第15話 自問の色

黒工房くろこうぼう』ビナルの死は、『光色勇者団』の物語に記されている。人々を救うために自らの命を犠牲にして、悪を討ち滅ぼしたのだ。


 そんな『黒工房』をサウェルが名乗った事。

 生贄に過ぎないセフィに魔石のネックレスを与えた事。

 そして、ペトルという人を人質に取られている事。


 その全てを繋ぎ合わせ、セフィはある未来に辿り着いた。


(サウェルはきっと、刺し違えてでもこの組織を壊滅させる気なんだ……!!)


 サウェルは優しく、そして賢い。

 人質を盾にするゴモラ達にこのまま従い続けても自由は得られないと気付いているはず。

 だから、従うふりをして反旗を翻すつもりなのだ。それも、自分の命と引き換えにする覚悟で。


 それをセフィに伝えるために、サウェルは自分の事を『黒工房』だと言ったのだ。『勇者団』の話に詳しいセフィなら気付くと信じて。


 セフィに魔石のネックレスを与えて魔術を使えるようにしたのも、頭が潰れた組織から安全に脱出させるためだろう。あるいは自分が死んだ後、ペトルという人を連れて逃げてほしいのかもしれない。


 どちらにしろ彼は最初から、セフィを死なせるどころか、何処かに売らせるつもりなど無かったのだ。


「これがサウェルの、『自分にしか守れない物』なんだね……」


 彼は言っていた。

 ――自分の意思を貫く生き方こそ、人のあるべき姿だと思っている。そうして道を外れた犯罪者の味方でありたい、と。


 きっと彼も、心の底で求めていたのだ。こんな形でしか人を守れない自分の味方をしてくれる人を。


「……助けないと。サウェルを死なせる訳にはいかない……!!」


 迷いは無かった。

 セフィは両腕を引っ張り、手枷と壁を繋ぐ鎖をピンと張った。


「意外と細いね。これならいける」


 セフィが着ているコートには、『熱を制御する魔術式』が刻まれている。寝込むセフィの傍で、サウェルが夜遅くまで編み込んでくれたものだ。

 それをセフィラアートで『発熱』と『熱の移動』の部分を切り取り、鎖へと移動させ、増幅させる。そうすれば局所的な超高熱により、鎖を焼き切ることが出来る。


 明かりの無い牢に魔法陣の光が灯る。白い光は赤に変わり、両手の鎖を半ばから溶断した。熱が伝わるせいで枷が繋がれた両手首がヒリヒリと痛むが、気にしている暇はない。同じ要領で両足の鎖も断ち切る。


「……よし」


 一歩を踏み出す。ジャリ、と足枷から伸びる余った鎖が、地面と擦れ合い音を奏でた。


『本当に行くつもり?』


 鎖の音に、声が重なった。内側から語りかけてくる声。自分セフィの声だった。


『彼は貴方わたしを利用したんだよ? 人助けの為とはいえ、貴方わたしの心を裏切った事に変わりは無い。そんな人を助ける義理なんてあるの?』


 感情で動く少女へ、理性が語りかけてくる。

 未熟な彼女は、冷静なもう一人の自分と何度も対面しているが、今回はその機会が多いような気がした。


『わざわざ危険を冒すべきじゃない。自分だけでも脱出するべきだよ。いくら孤独が嫌だからって、彼の不安定な自己犠牲を支える必要なんかこれっぽっちも無い。裏切り者なんて放っておくべき』

「それは違う」


 灼熱に溶かされた鍵が外れて、鉄格子の扉部分がゆっくりと開く。鉄同士が擦れる微かな音に混ざるセフィの声は、揺らいでいなかった。


「サウェルは裏切り者じゃない。大切な人を守るために、ひとつしか無かった道を歩いただけだよ」


 大切な人、と口にして僅かに感じる胸の痛みに気付かないふりをしながら、セフィは振り返らずに言う。


「サウェルが何を思ってやったとしても、私は彼に助けられた。あの時誰も助けてくれなかったら、今ごろもっと酷い状況になってたからね」

『……だから助けるって? 彼の意思には貴方わたしへの善意も好意も無い。ただ利用価値があっただけで、彼からすれば誰でもよかったんだよ。あなたが感じてるそれは、ただの一方的な――』

「分かってる。全部分かってるよ」


 セフィは檻の外へ出る。鎖を引きずって、歩き出した。


「理屈なんて、有るようで無い。これは全部、私のワガママ」


 そして、自分へ問い続ける自分の心に、答えを出す。


「私はサウェルと一緒に居たい。あなたが思う以上に、そう強く感じてるの」


 か細くも芯のある独白は、冷気と混ざりあって辺りを満たす。

 それ以上、誰かが口を挟むことは無かった。


 胸の前でそっと拳を握る。彼の冷たい手を思い出した。

 セフィを導いてくれた、罪人の冷たい手を。



   *   *   *



 自分はこれで良かったのか。

 これまで何度も、そんな自問をした。


 ――これしか方法は無かったんだ。

 始めにそう答えを出したはずなのに、今もずっと、問いかけられている気分だった。


「……これが罪悪感ってやつか」


 組織員の集まる部屋の隅で。壁に背を預けて立つサウェルは、誰にも聞こえないような小さな声で呟いた。


 物を盗んだ事がある。人を傷付けた事がある。

 だがそんな罪が霞むほどに、一人の少女を裏切った罪悪感が、彼の心に深く沈んでいた。


 最後まで彼の言葉を求めていた彼女の顔がちらつく。分かっていた事とはいえ、心が裂かれそうな気分だ。一生消えることはないだろう。


 犯罪者は犯罪者らしくあらねばならない。

 心に真っ黒な汚泥を詰め込んで、汚れた手で守れる物だけを抱えながら進まなければならない。


 これは覚悟ではない。諦めによって下した決断だ。きっと後悔しない日は無いだろう。


 だが、それは後からでも遅くない。


(今は、俺がやるべき事をやるだけだ)


 休んでいるふりをしながら、視線を前に向ける。ソドムとゴモラ、それに数人の組織員が広い部屋に散らばって話をしていた。

 どこの組織が奴隷商売で儲かってるだの、人身売買の安全なやり方はこうだのと言った、吐き気のするような話を笑いながらしている。いくつかの『商品』が確保でき次第、実行に移すつもりなのだろう。

 そこには、サウェルが連れて来た白髪の少女も含まれる。


「……」


 サウェルはひっそりと、冷たい右腕に力を込めた。


 この組織における彼の役割は、便利な魔道具を作り続けつつ、街から『商品』を連れてくる事。

 それを強要する組織は今、人質を取ったうえで、彼の武器を全て預かっている。

 それで安全だと彼らは思っているらしい。


(ペトルを見張ってる仲間に指示を出される前に仕留める。その為なら、腕の一本くらいくれてやる)


 今のサウェルは丸腰だが、実は武器を一つ隠し持っていた。それは、彼の右腕の中。

 部品を少しずつ埋め込んだので誰にも気付かれていない。準備が出来たら、血液と体内の魔力を反応させて腕そのものを最後の『部品』とし、起動する仕組みだ。

 卓越した魔道具製作の技量を持つサウェルでこそ出来る、一回きりの超技術。


 気付かれない事を最優先にした急ごしらえの切り札であり、もちろん安全装置も無い。使えば確実に右腕が吹き飛ぶだろう。場合によっては命にも関わる。


(関係ない。これでここの全員を殺せるなら、それで……!!)


 壁から背を離して、サウェルは拳を握りしめた。殺すべき敵へ、一歩近付く。

 決意と怒り、そしてすぐに来るであろう痛みに備えるよう歯を食いしばり――


「ゴモラさん! 大変です!!」


 扉を押し開けながら放たれた大声に、サウェルの一歩が止まった。

 慌てた様子で転がり込んで来た男は、続けて報告する。


「捕まえた女が牢から出てます! 組織員を片っ端からなぎ倒しながら、こっちに向かってます!!」

「何だと!?」


 報告を受けた全員が目を剥いた。サウェルも思わず固まっていた。


「しかもおかしいんですよ! 俺たちの魔道具は使えないし、見られただけで体が動かしにくくなるし、オマケに使って来るんです!!」

「おいサウェル! あの女は戦えない白魔術師って話じゃ無かったのか!」


 場の空気が一変した。楽に獲物を捕まえて緩んでいた彼らの神経は張り詰め、その責任をサウェルへ問う。

 そして彼はと言うと。


「……セフィは、白魔術師だよ」


 笑っていた。

 自分が裏切った少女のたくましさに自分にはない強さを感じて、思わず笑みが零れていた。

 たかが一人が裏切った程度で彼女の道が終わると思っていた自分が小さく見えて、可笑しくてたまらないといった様子で。


「俺の命を救ってくれた、未来の『白十字しろじゅうじ』だ。俺達みたいな小物には捕まえられない、強い女の子だよ」


 彼の言葉を決定付けるように、大きな衝撃音と共に扉が砕かれた。


 土煙に混ざる白い冷気を踏み越えてやって来たのは、純白を背負う少女だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る