ゴールデンヒューマン

@t_tsugihagi

ゴールデンヒューマン

 だだっ広い会場でおれは横並びになって、裸足をトラックに押し付ける。胴体がなくて、腰から下だけのおれたちは、重心を保ちづらいのだ。右隣のレーンにいるやつは、さっきから倒れたままもがきっぱなし。膝をトラックに擦って、血が出ている。左隣のやつは、右腿は胴ほど太いのに、左腿は折れそうに細い。ずっと右脚でケンケンせわしないやつだ。おれの方に倒れないでくれよ。周りの連中を見渡したら、おれが一番まともそうなかたちじゃないか、左右のバランスも、臀部のかたちも、ならすぐに誰が一番かわかる。おれは、じっとそのときが来るのを待っている。会場全体に、実況の声がする。熱い歓声が沸く。

 ――皆さん、こんにちは! こちらは脚部一〇〇メートル走の会場です。スタートラインに並び、合図を待つばかりの脚部パーツは総勢一〇〇! 多様な脚部がこのレースに挑戦します! 一〇〇メートルの短い距離ですが、脚部たちは全力を尽くし、短時間の戦いは息をのむほどのスリルと興奮を感じさせてくれるでしょう! スタートの合図! いっせいに走りはじめました!

 あちこちで、転んで周りを巻きこむ連中が続発する。跳ねて明後日の方向へいくやつ。関節が逆で逆走するやつ。尻を中心に地面でぐるぐるまわるやつ。筋肉や関節がおかしい連中が暴れる。そんな九十九体のあいだを抜けて、飛ぶようにおれは走る。

 ――そして、ゴールが近づいてきました! ランナーたちは決死のダッシュを繰り広げて……。

 おれの横を抜けたやつがいる! そいつもバランスの取れた腿、ふくらはぎ、かかと、つまさき! 両足とも! だがそいつにはない! おれの腰にぶらさがる余分な器官、尻尾? これは走るのに必要なのか? 気にしはじめると邪魔になって……考えるな、おれは一位になるのだ。歓声が嵐になる。嵐に乗るのだ! 抜き去れ! 一位一位一位……。

――いま、第一位の選手がゴールテープを切りました! まさに驚異のスピード! 素晴らしい走りを見せてくれましたね!

 追いかける九十九体も諦めずに走ろうとした姿勢に敬意を表します。一〇〇体は同じ遺伝子のベースから遺伝的アルゴリズムによって微小な差異をつけて培養されました。さまざまな形態を持った下半身がひとつの舞台で競い合い、その情熱と実力を見せてくれました。脚部一〇〇メートル走、本当に素晴らしいレースでした!

 ここからは他の競技にも移りますが、この瞬間を私たちと一緒に共有してくれてありがとうございました。観衆の皆さん、次なる熱戦も楽しみにしていてください!


 この競技では、繋がったパイプから、つぎつぎとドロドロの食い物が流し込まれて、おれは常に破裂しそうだ。チームメイトの膵臓や胆のうから受け取った消化液と食料を混ぜ合わせて蠕動する。栄養素を吸収し、残りかすを大腸へ素早くパスする。おれのパスを受けた大腸が、水分を吸収して固形物にした大便をゴールへシュートする。さらに得点。これを絶えまなく続ける。ほかのチームが腸に穴を開けて退場するなか、着実に得点を重ねる。栄養吸収効率を最大限に高める華麗な連携で、脂っこい食事だって、大丈夫さ。下痢なんてしない。おれたちは最高のチームだ。ぜったいに優勝できる。

――食物消化競技では、消化器チームごとに、ペースト状にされた食物を流し込まれ続けます。競技は激しさを増していきます。各チームはさまざまな食物を次々と摂取し、栄養を吸収し、排便のスピードを競いあうのです。メンバーの結束力が試されます!

 ――こちらは毒物耐性競技の様子です。食物消化競技と同じ会場で開催されるこちらの競技では、選手の肝臓たちに対して、毒物の分解能力や耐性を競っています。いまは消化器へアルコールを混ぜた食物が供給されています。沈黙の臓器といわれる肝臓、選手は静かな緊張感に満ちていますが、観衆の熱いエールが止むことはありません!

 無口で内向的な性格のため、おれは他の臓器とコミュニケーションを取ることができない。いいんだ。おれは黙々と仕事をこなすことに喜びを感じるんだ。おれは、最後まで踏ん張る覚悟がある。チームメイトは、おれが疲弊していることに気づいているのだろうか? それとも、彼らはおれを無視し、競技に没頭しているのだろうか? なぜこんなことを続けられる。この歓声に応えるためだ。歓声だけが孤独なおれの背を押した。歓声だけがおれを応援するのだ。


――皆さん、こんにちは! 水槽に入った脳みそが並んでいます! こちらの会場は一見地味ですが、五〇人の顔と名前を記憶するスピードや複数の二人零和有限確定情報ゲームといった競い合いが夢のなかで行われているのです! ぜひ応援の声を!

――皆さん、こんにちは! こちらは肺のフリーダイビングの会場です!

――皆さん、こんにちは! こちらは眼球の射撃競技の会場です!

――トップは三六番! 表彰台の中央で、もっとも輝かしい色のメダルが授与されます!


 目覚めたのは、ベッドの上だ。天井は、金色の光が反射して、ぎらぎらと輝いている。おれは仰向けに寝かされていた。

 上半身を起こすと、胸元で金属が触れ合い鳴り響いた。天井に散っていた金色の光が、同時に動いて壁面に散らばった。おれは裸で、その胸元には、数十枚の金メダルがかかっていた。この金メダルの束が、照明を反射していたのだった。

 部屋にあるスピーカーから声がした。

――優勝おめでとうございます!

 優勝? おれは意識がいまいちはっきりしない、もやのかかったような頭をゆすり、ベッドから降りた。冷えた床に裸足をつけて立ち上がると、金メダルが騒々しく打ちあった。

 壁には、鏡があった。鏡に映る姿は、おれなのだろう。まったく見慣れない。だが鏡を凝視する目は確信に満ちあふれていた。広がる胸板から流れる筋肉は完璧な曲線を描いていた。二の腕は太く力強い肉づきがあり、腹筋ははっきりとした割れ目を持っていた。おれは指先で、胸部の輪郭をなぞった。指が触れた肌は、石のように硬く引き締まっていた。脚部の筋肉に目を向けると、太ももは迫力満点で、一歩踏み出すだけで大地が揺れるような力強さを感じた。ふくらはぎはしなやかに盛り上がり、脚のラインを美しく引き立てていた。どの角度から見ても完璧なシルエットだった。自分自身の姿を見つめながら、その魅力は外見だけでなく、内側からもにじみ出ていることを感じた。見えない身体の内の隅まで、傑作だと思わせる。

――人間の各部位で競争をさせ、あなたはそれぞれの競技で一位をとった部位のみをあつめて作られました!

 賑やかな金メダルを鏡の前で手に取り、しげしげと見た。おれはとたんに、この身体が誇らしくなった。メダルを掴むこの指も、見つめるこの眼も、ほかを勝ち抜いた一流の身体。すべてが金メダルにふさわしい最高の身体。おれは、一位になったおれという総体なのだ。

 ――つぎに、おれはどうしたらいい。

 鏡に向かい肩に手を当てて、身をひねりながらおれがいうと、鏡が音もなく横にすべりだした。鏡の後ろには、通路があった。おれは納得して、その通路に歩をすすめた。

 通路の先には、光り輝く出口が見えた。出口の先からは、歓声が聞こえた。おれは、そこに表彰台があって、おれを讃える大勢の姿を思い浮かべた。おれは胸を張って、背筋を伸ばして、両手を広げると、金メダルを胸元でじゃらじゃらいわせた。

 この身体の一部一部に降り注いだ歓声を思った。歓声に背を押され、困難に立ち向かった。そして勝ち取った歓声の一粒一粒が、細胞のひとつひとつに、しみ込んでいた。あれをまた浴びるべきなのだ。

 遠い歓声にかぶさって、声がいった。

 ――競い合い勝ち抜けた最高のパーツ。その総体であるあなたは、最高であるはずです。では、最高のあなたをさらにパーツとしたらどうでしょうか。できあがるそれもまた、最高のはずではありませんか。今度はチーム競技です。共同体、チームとして、あなたの最高のパーツたちと同じように、鍛錬し、みなで高みを目指ざしましょう。人間の可能性の極限を追求することは、それを見る人々に夢と感動を与えるのです。もちろん、観客が人間じゃなくっても。

 おれは出口をくぐった。光の先は、温暖な日差し降り注ぐ屋外だった。

 小高い丘からは、大河が見えた。湿潤で肥沃な平野と豊かな森があった。遠くには青々とした山脈があった。空はすがすがしく、楽園のように手付かずの美しい世界。

 楽園には、同じようなまっ裸の人間たちがいた。

 おれが出てきたのは巨大な船だった。全員がそうだ。いくつもある船のタラップから、新しい世界に目を瞬かせ、ぞろぞろと出てきた皆がみんな、完璧な彫像のような身体だった。自信と誇りが外側と内側から放たれていた。全員の首元には、たくさんの金メダルがかかって、じゃらじゃらいわせて、もっとも輝かしい色を瞬かせていた。

 五〇〇人の金メダリストたちが、顔を見合わせた。

 船のアナウンスが告げた。

 ――皆さん、こんにちは! 生まれ変わった新たな楽園で、新たなチームメンバーとともに挑戦の一歩を踏み出していただきましょう! 果たして今回のチームの滅亡までのタイムは、前回のチームからどこまで伸びるのでしょうか? タイムだけでなく、築かれる文明の芸術点も見どころです! 産めよ、増えよ、地に満ちよ。それでは、人類の祭典を再開します!

 世界の外側からいっそう大きく鳴り響いた観衆の歓声が、雷のように天地を揺さぶった。それもつかのま、歓声は風と一体化し、いつのまにか空気のように耳には聞こえなくなった。聞こえなくても、ただ透明な熱狂はそこにあり続けた。その声を忘れてしまっても、熱狂は背を押し続けた。いつまでも終わりまで人類を。

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