第11話 時雨の色

「さあ、今はここから離れよう。話は後だ」


 サウェルに手を引かれてゆっくりと立ち上がったセフィ。巨大な魔獣が踏み荒らしたかのような周囲を何気なく見回して。

 驚きのあまり、呼吸が止まった。


 紅い塊が、視界の端で蠢いた。


「テメェは……俺が、捕まえる……」


 ねじれた片脚に魔力を詰め込んで、ロウソクの火のように弱々しい赤色を纏うアンデーレが、起き上がっていた。


「おいおい、しぶといなんてモンじゃないぞ……本物の怪物かよ」


 震える声で言いながら、サウェルはセフィを庇うように前に立つ。

 それでも限界まで気力を振り絞っているのか、短剣を構える腕は今にも力を失いそうだった。


「俺は、なにをしてでも、『赤時雨あかしぐれ』に……」


 彼の瞳が赤く染まった。刃のような眼光に射抜かれ、冷たい恐怖がセフィの心臓を鷲掴みにする。その瞳に宿る光は狂気的で、前を見ているようで何も見えていないような目をしていた。


 逃げる暇も無かった。

 血だらけの青年は朱色の剣に魔力を宿し、セフィとサウェルへと突進する。



「いたいた、見つけたよ」



 瞬きの間に、そこに男が現れた。

 セフィたちに背を向けているので顔は見えないが、その軽い口調は笑っているように思えた。


「……!?」


 いきなり現れた長身の男性は、アンデーレの斬撃を剣で受け止めていた。不安定であれ色の付いた魔力が宿る一撃に対してただの長剣で、だ。


 剣が見えるのは右手だけじゃない。背中にも一本背負っており、左腰には今持っている物の鞘とは別にもう一本、右腰にはさらに二本下がっていた。そのどれもが、大きさも形も微妙に違う。


 五本の剣を携えた男性は剣を振った。それだけで、膂力に押し負けたアンデーレは弾き飛ばされてしまった。アンデーレは目を丸くしていたが、それは自分が力で負けた事への驚きではないようだ。

 何故なら彼が、顔に表れた驚愕を笑みに変えてこう呻いたから。


「五本の剣……そうか、テメェが『赤時雨』か!!」

「えっ? 『赤時雨』って、あの!?」


 世界最高の剣士に与えられる名を呼ばれた剣だらけの男は、背に庇うセフィ達の方へ顔を向けた。すらりと伸びた手足と武器だらけの見た目に反して、おっとりとした笑みだった。


「そうだよ。僕はシモン。四代目『赤時雨』さ」

「『赤時雨』が、どうしてこんな所に……? まさか、お前もセフィを」

「ちがうちがう。君たちをどうこうするつもりは無いよ」


 警戒するサウェルの問いを優しく否定する、シモンと名乗った『赤時雨』。


「僕の目的は彼だよ」


 目を向けられたのは、未だに臨戦態勢のアンデーレ。視線を受け、彼は笑みを深くした。


「テメェの用事なんざ関係ねぇ。俺がここでテメェをブッ倒せば、『赤時雨』の座は俺のもんだ」

「うーん、それは無理なんじゃないかな」

「うるせぇ!!」


 闘気に満ち溢れた事で、アンデーレの魔力は再び勢いを増し始めた。血色を纏った彼は一瞬で間合を詰め、シモンに連撃を浴びせる。まるで横殴りの豪雨の如き力強さだった。


「へぇ」


 しかし、シモンにはかすりもしない。彼は剣をいくつも下げているにも関わらず、右手の一本だけで全ての攻撃を受け流していた。

 後ろにいるセフィとサウェルには攻撃の余波すら届いていない。


「揺らいだ魔力をこうもモノにするなんて、その尋常じゃない意思の強さはいい武器になる。でも……」


 シモンが動いた。

 だが、体のどこをどう動かしたのかは、見えなかった。一段と大きな金属音が響いた時には、大きくのけぞるアンデーレと、右手の長剣を細剣に持ち替えていたシモンが見えた。


「固い鋼で殴るだけじゃ、戦いとは言えないよね」

「……っ!!」


 たたらを踏んだアンデーレが剣の腹を向ける。『突き』に特化した細剣が取り出された事により、刺突攻撃を警戒したのだろう。

 そんな彼の頭に、横薙ぎに払われた細剣が直撃した。不意を突かれたアンデーレの動きが鈍る。


「時雨って言葉の意味、知ってるかい?」


 刹那。

 文字通り、目にも留まらぬ速さだった。

 細剣が動いたとセフィが気付いた頃には、アンデーレの体中に十二もの衝撃点が発生し、彼は後ろに飛んでいた。


「旧時代と違って近頃は使われなくなったけど、言葉自体は消えてないはずだ。時雨はね、降ったり止んだりする雨のことを言うんだ」


 体に纏っている魔力ですら防ぎ切れなかったのだろう。あれだけしぶとかったアンデーレの動きが、ついに止まる。


「降る時と止む時、両方の瞬間をよく感じないと、人に時雨は見つけられないよ」


 返される言葉は無かった。

 アンデーレの体がぐらりと揺れ、そして倒れた。そのまま動くことはなかった。


「眠っちゃったか。起きた時には、ゆっくりお話しできるといいなぁ」


 のんびりとアンデーレへと近付きながら、シモンは剣を収めた。セフィ達に手を出す気はないというのは本当らしい。


「それで、君たちは――」


 シモンの声が途切れた。

 いや、違う。セフィの意識が薄れているのだ。精神的にも体力的にも、とっくに限界が来ていた。


「セフィ、疲れたなら休んでくれ。後はなんとかするから」

「う、ん……」


 足手まといにはなりたくなかったが、これ以上は指一本動かせないのも事実。今回は彼の言葉に甘えて、セフィは目を閉じた。


 サウェルとシモンの話し声がくぐもって聞こえたが、それもすぐに聞こえなくなる。周囲の音が遠ざかり、視界が暗くなる。

 あっさりと、意識は深い眠りに沈んだ。



   *   *   *



 瞼の向こうから、仄かな光を感じた。石を削るような心地良い音も耳に入ってくる。

 見覚えの無い天井をぼんやりと眺めること十数秒ほど。セフィは、自分が眠りから覚めた事に気が付いた。


 寮のものよりも少し硬いベッドに仰向けになっていたセフィは首を動かす。

 ベッドの傍に、床に座るサウェルがいた。彼の前には、砕かれた石や見た事もない器具、それから裁縫道具などが並んでいる。


 彼は慣れた手付きで、手に持っている布に針を通していた。暗い色の布に、銀色の刺繍を施しているようにも見える。たまに石を砕いて粉をすり込むと、布がぽうっと光っていた。


 黙々と作業をするサウェルの横顔は、真剣そのものだった。まるで今の彼の世界には、彼自身と道具しか無いような。しかし寂しい孤独ではなく、どこか楽しそうでもあった。


 と、彼は手を止めてこちらを向いた。目が合うと、恥ずかしそうに破顔する。


「なんだ起きてたのか。声かけてくれよ」

「ごめん、集中してたから……それより、怪我は大丈夫なの? ひどい傷だったのに、寝てなきゃ駄目だよ」

「宿の魔術師が治してくれたから問題ない。傷は骨まで届いてなかったし。セフィの方こそ、体調はどうだ?」

「ちょっとぼんやりするけど、大丈夫。どこも痛くないし、疲れも取れてる感じ」

「なら良かった。昨日はいろいろありすぎたからな。気絶するほど疲れて当然だ」


 学校から逃げ出し、サウェルと出会い、犯罪者となって国外逃亡を始めた。

 捕まえに来た冒険者たちと戦い、サウェルが死にそうになった恐怖と、自分の訳の分からないチカラへの疑念に襲われた。


 思い返してみると彼の言う通り、あまりにも濃密で激動の一日だった。自分の世界が何度もひっくり返り、その度に感情がかき乱された。

 だが今は、こうして二人とも無事でいる。それだけで、セフィの心は落ち着けた。


「でも、まだ夜中だ。もう少し寝た方がいいぞ。明日は歩くんだ」

「まだ眠くないし、ちょっとしたらね。そう言えば、ここは?」

「泊まる予定だった宿だよ。幸い、降りた所からそう遠くない場所にあったんだ。馬車は無くなったから、乗客は明日の昼まで足止めらしいけど」

「え、泊めてくれたの? 私、みんなの前で犯罪者だって言っちゃったのに」

「実はあの後……」


 セフィは眠った後の話をサウェルから聞いた。

 馬車まで戻って来た乗客にシモンは、『アンデーレ達は冒険者を騙る悪党で、セフィこそが正義の冒険者だ』と話したらしい。実際、アンデーレの方が恐ろしい言動をしていたので、乗客は疑う事なく信じたようだ。

 宿の事務員にも事情を話し、主にセフィに命を助けられた御者の要望で、一番良い部屋に泊めてくれたのだそう。


「そうだったんだ。それで、そのシモンさんは?」

「話がつくと、アンデーレを担いでどこかに行っちまったよ。何であいつを探してたんだって聞いてもはぐらかされたけどな。今はどこにいるのか分からない」

「そっか……お礼言いたかったのになぁ」

「どういう訳か、あの人は俺達の事情を知っていて、その上で手を貸してくれたようだった。一体どうして……」


 今まで一歩も学校から出れなかったので当然だが、セフィは初めて本物の『赤時雨』に出会った。『白十字しろじゅうじ』と同じ、『勇者団』から受け継がれた色のひとつ。大陸の伝説的な存在だ。


 物腰柔らかでふわふわした雰囲気の男性だったが、何を考えているのかは全く分からない。ただ純粋で圧倒的な強さだけが、セフィの記憶にはっきりと刻まれている。


 自分の目指す『白十字』は、そんな彼と同じ次元の存在。

 果たして自分に辿り着けるのかという不安と、景色がはっきりと見えた事の高揚感が、セフィの中で同時に芽吹いていた。

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