第45話 恋って、なんですか(1)

 アンナの守護者リリスは、アンナの母以上にアンナの異変に戸惑っていた。リリスはアンナと一体化して、一緒に魔力暴走と戦ってきた。アンナの肉体のことは把握しているつもりだったし、それが出来ていたからこそ、アンナは健康を取り戻せた。

 

 改めてリリスがアンナの肉体ををチェックすると、大脳皮質や海馬に魔法が解かれていない領域を見つけた。そこは誰にも干渉させないよう、邪術で念入りに封印してある。おそらくこれがアンナの異変の原因だろう。心臓や腎臓など、魔法が解かれていない場所はまだあったので気付けなかった。


 あえて脳の記憶領域に魔法を掛け続ける理由などないはずだ。アサグを呼び出して処置させなければならない。でなければ、アンナも母親もあまりにも不憫だ。


 リリスは絶対者からの宣託で、アンナの守護を命じられていた。当初はウトゥという特別な存在に大きな影響を与える只人ただひとだと聞かされただけで、さして興味はなかったが、観察するうちにこの愛らしい少女にどんどん魅かれていった。


 さらにリリスがアンナと初めて一体化した時、アンナのウトゥへの強い愛情が、強い執着が、その甘酸っぱい記憶とともにリリスに流れ込んだ。


 アンナが初めて意識した異性が、初めて恋心を抱いた異性が、初めて唇を重ねた異性がウトゥだったのを知った。その強い思いは、リリスの目にも好ましく映った。魔人と只人という垣根を超え、同性としてうらやましいとさえ感じた。


 それに、このまま放っておけば今後のアンナの人格形成に影を落とすのは明白だ。アンナの将来のためにも不確定要素は排除しておくべきだ。


「絶対、とっちめてやるんだから!」


 イタチ姿のリリスは、うとうとしているアンナの毛布の中で、行火あんか代わりに寄り添いながら一人熱く憤っていた。


   ―――――――――――――――

 

「久しぶりだな、加減はどうだ?」


 その日の夕刻、窓にわずかに西日が差し込むアンナの部屋。

 イタチのリリスが、アンナにその毛並みを優しく撫でられて微睡まどろんでいるところに、蠍のアサグがふらりとやって来た。


 アサグの姿を見た瞬間に、勢いよく飛び出して食って掛かるリリス。喋る蠍に驚くアンナとは対照的だ。


「どういうことなの!説明してちょうだい!」


 リリスはアンナの脳に掛けられた魔法の真意をアサグに問うた。


 それに答えることなくアンナに飛び移る蠍。アサグが自分に魔法治療を施した事を覚えていないアンナは、驚いて小さく悲鳴をあげた。かまわず蠍はアンナの額にはさみを突き立て、診察を始める。


 数分後、一通り診察を終えた蠍は、はさみを引き抜きイタチに語り掛けた。


「おおむね、順調のようだな。さて、リリスよ」


「何よ、説明してよ!なんでアンナちゃんの記憶をいじってるの?ウトゥさまとの悪魔の契約ってやつのため?意地悪のつもりなら許さないわよ!」 


 リリスの勢いに苦笑しつつ、アサグはリリスの方に向き直って話し始めた。


「リリス、お前は何か勘違いしておるようだな」


「何がよ」


「…ウトゥという小僧は明らかに異常だ。絶対者が目をかけ、その上何度か絶対者自らが、その手で彼奴あやつの能力限界を引き上げている。下級悪魔レッサーデーモンでありながら、すでに悪魔大公デーモンロードであるわしより魔力量が多い、冠前絶後の存在。一言でいえば『天才』だ」


 アサグはアンナをちらりと横目で見て、続けた。


「逆に、このアンナという娘はどうだ。今でこそ膨大な魔力を持つが、もともとはどこにでもいる平凡な只人、魔法の才など微塵もないただの町娘だ。精霊と契約しようが何だろうが魔法など使えなかったろう。違うか?」


リリスは黙って頷いた。


「ではなぜこの娘がこれほど巨大な魔力を抱える羽目になったのか」


 アンナは再びイタチを抱き寄せ、その白い体を優しく撫で愛おしむ。蠍の言葉に関心はないようだ。


「この娘、アンナがウトゥという異能者を心から愛してしまったせいで、ウトゥの持つ闇属性の影響をまともに受け、この娘の光属性の才能が半ば無理やりに開花、ということだ」


「ちょっと待って!つまりアンナちゃんは、ウトゥさまに恋をしたから、魔力を得てしまったって事なの?そんなの聞いたことない」


 意外な回答にうろたえるリリスに、蠍はためらいつつ答えた。


「そうよな。わしも初めて見たわい…おそらく、この娘は、他の男など目に入らぬほど、一途に強くあの小僧に恋焦がれておったのだろう。そして、あの小僧が、ウトゥが前代未聞の天才であったが故、その影響をもろに食らってしまったのだと、わしは睨んだ」


 アサグはアンナを優しく見つめて、続けた。


「高きから低きに水が流れるのが自然の摂理だとすれば、それを捻じ曲げ、低きから高きに水を流すのが魔導よ。同様に、光が闇を照らすのが常道であるならば…」


「ウトゥさまの『闇』が強くアンナちゃんを、アンナちゃんの『光』を産んだ、って予想したのね…」


「このままこの娘が小僧を愛すれば愛するほど、より影響は増して魔力暴走の歯止めは効かなくなると踏んだ。だから、小僧との記憶を封印して様子を見た。…やはり、その推論は正しかった。魔力暴走は完全におさまった。そういうことだ、わかったか」 


 リリスは何も言えなかった。突飛過ぎて理解が追い付かないし、理解したくもなかった。あまりにもアンナがいじましく、そして痛々しく思われた。

 

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