第13話 暗転の色

 地下通路への入口は案外あっさりと見つかった。

 なんでも過去に、異常気象領域の地中には高純度の魔石が埋まっているという出所不確かな情報を掴んだ権力者の指示で、大規模な採掘が行われたらしい。結局その話は全くのデタラメで、中途半端な坑道が残るだけの大赤字に終わったのだとか。


 その坑道を犯罪者たちが利用して密入国用の秘密通路にした、という訳だ。出入口だけが分かりやすいのも納得である。


「中も寒い……けど、外よりはマシだね。魔力の影響もここまでは来てないのかな」

「そう、だろうな」


 通路の途中までは、採掘当時のままという風な危ない見た目だったが、ある地点を境に少しずつ骨組みがしっかりしたものになり、また、分かれ道が増えてきた。

 サウェルは迷うことなくスイスイ進むので、セフィも何も考えず後を追う。仲間しか正しい道に辿り着けないようになっているのだろう。


 所々が凍り付いている洞窟を進むセフィの足取りは軽いものだった。サウェルが持つランプと所々に設置されている魔石だけが光源である地下は少し不気味だが、サウェルから貰ったローブとネックレスを身に着けているだけで、彼に守られているような感覚で落ち着くのだ。多少の怖さは好奇心のスパイスになる。


 何より『実質的に地下通路に入った時点で逃亡は成功』と前にサウェルが言っていた事もあり、彼女の緊張は緩みつつあった。

 そうなると心に余裕が生まれ、普段なら気付かないような事にも気付くようになる。例えば前を歩く少年の、ちょっとした違和感とか。


「サウェル、ちょっと緊張してる?」

「……え?」

「さっきからずっと黙ってるし、早歩きな気がするけど」

「そうか? いつも通りだろ」


 今まで何もかもに慣れていた様子の彼がここにきて緊張する理由など無いはず。むしろ彼の事なら、無事に辿り着いた事を喜んで明るくなりそうなものだが。


「やっぱり、具合悪いんじゃない? 今からでも引き返して、詰め所で休ませてもらっても……」

「大丈夫。俺は大丈夫だから」


 前を向いたまま彼は言う。話し方にも余裕が無くなっている気がする。

 セフィは駆け足でサウェルを追い抜くと、彼の前で振り返って立ち止まった。


「全然大丈夫に見えないよ! ねえ、どうしたの?」

「……」

「やっぱり無理しちゃ駄目だよ。もう急がなくていいんだし、一度戻ってゆっくりしてから、また行こう?」


 セフィが声をかけても、彼は俯いて白い息を吐くだけだった。


「ねえ、サウェル……」


 心配そうに見つめるセフィは、一歩彼に近付いた。彼の肩に触れようと、手を伸ばす。


「――ごめん、セフィ」


 伸ばした手が、止まった。

 顔を上げたサウェルの顔を見て、セフィは心臓が冷たくなるのを感じた。

 始めて会った時と、だったのだ。


「俺の事は、いくらでも恨んで構わないから」


 優しく、しかし強く肩を押された。後ろによろめいたセフィは踏ん張ろうと足を後ろに下げるが……そこに地面は無かった。


 一瞬だけ、魔法陣の煌めきが見えた。あるはずの地面は消え、ほんの一瞬の浮遊感の後、冷たい地面に背中を打つ。しかし痛みに反応する余裕は無かった。


 全身に痺れが走ったのだ。数秒で手足の感覚が無くなり、起き上がる事も叶わない。


(これって、麻痺毒……!?)


 どうにか顔を持ち上げ、数メートル上からこちらを見下ろしている少年を見上げた。暗くてよく見えないが、その雰囲気だけでもはっきりと分かる。


 今までセフィを導いてくれた時には隠していたようだが、初めて顔を見た時に確かに感じた、彼の儚さ。

 まるで掴んでいないと消えてしまうかのような、見ておかないと消えてしまうかのような不安定さが、彼から感じるのだ。


「サ、エ……」


 舌が痺れているせいでろれつが回らない。

 振り絞られたセフィのかすれた声は、知らない声に上書きされた。


「よくやったな、サウェル」

「貧相な子供だが、最初の一人にしてはいい獲物が釣れたじゃないか」


 彼の後ろに、見知らぬ男が二人。いや、それだけじゃない。彼らの後ろ、そして落とし穴を越えた反対側にもたくさんの人の気配がする。


 どういう事か説明してほしかった。何でも良いから、言葉が欲しかった。いつものように「大丈夫」と言って笑ってほしかった。


「セフィ、俺は噓を吐いてたんだ」


 しかし、返されたのは待っていた言葉ではなかった。


「君をここまで連れて来たのは、君の逃亡を助けるためじゃない。君をここで、捕まえる為だ」


 その声に欲しかった温もりは無く、あるのは薄氷のような音色。冷たく鋭く、すぐに割れてしまいそうな声だった。


「どうか気を悪くしないでくれよ、お嬢さん」


 サウェルの傍に立っている男の一人が含み笑いで言う。


「アンタが何を思ってコイツに付いて来たか知らねぇが、コイツは元々俺らの仲間なんだ。裏切られたなんて思うなよ? 最初からアンタの味方じゃなかったんだから」

「ゴモラ、そう言ってやるな。相手は子供だぞ。これから売るってのに悲しくなって舌噛まれちゃ勿体ない」

「けどよソドム、サウェルに付いて来たって事は、アイツも俺らと同じ犯罪者って事だろ? 何されても文句は言えねぇだろ」


 どうやら彼らは人身売買を扱う犯罪組織のようだ。

 ソドムとゴモラと言うらしい男二人が愉快そうに話す中、サウェルは無言でセフィを見下ろしていた。


「おいサウェル。アイツもそろそろ眠るだろ。部屋に運んどけ」

「……分かった」


 やがて指示を受けたサウェルが、数メートルの穴を飛び降り、セフィの前に危なげなく着地する。


 なんで。どうして。

 今までの優しさも、全て嘘だったのか。命がけで助けてくれたのも、セフィをここに連れて来るための演技に過ぎなかったのか。


 湧き上がる感情が言葉にならないもどかしさでいっぱいになる。感情がぐちゃぐちゃになって泣きそうになったが、全身が麻痺して涙も流れない。


「もうひとつ、言ってなかった事がある」


 そんなセフィを前にして、サウェルの声は感情を塗りつぶしたかのように静かだった。

 彼は自分の後頭部に手を当てる。すると彼の金髪がぼやけて、濁り、黒色に変わった。


 色を変える魔道具。

 底が見えない谷のような深い黒こそ、彼の本当の色なのだ。



 近付いてくる声が遠ざかっていく。意識が暗闇に引きずり込まれる。

 最後に聞いた彼の言葉が、思考が途切れる時まで何度も反響していた。


「じゃあな、未来の『白十字しろじゅうじ』」


 別れの言葉が、意識を保つ最後の糸を切りつけた。

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