第四章:空白 『みなの罪だけ、私は十字を背負って歩こう』
第14話 回帰の色
暗い部屋の中に、白い息が広がる。冷たい空気に混ざって、消える。息が広がる。消える。
「……生きてる」
視界がハッキリした事と問題なく息が出来る事を確認できたセフィは、ポツリとつぶやいた。どうやら舌も回復したようだ。
見知らぬ男達は「これから売る」と言っていたのだから生きていて当たり前だが、それなりに強い麻痺毒だったので心臓が止まってないか心配だったのだ。
あれからどれくらい経ったのかは分からない。陽の光も入らない地下だからか、時間の感覚も曖昧だ。
分かるのは、ここがまだ蒼白の山の地下である事、自分は人身売買組織に捕まってしまった事、手足が鎖で壁に繋がれているせいで満足に体を動かせないという事。
そして、またひとりになったという事。
「サウェル……」
口をついて出たのは、セフィの手を引いてくれた少年の名前。しかし思い浮かぶ顔は、隣で支えてくれていた時の物ではなかった。
―― 裏切られたなんて思うなよ? 最初からアンタの味方じゃなかったんだから。
ゴモラとかいう男の言葉が、サウェルとの僅かな思い出を塗り潰すかのように重なる。
そうだ。セフィは元々独りだったのだ。
孤独だった所を助けられ、共に命の危機を乗り越えて、一方的に親密になったつもりでいた。
馬鹿みたいだ。右も左も分からない世間知らずの少女など、格好の獲物でしかないだろうに。そうとも知らず差し出された手を救いだと勘違いして、勝手に期待した自分が浅はかだったのだ。
「私は最初からひとりなんだ……これからも、きっと」
自分の掠れた独り言が、いやに耳に残る。折れそうな心を包んでくれる優しさはここには無い。
世界に慣れなさすぎているセフィは、心に大きく空いた穴の塞ぎ方を知らない。
「……話をしよう。ここから出て、サウェルと二人で」
だから、感情の整理は後回しにした。
もう一度だけだ。
最後にもう一度だけ、彼から直接言葉を聞く。自分の心に道を示すのは、彼の本心を聞いてからだ。
セフィはまだ、サウェルに裏切られたとは思っていなかった。あるいはただ否定したかっただけかもしれない。どちらしろ、それはセフィに『ここから出る』という行動をさせた。
自分の理性は真逆の道を訴えている。
こんな所で立ち止まってはいられない。心の穴に悲しみと慰めを詰め込んで、さっさとここから立ち去るべきだ……と。
しかしセフィの気持ちは、そんな理性に従わなかった。
なだれ込む感情を抑える最後の防波堤となってくれているもう一人の自分。その言葉は容赦がなく、そして正しい。
しかし、セフィは犯罪者だ。自分の進みたい方へ進むために間違いを犯す者だ。正しさから逸れるなど、今更な話だろう。
彼女は目を開いた。
(杖と鞄は盗られてる……でもローブは脱がされてない。ネックレスも見つからなかったみたいだね)
元々、杖は昨晩の戦いで何故か壊れていたので、手元にあった所で魔術は上手く使えなかっただろう。
しかしサウェルが魔石のネックレスをくれたので、補助無しで魔術を使う心配はない。
(……あれ?)
胸元に当たる硬い感触を確かめた所で、素通りしていた違和感を思い出した。
(サウェルは最初から私を捕まえるために手を貸してたって言ったよね……じゃあどうして、私にこのネックレスをくれたんだろう)
補助無しでも魔術が使えない訳ではないが、著しく効率が落ちるのは確かだ。サウェルもそれを知っているはず。
せっかく弱った獲物に再び力を与えたのには、何か思惑があるのだろうか。
(それに、最後の言葉も……)
違和感は別の違和感を浮き彫りにさせる。
消えゆく意識の中で聞いた、サウェルが放った言葉が気になった。
――俺は『
(あれも、どういう意味なんだろう)
『黒工房』の名は知っている。
『白十字』や『赤時雨』と同じ、『光色勇者団』の伝説に出てくる英雄の名前。『黒工房』ビナルは魔道具職人だ。人々が豊かな生活を営めるように、また非力な者でも自らの意思に従って戦えるように、様々な魔道具を作って人々に与えた。
サウェルの言葉をそのまま受け取ると、彼がシモンのように色を受け継いだ、現代の『黒工房』という意味になる。
だが、それはありえない。
『黒工房』ビナルは『勇者団』伝説の中で唯一、明確に命を落とした事が記されている人物。故に、正式な後継者は存在しないのだ。
だから彼の死後、魔道具職人達はビナルの意思を継いで、魔道具を作る自分たちの場所を『工房』と名乗るようになった。この世界に工房は無数に存在するが、『黒工房』はひとつもない。
つまり、他の色と違って『黒工房』という言葉には何の効力も存在しない。サウェルがそれを名乗った所で何かが変わるという事はないはずなのだ。
しかし、訳もなく意味不明な言葉を残すサウェルではない。そこには何かしらの意図があるはずだ。
距離や声量からして、あの言葉はセフィにしか聞こえていない。もしあれが、セフィだけに伝える必要があった言葉なのだとすれば。
脳裏に、彼の消えてしまいそうな儚い立ち姿が浮かんだ。
「――いや、そんな、まさか」
導き出した仮説は、セフィにとって衝撃的なものだった。しかし同時に、この仮説なら全てに辻褄が合ってしまう。自分で導いた答えを否定はできなかった。
「どういう事だ! 約束と違うだろ!!」
そして響く、張り詰めた高い声。セフィはハッと顔を上げた。聞き間違えるはずがない。サウェルのものだ。
しかしセフィが聞いたこともないくらい、その声には怒気がこもっていた。
「約束? 何の話か分からんな」
続いたのはゴモラという男の声。
恐らく、牢から続く通路の近くで二人が話しているのだろう。
「とぼけるな! 一人連れて来れば、ペトルは解放するって約束だったはずだ!」
「聞き間違いを押し付けるのはやめてくれよ。俺は三人って言ったはずだぜ? あと二人だ……命が惜しけ……」
「……からな。ふざけた事を……」
扉が閉められたのか、遠ざかる二人の声はすぐに聞こえなくなる。だが、セフィにはそれだけで十分だった。
サウェルは、ペトルという誰かを助けたいのだ。その人を人質に取られたサウェルは、仕方なくゴモラ達に従っているだけなのだ。
サウェルは彼らの真の仲間じゃない。
その事実は、セフィの仮説を完璧な確信にした。
「サウェルは、ここで死ぬ気なんだ……!」
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