔をしかめたり、涙を流していたりする暇はないのだ。

 ルツェリアは一枚の書類の前で、ぴたりと動きを止めた。


「これは……」

「次の建国記念パーティについての書類になります」


 王太子の机の隣には補佐をする人間が常にいる。彼らはルツェリアのため(本来なら王太子のため)に書類を仕分け、効率よく仕事ができるようにしているのだ。

 その補佐から差し出された書類をルツェリアはもう一度上から眺めた。


「そう」

「……良いのですか?」

「別に構わないわ」


 下まで再度確認して、サインをする。

 こんな書類を回してくるなんて、本当に性格が悪い。

 さっさと書いて隣に戻す。


「この書類は摂政殿も見てらっしゃるのでしょう? なら、私が言うべきことはないわ」

「そうですか」


 はぁと小さくため息をついた彼を見て、もしかしたら反論して欲しかったのかもしれないとルツェリアは思った。

 書類は建国記念パーティについての内容であり、そこには明らかにルツェリアを外した進行表が書いてあった。わざわざ王太子希望とまで書いてある。

 曲りなりとも王太子の婚約者にすることではない。

 補佐の彼が顔をしかめる。

 真面目に仕事をする自分に少しでも好意を持ってくれるなら、嬉しいことだ。だがーールツェリアは知っていた。

 鉄面皮令嬢と呼ばれる自分に、そんな甘さは似合わないと。


 *


 進行表を見てからも、ルツェリアの日常は変わらなかった。

 庭で花を育て、王太子の執務室で業務を行う。その繰り返しだった。

 窓の外はすでに夜の帳がおり始め、はるか向こうの空だけが少しの赤みを残してくれている。

 王太子からも摂政からも何も言われることなく、建国記念パーティーの日を迎えた。


「建国記念パーティに遅刻は流石にまずいわよね」


 遅れた理由は、特にない。

 ドレスも渋々選んだくらいだ。行きたくないと思っていたら、遅れる時間になっていた。それだけ。

 家族に追い出されるようにして城に向かわなければ、まだ家にいたかもしれない。

 人気のない廊下を歩く。正面ではなく通用門から入ったルツェリアは会場まで遠回りをすることになる。

 と、黄昏時に、夕日が蘇ったような赤が射した。

 鮮やかな赤は、暗がりでさえ淡く発光しているようにルツェリアには見えた。


「どうされました?」


 急いで、その赤に近づく。

 廊下の壁に肩をつけるようにして、令嬢が座り込んでいた。令嬢と表すのも困るほど若い。おそらく12歳ほど。デビュタントするにも早い年齢だ。

 こんな鮮やかな赤い髪を持つ人間をルツェリアは知らなかった。少なくとも建国記念パーティに呼ばれたこの国の貴族ではない。

 そうなると外国からの客人だろう。


「あ……わたし」


 陽が沈んみ廊下を照らすのは僅かな蝋燭の火だ。その中で見ても、令嬢の顔色は一等悪かった。

 血の気がない。髪の色とは正反対の白さにルツェリアは顔をしかめる。

 肩で小刻みに息をしていて、瞳はどこを見ているか分からない。いや、実際見えていないのかもしれない。

 近くで見ると赤い髪の毛の両側に角のようなアクセサリーが付いていた。


「魔力切れですか?」


 驚かせないようにそっと肩を支える。

 ルツェリアにもデビュタント前の妹がいたが、それよりも大分細い。とはいえ、妹とはしばらく近くで話すことさえしていないので憶測なのだが。

 ルツェリアの言葉に令嬢は定まらない視線のまま顔を上げる。

 かすかな声が聞こえた。


「なんで」

「ちょっと、失礼しますね」


 手を取る。冷たい。

 視線はまだ合わない。意識がなくなる寸前なのだ。

 魔力切れの治療は単純で、魔力を補充すればよい。それくらいならば、ルツェリアにもできる。

 そっと自分の魔力を令嬢に受け渡す。

 薄暗い廊下でまるで小さな星が散るように光が舞う。


「これで大丈夫でしょう」


 見る見るうちに、幼い令嬢の頬に赤みが戻っていく。

 少しずつ焦点を結び始めた瞳に、ルツェリアは手元に持っていたハンカチを渡す。

 魔力に常に溢れているルツェリアの持ち物は、魔力をまとうようになった。お守り程度だが、魔力を補給してくれるはずだ。


「あ、こちら、渡しておきます。気休めにはなるかと」

「あ、あのっ」

「すみません。私急いでおりまして、見送っていくことができないのです。誰か呼んできますね」


 ルツェリアの袖を捕まえた手をそっと外す。

 これ以上遅れると、さすがにマズイ。そして、一緒に連れていくには目立ちすぎる。

 具合が悪い令嬢を針の筵に晒す気はなかった。

 ちょうどよく、廊下の奥から足音が聞こえてくる。


「お嬢様!」

「サライ?」

「ちょうど迎えの方がいらっしゃたみたいですね」


 声に反応して顔を向けた令嬢から距離を取る。

 片足を引いて、ドレスの裾を持ち、少し頭を下げた。

 すっかり黒一色に染まった空の下で、等間隔に廊下を照らす炎が、迎えに来た人間を照らし始める。


「失礼しますね。可愛らしいお嬢様」

「ありがとう!」

「いいえ」


 人助けできて、ちょっとだけ気分が良い。

 髪の色と同じ溌剌とした明るい声に、ルツェリアは口角を引き上げた。

 もう会うこともないだろうけれど、少しでもパーティを楽しんでくれればよい。

 もっとも、ルツェリア自身が見世物になるだろうから、それを見てあの少女が心を痛めないか心配だったけれど。

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