第9話 怪物の色

 サウェルの背後に迫る冒険者へ、自分に身体強化の魔術をかけたセフィは一気に肉薄する。両手に握る杖に硬化と強度上昇の魔術を重ね、思いっきり振り抜いた。


「ふんっ!!」


 冒険者の頭に直撃した渾身の一撃は、彼の奇襲を阻止する事に成功した。

 サウェルは自分が狙われていた事と、セフィが現れた事の二つに驚いていた。


「セフィ!?」

「私も戦う! 戦わせて!」


 彼の返事を待つ暇はなかった。離れた場所にいた冒険者の一人が、炎の魔術を放ったのだ。

 セフィは冒険者の手元で輝く魔法陣を凝視する。


(炎を球状にして放つ魔術。工程は発火、集束、変形、発射――)


 魔道具に刻み込んだり魔術を発動する際に発生する魔法陣は、魔術式と呼ばれる魔術の効果を決める精密な方式を映し出している。複雑な模様にも意味があるのだ。

 セフィはその意味を瞬時に理解することに長けていた。


 そして、彼女の最大の武器は別にある。


(そこに、拡散を加える!)


 杖の先端の青い宝石が耀き、冒険者の魔法陣が密かに。セフィを焼き払おうとする火球が目の前で五つに拡散し、彼女らを通り過ぎた。


 これで終わりでは無い。

 セフィの手元に白い魔法陣が出現する。直後に、炎を放った冒険者の魔法陣が砕かれ、赤い粒子が彼女に吸い寄せられた。炎の魔術を吸収した白い魔法陣はたちまち赤色に変わる。


 拡散した火球は再び一つになり、杖を掲げるセフィの頭上に集まった。この時点で、炎の制御が自分の元に無いことを冒険者は理解しただろう。


「なるほど、これが……」


 その現象を理解したサウェルの呟きは、燃え盛る炎にかき消される。

 白魔術師には成し得ないはずの炎の魔法陣が拡大し、それに比例して火球が肥大化する。

 そして。


「せえいっ!」


 杖を振った。

 轟々と燃える火の塊が弾け、無数の火炎弾が開けた荒地に降り注いだ。焼き殺してしまわないようにあえて外しながらも、徹底的に戦意を消し炭にする。

 破壊の雨が止んだ時、もうセフィたちに攻撃しようとする冒険者はいなかった。


「これがセフィラアート……他人の魔法陣と空間魔力だけで放つ魔術か。凄まじい威力だな」

「まだ完璧には使いこなせてないんだけどね。もう少し効率化を突き詰めないと」

「今ので未完成? 末恐ろしいなまったく……」


 引きつった笑みを浮かべるサウェル。初めての実戦が上手くいって、セフィも満足気だった。

 そして反対に、冒険者たちは大騒ぎ。


 一人で走り去る者がいれば、動けない仲間を担いで逃げる者もいる。ほとんどの冒険者が二人を――特にセフィを捕まえるのは無理だと感じたのだろう。

 ただ一人、赤髪の青年を除いて。


「何が白魔術師だよ……とんでもねぇ火力の黒魔術使ったじゃねぇか! 化け物だ!!」

「情報と違うじゃない、アンデーレ! アタシらは抜けるからね!」

「ハッ、腰抜け共が。好きにしろ」


 アンデーレ。

 それが赤髪の青年の名前らしい。彼は逃げ出す仲間に一瞥もくれず、一人で笑みを浮かべていた。


「面白れぇなテメェ。黒魔術は使えねぇって話だが、今のはどういうモンだ?」

「さあね。教えてあげない」

「それよりいいのか? お仲間は逃げちまったぞ」


 サウェルも負けじと挑発的に笑い、短剣を手の中で回す。


「あとは涙と血を流して跪くお前を見たら、俺達の勝ちだ」

「笑わせんな。今からが本番だろうが」


 血のような朱色の剣を水平に構えて、アンデーレは姿勢を低くして構える。獣のように獰猛な瞳がセフィとサウェルを捉えた。

 開戦の一歩が踏み出された、その直後。


「……!?」


 大きく前進するはずだったアンデーレの体が不自然に傾いた。セフィが彼の全身に不均一な身体強化魔術をかけたせいで、体の制御が狂ってしまったのだ。


「がら空きだな」


 対するサウェルの動きは、川の流れのように滑らかだ。魔道具で加速を倍にしているだけじゃなく、セフィが正しく身体強化をかけたおかげだ。


 青い光跡を描く拳が、真っ直ぐ向かって来るアンデーレの頬を直撃した。揺れる赤髪を視界に入れながら、続けざまに拳が飛び、胸元へ蹴りが入る。


 よろめいたアンデーレはすぐさま体勢を整えようとするが、顔をしかめ、苛立たし気に頭を押さえた。セフィが補助魔術である思考加速を過剰に与えた影響で、視覚情報が上手くまとまっていないのだ。目の前の景色もまともに見れないだろう。


 複数人に複数種類の魔術を同時にかけてこそ、白魔術師の腕の見せ所だ。

 セフィは宝石が輝く杖を握ったまま合図する。


「サウェル、今!」

「任せろ!」


 セフィラアートによって魔道具の性能が強化され、サウェルの動きがさらに加速した。

 白魔術によって先ほどまでの疲労は癒え、強化した体の動きに追い付けるよう動体視力も向上している。今のサウェルの動きは、目で追う事すら難しいだろう。


「このッ、ちょこまかと!!」

「やみくもに振り回しても当たんないぞ」


 青い乱舞に短剣の緑も加わる。与えた衝撃を別の場所に移す魔術式によって、朱色の剣とぶつかり合う度に、アンデーレの全身に傷が生まれた。戦況は終始、一方的だった。


 青と緑の光に血の赤が混ざるのを見て、サウェルは大きく息を吸った。立っているだけでボロボロになっていく敵を見据え、右手に力を込める。

 雷の如きひと突きが、アンデーレの右肩に直撃した。


「終わりにしてやる」


 サウェルから出る一瞬の煌めきが短剣に集束する。

 一拍遅れて、アンデーレから血が吹き出した。苦痛に顔を歪める彼は、そのまま剣を取り落とす。


『動きの加速を倍にする』青い魔術式による超速の刺突は、『衝撃を別の場所に移す』緑の魔術式によってサウェル自身の服に転送された。そして服に刻まれた『衝撃を吸収し倍にして武器に宿す』赤い魔術式の効果で、通常の数十倍の運動量が炸裂したのだ。


 その一連の流れをセフィが理解した頃には、アンデーレは地面に左手を突いていた。右肩からは血が流れ続け、腕も曲がるはずのない方向に折れ曲がっている。


「さあ、犯罪者らしく暴力でねじ伏せてみたぞ。涙は流れそうか?」


 敵を見下ろし、油断なく短剣を突きつけるサウェル。セフィもいつでも魔術が使えるように身構えていた。


「クカッ……カハハッ……! 良い抵抗だったぜ、ガキ共」


 返って来たのは、潰れたような笑い声だった。その不気味さに、セフィは顔をしかめる。


「だが、言ったはずだぜ……今からが本番だってな」


 アンデーレは左手で剣を握り、ゆっくりと起き上がる。


「……!?」


 重い衝撃と共に、視界が赤く染まる。セフィたちは後ろに吹き飛ばされた。

 三回ほど転がってようやく起き上がったセフィは、満身創痍に見えたアンデーレの様子に、限界まで目を見開いた。


「うそ、あれって……」


 つま先から頭の先、片手で握る長剣まで、深紅のオーラに覆われていた。

 まるで全身の血が空気に溶けて漂っているかのような、痛々しさを覚える色だった。


「セフィ、あれが何か分かるのか」

「魔力……彼の中の魔力が溢れてるんだよ」

「どういう事だ? 魔力に色なんて無いはずだろ」

「うん、ね……」


 魔術や魔道具は、魔術式によって魔力に命令を与えて発動する。

 命令を与えられていない純粋な魔力は無色透明で、何の性質も宿さない。セフィラアートによって空間魔力で生み出された『白い魔法陣』がそれに近いだろう。


 だが、セフィは聞いた事がある。

 ごく稀に、体内の魔力が精神によって揺らぎ、色と性質を持つ現象が発生すると。

 言うなればそれは、精神力の具現。


「あの人の魔力は今、あの人自身の暴力性を宿してる……魔力を鎧にしてるんだよ」

「そんな馬鹿なこ――」


 深紅が炸裂した。

 血色の旋風にも思えたそれは、赤い魔力を宿したアンデーレの突進。吹き飛ばされたサウェルは馬車に激突し、車体はひしゃげて窓ガラスが割れる。まだ近くに残っていた乗客の悲鳴がそれに続いた。


「サウェル!!」

「く、そ……」


 慌ててその場を離れた直後、さっきまでサウェルがいた場所をアンデーレの剣が両断する。彼はセフィなど見向きもせず、血走った目で黒い少年だけを追っていた。


「どうした! さっきのキレがまるで無ぇなァ!」


 耳障りな嘲笑と共に、赤色の濁流はサウェルを飲み込み、吹き飛ばす。飛んだ先には既に赤い閃光が渦巻いており、なす術もなく斬り付けられる。


 セフィは慌てて白魔術による妨害を試みたが、魔力と一体になったアンデーレの動きが速すぎて目が追い付かない。

 セフィラアートで彼の攻撃に干渉しようにも、魔術式を持たない魔力そのものは、セフィにも操れない。


「ど、どうしよう……」


 暴力性を増した魔力によって全身が強化されたアンデーレの一撃は、サウェルの魔道具ですら衝撃を防ぎきれていない。馬車を粉砕する威力の剣を受けて骨がくっついている事自体が奇跡みたいな物だが、それも長くは続かないだろう。


 あれは破壊を具現化した、怪物だ。

 目覚めさせてはいけないものを、覚醒させてしまった。


「どうにかしないと、サウェルが!」


 一目散に逃げる乗客。破壊された馬車。剣を振り回す血色の怪物。そして、血を吐きながら猛攻に耐える少年。

 立ち尽くすしかないセフィの目の前には、地獄が広がっていた。


「もっと楽しませてみろ!! じゃなきゃ」


 赤い魔力を帯びて三倍の大きさになった刃が、地に倒れるサウェルの前で振りかざされる。サウェルはもう、逃げる事もできない様子だった。


「ここで死ね!!」


 罪人を裁く赤い剣が、振り下ろされる。


(だ、だめ……そんなの……)


 セフィの視界が限りなく遅くなった。

 焦りも恐怖も何もかも忘れて、ただ目の前の結果を否定していた。


(サウェルが死んじゃうのも……ここで全てが終わるのも、絶対……)


 隣にいたはずの少年が、無意識に伸ばした手のはるか先にいる。

 届かない先で、赤い死が彼を刈り取ろうとしている。


(ぜったい、ダメ――!!)


 その、刹那の瞬間に。

 何かの糸が切れたかのように、視界が暗転した。


「『罪悪よ』」



 そして、『彼女』から言葉が出た。


「『いかずちは再び、委ねられた』」

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