第46話 恋って、なんですか(2)

「ところで、だ」


 アサグは、大した問題ではないと前置きをして、リリスに言った。


「アンナ嬢は、もう恋愛できないかもしれん」


「どういう事、なの?…急に何言い出すの?」


 アサグの突拍子もない発言に、ただ驚くリリス。


「精査したわけではないが、この娘の過去の恋愛体験にはすべてウトゥが関係している。ウトゥとの記憶を通じて、この娘は『恋愛』という事象を認識している。

 そのウトゥとの記憶を完全に封印してしまった今、アンナ嬢は恋愛を認知する寄る辺を失ったも同然だ」 


「待って!アンナちゃんの心のなかで、ウトゥさま≒ 恋愛という関係が成立していて、その片っぽのウトゥさまを思い出せなくなっちゃったから、恋が、って言いたいの?」


 現代の我々の価値観でいうところの、LGBTQ+。アンナはその中の、アセクシャル(無性愛者)になったのでは、ということだ。

 アセクシャルとは、他者に対して性的欲求を抱く事が少ないか、まったく抱く事がない事を指す。社会的な軋轢やそれに付随する葛藤に苛まれて、苦しむ人々も多い。


「…じゃあアンナちゃんは、これから他の子を好きになれない、ってこと?」


「わしにもわからん、そんなことはな。

 …その可能性は大きいが、アンナ嬢の場合、あくまで後天的な影響ではある。ウトゥ以上の出会いがあれば、あるいは、な」


「可哀そうよ!可哀想すぎるじゃない…、魔法でどうにかできないの、どうにかしなさいよ!」


 ヒステリックに叫ぶリリスを、アサグは一喝した。


さえずるな!魔導で心を操る危険はお前も知っておろうが!」


 リリスは押し黙って、恨みがましくアサグを見つめた。


 アサグはさらに突き放すように冷たく言う。


「大した問題ではなかろうがよ。

 この先この娘は地母神教とやらの信徒になって修行するんだろ?

 修行者に恋愛感情など要らぬはずだ。お前の思惑通りではないか」


「でも、でも…」


 考えがまとまらず、反論できずにいるリリス。


「それに、この娘が地母神教徒としてここを去らねば、お前の信者に取り囲まれているこの食堂は、店を開けられずにやがて閉店するだろう。お前がこの店を潰すのだ、この睡蓮亭を。…この娘はお前の信者になってここを去るしかないのだ」


 アサグは畳み掛ける。


「この食堂を取り囲む狂信者たち。存在せぬ神を崇める無辜の信徒。神宝式などという茶番で踊る愚か者ども。すべてお前が生み出したカルマの産物だ。この娘の苦難と共にお前が背負わねばならぬ。

 逃げることなど許されない。逃げれば即、闇に堕ちて悪魔になって、死後、永遠の滅びの刑罰を受けるのだ、わし同様にな」


 リリスは押し黙ったままだ。


「まあせいぜい頑張ることだ。娘の様子はまた診に来る。興味深いサンプルだしな。

 あと、スキルの再鑑定はしておけ。魔人となって、ジョブの聖女は消えただろう。

 それに…、これは、まあいい。じゃあ、またな」


 言いたいことを言うと、アサグはすぐに消えてしまった。


 消え去る蠍を目で追いながらも、何も言い返せず、悔しい思いをして落ち込むイタチ。その白い背中を慈しむように撫でながら、アンナはリリスに言う。


「リリス様、あたしはあのさそりさんが何を言ってるのかわからなかったけど」


 イタチのリリスはアンナの顔に首を傾けて、その言葉を聞く。


「あたしはリリス様がそばにいてくれるなら、どこに行っても、どうなっても、きっと大丈夫だと思う」


「どうしてそう思うの?」


 アンナを再鑑定するために、乙女の姿に変化しながら尋ねるリリス。


「家族以外で、あたしの為に本気で怒ってくれる人が、これからもずっとそばにいてくれるんでしょう?こんなに心強いこと無いと思うの」


 落ち込む様子を気遣ってではなく、本心からそう思っているようだ。

 本当に優しい娘だ。リリスは救われた気がした。


「今、リリス様と一緒に居られて、とっても心がぽかぽかしてるの。すごく満ち足りている、そんな感じ。だから、リリス様…」


「ちょっと待ってね…。えっ、これは、何?」


 リリスがアンナを再鑑定すると、ジョブの聖女は消え、スキルは光魔法属性に加えて、何故かを獲得していた。

 改めてアンナの顔を覗き込むと。左目の虹彩が青く美しく輝いている。強く光り輝く青色は、宝石のラピスラズリを彷彿とさせる。こんな美しい魔眼は見た事がない。


 アンナの魔眼に青い空をみたリリスは、すぐに自分が天空神ウーラノスと呼びかけた少年のことを連想して、幸せな気持ちになった。


「アンナちゃん、ちゃんと聞いてね」


 大切な話だからと神妙な顔で語り掛けようとしても、どうしても頬が緩むリリス。


「あなたは、スキル『魔眼』を手に入れているわね。そして、どういうわけだか、あなたはもう天使になってるわ、何の儀式も経ずにね」


「…あたしが、天使?」


「多分だけど、きっとあなたのことが大好きな男の子を通じて、絶対者さまが導いて下さったんだと思うの」


 アンナには、もちろん理解できない話だ。


「まあ、今は解らないだろうけど、一つ信じてほしいのは、あなたは愛されてる、ってこと。それも、とても大きな存在にね」


 リリスは再鑑定で、アンナの特殊ステータスに「愛と美、豊穣の導き手」が付け加えられている事は告げずにおいた。

 そして、自分の直観が正しい事を確信した。目の前の少女こそが地母神ガイアなのだと。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る