第7話 急転の色

 国境行きの馬車はなかなかに大きく、装飾も豪勢だった。

 縦に長い車体には透明な窓ガラスがはめられており、それを背にして向かい合う形で、二列の長い椅子が敷かれている。

 足を伸ばしても向かいの人に当たらないくらいのゆとりがあり、宿までの道のりは快適に過ごせるだろう。


「わぁ、すごい! サウェル、あそこに池があるよ! あそこの建物は小さな村かな? 大きい煙突だね!」

「落ち着け落ち着け。そのペースではしゃいでたら体力もたないぞ」


 初めての馬車に、セフィは珍しくうきうきしていた。無事に出発できたという安心も手伝ったのだろう。不安や苦悩を忘れて、純粋に旅を楽しんでいる少女の顔をしていた。


「ねえ聞いた? リビル西地区の白魔術師の話」


 だが、少し離れた乗客の世間話を拾ってしまい、セフィは口をつぐんだ。


「キルヤの魔術師が王国騎士団に追われてたんだって。白い髪の女の子で、まだ捕まってないって」

「何それ知らない。キルヤって結構有名な所じゃなかった?」

「私の友達も通ってる。そいつのせいで学校に変な印象付いたらたまったもんじゃないよ。はやく捕まればいいのに」

「学校も騎士団も今ごろ大変だろうね。面倒な事になる前に出発できてよかったよ」


 首筋に氷を押し当てたかのように、鋭く冷たいものがセフィの意識を刺した。


 騎士団から逃げて、国から逃げて、運命から逃げようとしている自分を今になって戒める、白い鎖が見えた。人とは違う存在には、意思すら必要ない空白が相応しいとでも言うかのように、苦しいほどに白い道が見えた。


 ――今の私は正しいのか?


 今になって、そんな自問をしてしまう。


「サウェル、私……」

「大丈夫だ。セフィは悪くない」


 胸の内を見透かしたように、彼の声は幻影を振り払った。


「俺も君も、正しいし間違ってもいる。でも、自分を殺してまで進む道に、本当の正しさは無いはずだ」


 隣にいるセフィにだけ聞こえる声で、サウェルは語る。


「だから、自分を優先した君は悪くない。どんなに利己的で自分勝手だって言われても、人はそうあるべきだ」

「……そうあるべき、か」


 顔を上げたセフィは、空色に変わっている長い髪を目元から離し、横目でサウェルを見た。


「サウェルの話って、たまに大きくなるよね。私よりたくさんの物を見て、その全てに言ってるような気がする」

「そうか?」

「そうだよ。でも……ありがと」


 彼の言っている事を全て理解するのは難しいだろうが、言いたい事は伝わった。

 セフィはふわりと笑みを浮かべて、窓の外へ視線を移した。


 自分を覆っていた殻を破り、利己的で自分勝手な選択をした先にある美しい景色。犯罪者になって初めて見えた、色とりどりの世界。


(私にもいつか、自分のまちがいを正しいって言える日が来るのかな)


 横へ横へと流れていく景色を眺めながら、彼女はぼんやりと考える。


 ――ガゴン!!


 突然、車体が大きく揺れて、流れる景色が止まった。乗客の話し声が途切れ、何があったのかと不思議そうに視線を巡らせている。

 セフィを含めた誰もが、すぐに再び走り出すだろうと思ったが。


「全員、馬車から降りろ!!」


 外から響いた鋭い男の声に、乗客のざわめきが断ち切られる。


「皆さん、少し待っていてください」


 いち早く動いたのは、一番後ろに座っていた大柄な男性。腰に剣を携えた彼は、この馬車の護衛を担当する者であると出発前に紹介された。

 非常事態を察して、彼は一番に馬車を降りた。


「な、何だろう……」

「盗賊か? まだ陽も沈んでないのに」


 怯えるセフィとは反対に、サウェルは冷静に外へ視線を向けていた。先ほどの声は前方から聞こえたので、左右の窓からは角度的に確認ができない。

 何が起こったのか分からない不安が車内に充満する。


 ややあって外から開かれた扉から、先ほど降りた護衛の男性が顔を出した。


「すみません。全員降りてください」


 その一言で、乗客はさらに混乱した。先ほどの声と同じ指示をしたのだから。

 しかし、いつまでも動かない訳にもいかない。出口に近い人から順番に降りていき、嫌な予感がしつつ、セフィとサウェルもそれに続く。


「これで全員か?」


 道を塞ぐように広がっていたのは、十人ほどの武装した人間。彼らの前に立つ赤い髪の青年が、先ほどの声の主みたいだ。

 彼は抜き身の長剣を地面に突き立て、戸惑う乗客を見回した。


「俺達は王国騎士団に依頼された冒険者だ。この馬車に、騎士団に背いた犯罪者が乗ってるはずだ。キルヤから逃げた白魔術師がな!」

「……っ!?」


 驚きのあまり、セフィは息を呑んだ。

 前に立っている乗客の背に隠れるように一歩後ずさりながら、サウェルの方を見る。


「ど、どうしようサウェル」

「先回りされてたのか……考えるべきだった」


 恐らく、馬車に乗れたのも本当にギリギリだったのだろう。セフィ達を乗せた国境行きの馬車が出発してすぐに、彼らも後を追ったのだ。そして馬車が迂回する所を全て直進し、こうして追いついた。


「だとしても対応が速すぎるが……ひとまず落ち着くんだ。奴らは君の顔までは知らない」

「う、うん」


 小声で話をしていた二人は再び前を向く。

 騎士団の使いである冒険者たちの代表的立場らしい赤髪の青年は、鋭い目つきで乗客を睨んでいる。


「さっさと出てこい! この中にいるのは分かってんだぜ、犯罪者。お前は逃げられない!」


 ザリザリと剣を引きずりながら、高圧的に言葉をぶつける。そのひとつひとつが、セフィの心に突き刺さった。

 せっかく順調だったのに、このまま騎士団に引き渡されるのは嫌だ。緊張でくらくらして来たが、前からは見えない角度からサウェルが背中を支えてくれた。


「返事ナシかよ。おいお前、怪しい奴を差し出せ」

「し、知りませんよそんな人!」

「じゃあお前は」

「わわ私も、心当たりは何も……」


 青年は、血のように毒々しい朱色の剣を適当な乗客に突き付け、脅すように尋ねていた。だが一向に見つからない事にしびれを切らしたのか、四人目でそれをやめ、大きくため息を吐いた。


「ったく、手っ取り早くやるか。オイそこの御者、こっちに来い」


 乗客と冒険者たちの中間ほどの距離でオロオロしていた御者は、呼ばれてゆっくりと歩き出す。そして。


 鮮血が舞った。

 苦痛に染まった御者の叫び声と、乗客の悲鳴が耳をつんざく。


 赤髪の青年が、目の前まで近付いた御者の腹を斬り裂いた。そう理解するまで、セフィは声すらも出なかった。


「さあ出てこい白魔術師! 早く治癒しねぇと、コイツ死んじまうぞ? 血がドバドバ出てるからな」


 言われるまでもなく明らかだった。

 内臓が見えそうなほどの深い傷。放っておけば数分で足りなくなるであろう量の血が溢れ続けていた。


「さっさとしねぇと、テメェのせいで人が死ぬぞー?」

「な、なに、を……」


 全ての音が遠ざかっていく感覚だった。自分の荒い息だけが聞こえて来る。目を逸らしたくても逸らしてはいけない光景が、目と脳に強く焼きつく。

 犯罪者を一人あぶり出すために人を斬るなど、正気の沙汰ではない。事実、青年は薄い笑みを浮かべており、とても人の心があるとは思えない。セフィには彼が化け物に見えた。


「ンだよ、騒ぐだけで誰も手ェ挙げねぇか。じゃあ、もう少し深く――」


 自分の自由か、知らない人の命か。

 唐突に突き付けられた天秤を、傾けるしかなかった。

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