【書籍化】鉄面皮令嬢、婚約破棄されたら、隣の国で王女に溺愛される?!

藤之恵多

第1話


 夏も盛りを過ぎた頃、フルール王国では建国祭に向けた花を準備する。

 ルツェリアはまだ日が昇って数時間だというのに、熱さをまき散らしている太陽に手をかざした。

 土の上にいるため、くるぶし丈程度のドレス。簡素ではあるが、一応貴族として最低限のラインは守っている。色は瞳と合わせたラベンダー色だ。

 かすかに残る朝の残滓が土の香りをルツェリアまで届けた。朝露が土に落ち、日が当たることで香りを強めているのだ。

 ルツェリアは指先で土を掬い、ふわふわの感触を確かめた。


「良い土だわ」


 ぺたり、ぺたり、とそこかしこを触っていく。

 土に素手で触るのを嫌がる貴族は多い。土を触るような仕事は平民がするものーーそんな認識ができているからだ。

 花の国フルール王国なんて言われているのに、その始末。ルツェリアには、とんと理解できない。

 ルツェリアに土いじりを教えてくれた祖母は古い人で、一等の花を咲かすのに土は大切だと言って譲らなかった。

 と、太陽の眩しさが増した気がして、ルツェリアは用事を早く済ますことにする。

 手を目の前にかざしてから、そっと土の表面に触れた。


「フリュ・フリュッセント」


 小さく呪文を口にする。

 体の中を温かいものが流れていき、じんわりと沁み込むように土に広がっていくのを感じる。最初は手のひらの周り、それから足元まで来て、やがて区切られた場所の土全体に淡い光が灯る。

 ん、とルツェリアは少しだけ力を込めた。

 光がはじけるように輝きを増した後、土の中に沈んでいく。

 元の土と同じ色に落ち着いたころ、ルツェリアは確かめるように土に手を触れた。


「こんなものかしら」


 土を少し上から落としてみる。

 風に乗り舞い落ちる一粒一粒が太陽の光を反射して光った。

 均一に魔力を混ぜることができたようだ。

 そこに、一定のリズムの拍手が聞こえてきた。


「相変わらず、素晴らしい腕前で」


 土の出来を確認していたルツェリアは音の方に振り向く。

 ここの庭師である老年の男性が立っていた。

 頭には緑の帽子をかぶり、土に汚れていいいようにつなぎを着ている。つなぎのポケットには、庭を整えるための様々な道具が入っていた。


「ありがとう。でも、魔力が余っているだけだから」


 ルツェリアは髪の毛を耳にかけながら答える。

 庭を使いたくて、草木の世話をしていた彼に直接頼み込んだ。

 最初は目を丸くして驚かれたが、仕事のたびに来ていたら、こうやって気軽に挨拶を交わすくらいにはなっていた。


「何をおっしゃいます! 未来の王太子妃さまが庭で土に魔力を蒔いてくださるおかげで、ここの花たちの評判はうなぎ登り。まさしく花の国フルール王国にふさわしい庭と誰もが言ってくださいます」

「それは庭師である貴方たちの腕が良いからよ」


 ただ仕事をしているだけだというのに、庭師の人たちは過大評価してくれる。

 土に魔力を蒔くなんて、まどろっこしいことを貴族はしない。

 彼らは直接魔力を花にできーーそれこそが、貴族の証だとしているのだから。


「まぁ、見て。鉄面皮令嬢さまがいらっしゃるわ。土を触らなければ花も咲かせないなんて」


 ちょうど庭を通りがかった貴族のご婦人たちが、これ見よがしに呟く。

 ルツェリアは慣れすぎて眉一つ動かすことはない。

 その反応が面白くないのか、ご婦人たちはさらに言葉を重ねていく。


「いくら魔力があるからって、ねぇ」


 そんなの私が知りたいくらいだわ、と、ルツェリアは心の中でため息をついた。

 魔力だけは膨大にある。しかし、魔法や花にしようとすると何も起きない。

 できるのは直接触れたものに魔力を流すだけ。

 つまり、土に魔力を蒔くのが一番良い発散方法だった。


「花は本来、土から咲くものだというのに!」


 言いたいことだけ言ってご婦人たちが過ぎ去ると、庭師の彼はひどく怒った様子で地団太を踏んだ。

 彼が褒めてくれた土が足元で踏み固められていく。


「やつらは何もわかっておりませんっ。あんな言葉を気にしてはなりませんぞ!」

「あなたの方が、私の親みたいね」


 ルツェリアは少し首を傾げ、怒りをあらわにする庭師を見つめた。

 ふとその指先に切り傷ができているのに気付く。


「あなた、怪我してるじゃない」

「何のこれしき、綺麗なものほど棘がありましょう。綺麗なものを触れる特権です」


 胸を張る庭師の手を取り、小さくため息を吐く。

 綺麗なものには棘がある。ああ、間違いない。

 だけれど、それを保つために傷つく必要があるかと言えばーーないだろう。


「お、王太子妃さまっ」

「グエリ」


 いきなり土に汚れた手を取られ、庭師は困惑したように手を引こうとする。

 それを逃がさないように抑えながら、傷口に向かい呪文を唱えた。

 土にまかれた時のように、ルツェリアの手から白い光の粒がこぼれ傷口に流れていく。


「貴重な魔力をわしなんぞに使ってはダメですぞ」


 ほんの数秒で傷はなくなり、庭師は嬉しさと戸惑いをごちゃ混ぜにした顔でそう言った。


「別にこういう使い方しかできないし……あの人たちに使うことはないでしょうから」


 貴重な魔力とはいうが、ルツェリア自身、魔力切れを感じたことがない。

 直接、魔法を使えないせいだとされていたが、原因は不明だ。

 どっちにしろ、余っているならちょっと使った所でわかるまい。

 土以外でも触れるものならば魔力を通せる。魔力を通せれば、ある程度の補強や修理もできた。


「呼び方も、まだ王太子妃ではないのだから、ルツェリアで良いって言ったじゃない」


 ルツェリアの言葉に、庭師の男は困ったように眉毛を下げた。


「それは、しかし……王宮の庭師であっても平民も平民ですぞ」

「いいのよ。花を咲かせれないような人間、この国じゃ貴族にならないんだから」


 5才の子供でも手から花を咲かせる。それこそがフルール王国の貴族の証。

 5才どころか20才目前にして、魔法を使えないルツェリアは、この国の貴族からすれば貴族にならない。

 王太子の婚約者に留まれているのも、家柄と尽きることのない魔力のおかげだった。


「失礼いたします」


 ルツェリアと庭師の視線が一斉に声の方向に向く。

 足音も気配もなかった。

 こんな近づき方をするのは一人だけ。ルツェリアはすっと背筋を伸ばした。


「……何かしら?」


 呼びに来たのは一人のメイドだった。

 王宮指定の制服を着ている。

 華美にならない程度の刺繍で縫われているそれは、着る人の努力でいくらでも形を変えた。

 目立てば目立つほど、お手付きになりやすいからだ。

 しかし、目の前のメイドが着ているものは違う。見た目には一切手を加えていない。しかし、普通の布地とは違う防御力と耐久性を持っているとルツェリアは知っていた。


「ルツェリアさま。お仕事の時間が差し迫っております」

「あら、もうそんな時間なのね。わかりました。すぐに向かいます」


 太陽の位置を確かめるように空を見上げた。影の長さも思ったより短くなっているようだ。

 庭師に軽く頭を下げて挨拶をしてから、メイドの後ろを歩く。

 先導して貰うまでもない。歩きなれた道だ。


「ルツェリアさま」

「なに?」


 足音を一つもさせないメイドーーエルザは庭と目的地の中間の位置で足を止めた。

 綺麗なターンを決め、ルツェリアとの距離を少し詰める。


「ブランカさまが仕事終わりに寄って欲しいとのことです」


 ブランカ・アレクセイエフ・ド・フルール。

 それがエルザの主人の名前だ。フルールが付いていることからわかるように王族。さらに言えば、ルツェリアとは幼馴染で、親友と言える立場の人間だった。

 ルツェリアは肩を竦める。エルザが来る時点で用事があるんだろうなとは思っていたのだ。


「……あなたの主人も人使いが荒いわね」

「王太子殿下に比べれば、とてもとても」


 必要なことだけを告げて、エルザは再び歩きはじめる。

 王太子殿下に比べればーー城内で言うにはリスクがある言葉。それをぽんと言える時点で、エルザはよほどブランカのことを信頼しているのだろう。

 扉の前でエルザと別れる。


「ルツェリア・バボシュ。参りました」

「入れ」


 フルール王国の宝は花と土にあり。

 執務室に掲げられる言葉は、外側だけになりつつある。

 王太子の机の周りを見る。

 紙の山がいくつかできていた。

 落胆はしない。

 ルツェリアは王太子の溜まった仕事を片付けるために登城しているのだから。

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