第47話 アンナの旅立ち

 病床のアンナが、イタチのリリスに白魔術の指導を受けている。


「自分が魔法を使えるようになるなんて、信じられない!しかも治癒ヒール!」


 はしゃぐアンナにリリスの顔もほころぶ。


「できるだけ自分の体に掛けるようにしてね。初級治癒魔法でも、治りが早くなるし、勉強にもなるしね」


 はーい、先生!と、笑顔でアンナはおどけた。かなり容体も安定しているようだ。両親の元から巣立つ日のため、そろそろ将来の身の振り方を決めさせる時か。


「アンナちゃんは、この先、どうしたい?地母神教に関わってくれるのなら、いくらでも融通が利くのだけれど…」


「やっぱり、出ていかなきゃダメだよね」


「そうね、ここにいるとわたしの信者が…ゴメンね」


 相も変わらず睡蓮亭の周りには、熱狂的な信者たちが陣取って祈りを捧げている。悪意がないので余計にたちが悪い。


「でもね…フフッ、あなたが望むなら、このままあなたを地母神教の最高位に就任させることだってできちゃうんだから!」


 イタチのリリスはそう言って、ベッドの上をぴょんぴょん飛び跳ねる。こちらも負けず劣らず悪意がなく、たちが悪い。


 困り顔のアンナは、しばし考えたのち、言った。


「やっぱりウルクは離れたくないかな…お父ちゃんのかぼちゃのスープ恋しいもの」


 リリスはその返答に嬉しくなってにっこり微笑んだ。


「そうね!あのスープは王都でも食べられないもんね!…わかった、ウルクの教会…はダメね、女子修道院にいきましょ!あそこならアルウラちゃんもいるし!」


「アルウラ…さま?」


「そう、アルウラちゃん!ウルク城外の女子修道院にいる素敵な子!わたしの大事な友達で魔法の上手な女の子よ」


 アンナもその名は知っていた。

 十数年前、難攻不落と言われたダンジョンを攻略した冒険者パーティの一人で、「浄化の乙女」の二つ名を持つ聖女だ。武勲を立てたそのパーティには、アッドゥ子爵夫妻とサルゴン王国第二王子がいる。地元ウルクの有名人だ。


「アルウラちゃんとアンナちゃんかあ、楽しみだなあ」


 くるくる走り回って喜ぶイタチを見て、アンナも決心した。


   ―――――――――――――――


 それから二日後、治癒魔法でほぼ全快したアンナが親元を離れる時がきた。


 前日に母に髪を短く切ってもらったアンナが、父母を前に別れの挨拶をしている。


「いつでも帰っておいで」


 目に涙を浮かべ愛しげに美しい娘を見やる母を、父がたしなめた。


「いや、それはだめだ。他の仕事ならともかく、修道女となるお前は地母神様のもとにお嫁に行くのと同じだ。甘い考えなど許されるはずもない。外でずっと祈っていらっしゃる信者の方々を見たら、お前の進む道が軽くないのはわかるはずだ」


 真顔で話す父を、まっすぐ見つめるアンナ。


「…でも、頑張って頑張って、それでもどうしようもなく苦しい時は、帰ってきなさい」


 そう言うと、父親はわずかに微笑んだ。アンナは目に涙を浮かべて答えた。


「お父ちゃ…、いえお父さん、お母さん、行ってきます!」


 冬の宵闇迫る中、挨拶を終えたアンナは、教会が用意した馬車に乗り込んだ。聖騎士の騎兵が先導する豪華な馬車は、両親が見つめる中、ゆっくりと進み始めた。


 馬車の中で、それまでアンナの首に襟巻のように巻き付いていたイタチのリリスが、アンナの向かいの席に移った。イタチは語り掛ける。


「素敵なご両親ね」


 大きな瞳から涙をぽろぽろ流しうなずくアンナ。リリスは続けて言った。


「アンナちゃん、よく覚えておいて。

 地母神教の教えのひとつ。あなたのご両親のように、正しく生きている人は、報われる資格を持っている、ってこと。これだけは忘れないでね」


 そう言うとイタチのリリスは馬車の外に駆け出して、そして乙女に変化した。


「さて、わたしもちょっと、行ってきますか」


 熱心な信者たちに、自分が睡蓮亭から移動することをはっきり示さねばならない。


 リリスの美しい肢体が神宝式の時のようにまばゆく輝き始めると、そのままふわりと空高く舞い上がった。


 宵闇の夜空、一等星のように煌々と輝くリリスが、信者の一団の頭の上を優雅に飛び回る。 その姿を仰ぎ見る信者たち。ある者は感激しむせび泣き、ある者は手を合わせてひたすら祈りを捧げ、またある者は恍惚の眼差しでその光を追っている。

 そして、リリスは慈愛に満ち溢れた表情でその信者たちを見つめている。神の奇蹟を疑うことなどできない、確かな説得力がそこにはあった。


 アンナは光り輝くリリスの姿と、祈りを捧げる信徒たちが織り成す光景に感動していた。他の人々と共に自分を優しく包み込んでくれている、そんな気がした。この光景を忘れまいと、その美しい魔眼でずっと見つめていた。



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スモークス・ピークス物語 崑崙虚 太一 @konronkyotaro

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