第6話 世界の色
セフィの背中まで伸びる長い白髪は、近年では珍しい色だ。そのまま街を出歩けば当然目立ってしまう。
なので髪飾りの形をした『物の色を変える魔道具』をサウェルからもらい、今は薄い水色に変えている。ローブについているフードも深く被れば、見た目だけでセフィだと気付かれる心配は無いだろう。
特徴的な長い杖も袋に入れれば隠すことができる。他にも旅に必要な道具が入った鞄を背負っており、見た目はまさに、小さな冒険者かその見習いといった所だろう。
バッチリ変装したセフィは、サウェルの先導のもと、エズト方面の国境行き馬車の停留所まで歩いていた。
この街はマアブ王国の西端。停留所まではそう遠くないので、そこは幸いだ。
「サウェルは変装とかしなくていいの? お尋ね者だって言ってたけど」
「今のこれが変装なんだ。以前この街で警備隊に追い回された時は、全く違う恰好をしてたから」
「へぇ……慣れてるんだね」
「生活の一部みたいなもんだからな」
二人の犯罪者は堂々と大通りを歩く。道行く人々は、彼女たちが王国騎士団に狙われているとも知らずに素通りしていく。もはや全員が敵だと思っていたセフィからすれば、少し肩透かしを食らった気分だった。無論、騒がれないに越したことはないのだが。
「いいか、これからの流れをおさらいするぞ」
並んで歩く中、サウェルが声量を落して言った。
「国境行きの馬車はあと一時間ほど、星時計でいう十八時で出発する。しばらく馬車に乗り、日没後は宿に入る。明日は日の出の鐘と共に出発し、二時間ほどで国境に到着だ。普通ならこの流れに沿うだけでいいが、俺達は検問を抜けられない」
「手配犯の情報は検問所の騎士にも共有されてるから、だよね」
「ああ。騎士団には遠隔通信の魔道具があるから、情報は馬より速く届く。いくら変装していても隠しきるのは不可能だ。だから、俺達は検問所に着く前に馬車から降りなきゃいけない」
具体的には、途中で泊まる宿だ。
今晩は他の乗客と同じように泊まり、馬車が出る日の出の前に、宿から抜け出す。
「その後は北西に歩くんだよね。『蒼白の山』を目指して」
マアブ王国の北西、そしてエズト王国の北東。つまり両国の国境をまたがる形で、蒼白の山と呼ばれる場所が存在する。
魔力が乱れているせいで気温がとても低く、入り込んだ者は青白く凍ったまま骨を埋める事になると言われている、誰も近寄れない異常気象領域だ。
そんな誰も近寄りたくない死の山だが、国境にまたがる性質上、入口付近には警備もいる。その警備兵が、なんとサウェルの知り合いなのだという。
「王国騎士団すらやりたがらないあそこの警備は、民間の冒険者が押し付けられてるんだ。国からの無茶な扱いに不満を持ってる奴が多くて、犯罪者の仲間に引き込みやすい。利害が一致すれば簡単に協力してくれる」
「おお。一般人まで抱き込むなんて、ちゃんと犯罪者っぽいね」
「ちゃんとって何だよ……まあとにかく、ソイツが秘密の地下通路に通してくれるんだ。そこを通れば、比較的安全に蒼白の山を越えられる。警備のいない場所に出れるらしいから、実質的に地下通路に入った時点で逃亡は成功。俺も君も、自由の身だ」
そう話を締め括られたサウェルの話に、セフィはごくりと喉を鳴らした。
何事も無ければ、明日の自分はエズト王国に――バラルの街にいる。今朝の自分には想像も出来なかっただろう。それほど、今日の一日で彼女の世界は激変した。
「うぅ、じっくり作戦を確認したら不安になってきた……無事に越えられるかな……」
「大丈夫だよ。不確定なのは馬車に乗る時の簡易検査くらいで、あとは足を動かすだけで着く。心配ないさ」
「サウェルはいいよね、慣れてそうだもん。私は昨日まで学園から出た事もないんだよ? 一人で街を歩いた事もないのに」
買い物や食べ歩きなど、街に出たらやりたい事はたくさん考えていたが、今はそんな事をしている場合ではないし、仮に自由だとしても気は進まなかった。
自分がここにいる事が場違いに思えるような寂しさが心に入り込んで来る。あるべき壁がいきなり取り払われたせいで、解放感すら毒になっていた。
六年の空白を持つ十六歳の箱入り娘には、世界の広さは刺激が強すぎるらしい。
サウェルは黙ってしまったセフィを気遣わし気に見やるが、彼女は緊張した面持ちで前を向いたまま歩いていた。
「そんな暗い顔してちゃ不自然だぞ。エズトへの旅行客って設定なのに」
「そ、そうだよね。もっと楽しそうにしないとね、うん。……あれ、楽しいって、どうやるんだっけ」
感情を上手く制御できない焦りが冷や汗になって頬を伝う。どうにか笑おうと口角を上げてみるが、自然な笑みになっているかどうかも分からない。
(どうしよう……なんか落ち着かない。不安? 緊張? どうしてこんなに汗が止まらないんだろ……ちゃんとしなきゃいけないのに、ちゃんと……)
平常心を保たなければ、と意識すればするほど心臓が早鐘を打つ。
学校での成績は優秀、魔術の腕も随一。しかし、世界については知らなさすぎた。この世界に広がる色とりどりの刺激に対する耐性が無い。歪な育ち方をしたために、いつまでもひとりで立てない子供のように――
「ちょっと小腹が空いたな」
右手に、冷たく柔らかい感触が重なった。
「ほら、あそこで甘いパンが売ってるって。せっかくだし食べてみないか?」
「えっ……でも」
「大丈夫だって。時間はあるしお金も残ってる。次いつマアブに戻って来れるか分からないんだし、時間が許す限り見て回らないと損だ」
急な提案にセフィは戸惑ったが、その間にも握られた手は引っ張られて、そのままサウェルと共にパンを売っている店に向かった。
ひとつ、そこで理解した。
自分にはきっと、引っ張ってくれる誰かがいなかったんだ、と。
一人で勉強して、一人で研究する。思い出せない記憶を取り戻すために『
そんな閉鎖的な日々からセフィを連れ出して、共に立ってくれる誰かが足りなかったのかもしれない。
サウェルに引っ張られているうちに、絡まっていた焦りが消えていくように感じた。彼がセフィに、世界を見つめ直す余裕を作ってくれたのだ。
* * *
マナパンという名で売られていた白くて甘いパンをお腹いっぱい食べて、いくらか気持ちがスッキリした後、セフィとサウェルは停留所への道すがら、服屋や書店、魔道具屋などに寄り道をした。
荷物を増やすわけにもいかないのでたくさん買ったりは出来なかったが、それでもいろいろな店を見て回るという体験ができただけで、セフィは楽しかった。
サウェルが気を遣ってくれた事もまた、申し訳なくもあるが嬉しくもあった。
「時間、大丈夫かな?」
「ああ。まだまだ余裕があるな」
そして、二人は国境行き馬車の停留所までやって来た。
もう夕方だからか、集まっている人は三十人ほどと少ない。中には見送りに来ている人もいるだろうし、実際の乗客は二十人前後といった所だろう。馬車は広そうだし、窮屈な旅にはならなさそうだ。
星時計を見ると、出発時刻の十八時までは二十分ほど余裕があった。今のうちに手続きを済ませておこうと、二人は受付の列に並ぶ。
「ドキドキしてきた……顔を見られて捕まったらどうしよう」
「騎士団の情報も、さすがにここの職員には来てないはずだ。身分証を見せてお金を払えば普通に通してくれる」
「身分証……さすがに学校のは使えないよね?」
「記録に残るからな。心配ない、君のぶんもあるよ」
「身分証、あるの?」
「もちろん偽造だけど。いくつか作ってるんだ」
サウェルはポケットから二枚のカードを取り出した。どこからどう見ても、普通の身分証にしか見えない。
国境行きの馬車に乗ったり大事な手続きの際に必要な身分証には、偽造が非常に困難な魔法陣が描かれているはずだが、サウェルはそれすらも作れてしまうらしい。
「ここはあくまで怪しい者じゃないかどうか見られるだけだから。本人確認とかも無いし、よほど不審じゃなきゃ誰でも通れるよ」
「そ、そうだよね。うん、頑張る」
そうこうしているうちに列が進み、二人の番がやってきた。
サウェルは受付の女性にごく自然な仕草で偽造身分証を差し出す。セフィも怪しくないようフードを脱いで、同じように手渡した。
「二名様ですね。エズトへはご旅行ですか?」
「ええ。涼しい季節ですし、観光でもしようかと」
「国境を越えてすぐのバラルや北の町はまさにうってつけですよ。旧時代の遺跡や大きな花畑もあります。煮込み料理も有名なんですよ?」
「へぇー、それはいいですね。ゆっくり見て回ろうと思います」
フレンドリーに接してくれる受付の職員と、サウェルは笑顔を交えつつ雑談する。そんな余裕すらないセフィは、傍でカチコチに固まったまま終わるのを待っていた。
「確認しました。チケットはお降りの際にも必要なので、なくさないようにしてくださいね」
サウェルの言った通り、大した検査は行われなかった。すぐに身分証と共に馬車のチケットを手渡された。
ぎこちない会釈を残して、セフィは内心胸をなでおろしながら受付に背を向ける。
「あ、ちょっといいですか?」
「ひゃい!?」
突然、肩を掴まれた。
張り裂けそうなほど暴れる心臓を押さえつけて、セフィは恐る恐る振り返る。変な声が出た事を恥ずかしがる余裕も無かった。
「どど、どうしました?」
大丈夫だ。まだ怪しまれたと決まった訳じゃない。変にうろたえなければ問題ないはずだ。
あらん限りの気力を振り絞って平静を装うセフィに対し、受付の女性は顔を近付てけこうささやいた。
「バラルに着いたら、北にある国立公園に行くといいですよ」
「……?」
「恋愛成就のパワースポットなんですよ、あそこの花畑。オススメですよ」
いきなりの観光案内にポカンとするセフィ。次に『怪しまれてはいない』という安心感が先に来て、その後ようやく言葉の意味を吞み込んだ。
暴れる心臓の熱をそのまま受け取ったかのように、顔が真っ赤に染まる。
「ち、ちち違いますよ!! 私達そういうのじゃないので!!」
「うふふ、良い旅をー」
お姉さんはにっこりしながら手を振っていた。別の理由でうるさくなった心臓の音を隠すように、チケットを胸に抱いてセフィは慌ててサウェルのもとに戻った。
「呼び止められてたけど、何かあったのか?」
「えっ!? いや、何もなかったよ! いやー、ちょっと暑くなってきたね!」
「そうか……?」
顔の火照りが収まるまでは、しばらくかかりそうだった。
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