第8話 戦意の色

「待って!!」


 振り上げられた血色の剣が止まる。混乱状態の乗客をかき分けて、セフィは前に出た。


「私がそうだよ。あなたが探してる犯罪者」


 髪飾りに手を当てると、空色の長髪が静かに波打ち、やがて元の純白に戻った。


「確かに報告通りだ。たったこれだけで出て来るなんてな。犯罪者の癖に非道になりきれねぇのか?」

「……っ」

「まあいい。とりあえず、コイツ治せよ」


 相変わらず不気味な笑みを湛えたまま、剣を下ろした青年は後ろに下がった。

 セフィは彼から目を離さないままゆっくりと前に進み、御者の前で屈み込んだ。斜め掛けに背負っていた袋から杖を取り出し、強く握る。


 彼女と倒れる御者を照らす大きな魔法陣が現れ、深く裂かれた傷が少しずつ塞がっていく。命に関わる傷さえも、時間さえかければセフィには治癒できる。

 しかし、いくら完璧に塞いでも、傷は『無かったこと』にはならない。


「あなた達は、冒険者なんかじゃない」


 地面に浮かぶ魔法陣の上で屈みながら、セフィは赤髪の青年を睨み上げていた。


「冒険者は、人々を守るために世界を旅した『勇者団』の仲間。あなたみたいな残酷な奴は、冒険者なんて名乗っていいはずない!」

「語源なんてどうでもいいね。古臭い伝説に興味はねーよ」


 セフィが震える声で叫んでも、彼は馬鹿馬鹿しそうに笑い捨てるだけだった。


「俺が目指してるのは剣士の最高到達点、『赤時雨あかしぐれ』の称号だけ。こんなくだらねぇ仕事して実績を稼いでんのも、全てはその為だ」

「……あなたにはなれない」

「あ?」


 治癒を終えて、立ち上がったセフィの足は震えていた。それでも、言うべき言葉を飲み込む事はできなかった。


「あなたに『赤時雨』ゲブラの意思は受け継げない。人のために剣を握れない人になんか、絶対に……!!」

「うるせぇな」


 青年のしなやかな脚がセフィの腹を蹴り飛ばした。

 肺から空気が吐き出され、苦しそうに胸をおさえてえずく。


「さっきから勇者がどうのゲブラがどうのって。昔話に興味はねーっつってんだろ」

「が、あっ……」

「騎士団から聞いたぜ。テメェは『白十字しろじゅうじ』になりたいんだってな。学校に籠りきりのガキには現実も見えねぇのか?」


 うずくまっていた所を剣の腹で殴られ、地面に倒れ込むセフィ。

 青年は不愉快そうに言葉を吐き捨てた。


「『白十字』なんて現代には存在しねぇよ。魔術師には『紫星座むらさきせいざ』がいるじゃねぇか。黒も白も使える奴がな。わざわざ白魔術だけに偏った『白十字』なんざ不必要。だから自然と消えたんだ」

「くっ……」

「仮にあったとしても、テメェには手の届かねぇ世界だがな。犯罪者が夢見てんじゃねぇよ」


 突き付けられた剣の切っ先が、落ちていく陽の光を反射する。自然の光にまで責められている気分だった。


 セフィは記憶を取り戻す鍵がケテル神書にあると考えて『白十字』を目指していた。神の御業の一端たる神術なら、きっと閉ざされた記憶も開かれると信じて。

 そのつもりだったのだが、本心では違ったのかもしれない。『白十字』ケテルの事を調べているうちに、本気で彼女に憧れを抱いていたのかもしれない。


 でなければ、『白十字』を否定された今、こんなに悔しいはずがないのだから。


「……私は、『白十字』になる。みんなを守って、世界を癒す、ケテルのような白魔術師に……」


 両腕に精一杯力を込めて身を起こす。杖を頼りに体を持ち上げながら、か細い声でセフィはつぶやく。


「……そーかよ。俺には関係ねぇ話だがな」


 朱色の切っ先は彼女の動きを追うように首へ向けられている。

 興味を失ったのか、青年はもう笑ってもいなかった。


「けどよ、やっぱテメェには無理だぜ。テメェの実力が『色』に値するかどうか以前の話だ。目的の為に余計なモンを切り捨てられねぇ中途半端な野郎は、結局何も手に入らねぇんだよ」


 その言葉が、冷たく入り込んだ。

 セフィは自由のために、サウェルに協力してもらって国外逃亡を決意した。しかし今、斬られた御者を助けるためだけに、その努力を棒に振ってしまったのだ。

 彼の言う通りかもしれない。セフィは中途半端だった。


「で、でも……それじゃあ……」


 なら、どうすればよかったのか。

 この場を凌ぐために、消え行く命を見捨てろと言うのか。さらに増えていたかもしれない犠牲も、当然のように目を逸らすべきだったのか。

 非道に徹しなければ、犯罪者の自由は得られないのか。


「私は……みんなを……」

「抵抗する気力もねぇってか。おい、さっさと連れてけ」


 虚ろな目でうわ言をつぶやくセフィから剣を離し、赤髪の青年は仲間に指示を出す。縄を持った男が一人、近付いた。


「ぐぅっ!?」


 その男の胸に、片手ほどの大きさの刃が突き刺さった。


「ギリギリまで踏ん張ったけど、やっぱり我慢できないな」


 無言で行く末を見守るしかない乗客たちの中から、一人だけ前に出て来た。

 同時に、冒険者の男に突き刺さった刃がひとりでに引き抜かれ、進み出た少年の手元に引き寄せられた。刃はそのまま、彼が手に持っていた剣の柄のような物体に装着される。


「へぇ……そういや騎士団が、仲間がいるかもしれねぇとか言ってやがったな」


 不意に飛んで来た刃に胸を刺された仲間の事など気にも留めずに、青年は再び熱を帯びたように笑みを作る。


「しっかりしろ、セフィ」


 刃の飛ぶ短剣を握りしめた少年は、自らの問いに呑まれて固まるセフィの肩に手を置いた。

 服越しでも伝わる冷たく優しい感触に、セフィは顔を上げる。


「サウェル……なんで」

「俺も中途半端なんだよ。逃亡者としてはここで他人のふりをしておくのが正解なのかもしれないけど、俺にはあのいけ好かない野郎の言葉に、背を向ける事が出来なかった」


 セフィが初めて見るほど真剣な顔で、サウェルは短剣を前方に突き付けた。


「夢を見る犯罪者の代表として、俺はお前の言葉を否定する」

「面白れぇ……! 犯罪者の戯言がどこまで通じるか、試してやるよ」

「ならお言葉に甘えて、戯言以下の野郎の血を見るとしようか」


 冗談は吐くが、サウェルは真顔だった。ただ静かに前を見据える。体のあちこちから色とりどりの淡い光が零れていた。


「お前ら、この男は依頼に関係無ぇ! 殺せ!」


 その号令が合図だった。

 後ろに控えていた十人ほどの冒険者が、一斉に動き出した。


「下がってろ、セフィ」

「た、戦えるの?」

「苦手だけどな。今の最適解はこいつらを全員動けなくしてから逃げる事だ。なら、やるしかないだろ?」


 笑みを残して、サウェルは走り出した。いつの間にかはめられていた両手の指ぬき手袋と、両足の靴に刻まれた魔法陣が青く光る。

 それを見ただけで『動きの加速を倍加する』魔術式である事を解析できたのは、セフィだけだった。


「お前らくらいなら、何とかなりそうだ」


 サウェルの動きがぐっと素早くなった。冒険者が彼を目で捉えた時には、彼は両拳で二人の敵を同時に殴り飛ばしていた。別の者が突き出した槍もするりと躱し、柄を掴んで引き寄せ、持ち主を蹴り飛ばした。


 短剣の刃が緑に光る。刃を飛ばすのとは別の魔術式を組み込んでいるらしい。

 サウェルの短剣と冒険者の長剣が、金属音を響かせて交差した。

 その直後、冒険者の右肩が不可視の斬撃に斬り裂かれた。血を流して力が弱まった所を、青い拳が的確に潰す。


「数が多いな……!」


 今度は三方向からの同時攻撃。

 振り下ろされる大剣は身を捻って回避し、横薙ぎに振るわれる剣には緑を帯びる短剣で受け止めた。短剣の『衝撃を連続する別の場所に移す』魔術式の効果で手首を斬り裂く。最後の一人は、動きが遅れていたので顎を蹴り上げるだけで終わった。


 間髪入れず、遠くから三本の矢が同時に飛来する。しかし、サウェルの黒い服はいとも容易く矢を弾いた。その時、一瞬だけ接触点が赤く光ったのが見えた。


 驚愕で動きが鈍った弓使いに急接近し、サウェルは短剣を敵の肩に突き刺す。矢が当たった箇所から短剣へと、赤い煌めきが腕を這う。


「倍にして返すよ」


 短剣を軽く刺しただけとは思えないほどの傷が開き、血が吹き出る。傷を手で押さえたまま弓使いは後ろに下がった。


「す、すごい……」


 複数の魔道具を使い分けて駆け回るサウェルを、セフィは呆然と眺めていた。

 戦いは苦手だと言いつつ、彼は冒険者を次々となぎ倒すほどに強い。優れているのは彼の戦闘技術なのか、それとも魔道具の性能なのか。数では勝っていたはずの冒険者たちは、彼になす術もなくやられていった。


「あ……!」


 しかし、彼の体力も無限ではない。

 七人目を倒した辺りで、サウェルの動きが目に見えて鈍っていた。そしてその隙を逃さず、背後から斬りかかる敵が見えた。


 青年の言葉に心を挫かれそうになったセフィは、何もできずに立っているだけだった。しかしこの瞬間、彼女の中に新たな選択肢が現れた。

 迫り来る全てから逃げてばかりの今日、初めて浮かんだ選択。


 戦う。

 その道を選ぶことに、不思議と恐怖も躊躇いも無かった。


「身体強化!!」


 自らを魔法陣の光に包んだ白魔術師は、目の前の戦場に躍り出た。

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