第4話 運命の色

「じゃあ、私はどうしたらいいの!!」


 セフィの悲痛な声に、少年の肩がびくりと跳ねた。


「私はただ、自分の意思に従っただけ! 知るべき事を知りたいだけなのに! それなのに騎士団から追われて、犯罪者扱いされて! どうしたら……どうしたらいいの!!」


 折れそうなほど強く杖を握りしめて、セフィは叫んだ。

 それは一瞬の爆発だったようで、その声はだんだんとか細いものになっていく。


「何が駄目だったのかな。大きな力を持っていながら、それを人のために使わない事? 私が意地を張って自分の考えを曲げなかった事? この国にとって私の何が必要で何が罪なの?」


 俯く彼女の目尻から、行き場を失った悔しさが小さな雫となって零れていた。


「うーん……なんかややこしく考え過ぎな気がするけど」


 黙って聞いていた少年は、難しい顔で頭を掻く。

 そして、ぽつりと呟いた。


「何が善くて何が悪いかは、法だけで決まるものじゃないと思う」


 セフィの何が罪かと言われたら、騎士団の命令に従わなかった事だ。どうすればいいかと問われたら、今は騎士団から逃げて隠れるべきだ。

 しかし、彼女が求めている答えはそういうものではないだろう。


「犯罪者の先輩に言われてもって話だろうけど、基本的に法は守るべきだ。そうすれば同じ法を守る者が、自分を守ってくれる。でも、自分以外が守ってくれるものには限界があるだろ? そういった『自分にしか守れないもの』を守る時、人は正しい道から外れるんだ」


 陽の光が届かない路地裏の中で、顔を上げたセフィの目を真っ直ぐ見つめて話す少年。彼の瞳は、不思議と透き通っていた。奥に見える深い影すら、落ち着いて揺れているように思えた。


「それを悟った俺は、意志を持って罪を犯す者の味方をする事にしたんだ。法に背いてまで自分の色を守り続ける人を支えて、自分の罪すらも正当化してな。ちょっと話が逸れたけど、俺が何が言いたいか分かる?」

「……分かんない」

「犯罪者でも別に良いだろって言いたいのさ」


 当たり前の事のように、彼は言ってのけた。


「子供のために食べ物を盗む親がいる。さらわれた友達を助けるために人を殺す子供がいる。社会的に見たら真っ黒な犯罪者でも、その人はその人の正義を守っているだけだ。やりたい事のために騎士団入りを断るなんて、まだ可愛い方だろ?」


 小さく笑いながらそう言われ、セフィはひっそりと唇を噛んだ。彼の言葉が、その通りだと思ってしまったからだ。

 セフィは悪意を持って騎士団を攻撃した訳じゃない。ただ『白十字しろじゅうじ』を追い求め、自分で道を選んだだけ。

 人から一方的に押し付けられるだけの罪なんて、気にする事ではないのかもしれない。


「でも私は、そんな風には割り切れないよ……犯罪は、良くない事だと思うし……」

「今はそれでもいいよ。さっきは君に、気持ちの整理をする時間も与えずにまくしたてた俺にも非があるし。悪かったな」

「あ、いや、私こそ……怒鳴っちゃって、ごめん」

「気にするなよ。むしろもっとぶつけてもいいんだぞ? 俺の考え方も生き方も、一般的には悪とされるものだし」

「も、もういいよ」


 出会ったばかりの人に対して取り乱してしまった恥ずかしさと申し訳なさで、視線が下へ落ちる。そんなセフィの肩がポンと叩かれた。


「気持ちは分かる、なんて白々しい事は言えないけど、君の憤りは俺も感じてるものなんだ。自分の生き方を貫く事が罪だなんて間違ってる。ましてや、ごく一部の人間が勝手にそれを定めて、人生を支配する事なんて……」


 肩に置かれる手に力がこもった気がしたが、セフィがそれに気付いた時には、既に彼の手は離れていた。


「まあそんなワケで、俺は犯罪者の手助けをして生きてる。この国と世界に対するささやかな抵抗。未だ大人になり切れない子供のワガママさ」

「それが私を助けてくれた理由?」

「まあ、ざっくり言うとな。俺もここを離れようと思ってたし、逃亡するついでだ」

「逃亡……私も、もうここにはいられないよね……」

「王国騎士団に目を付けられたなら、国外に逃げちゃえばいいんだ。あいつらの力も、国境を越えてしまえば無いようなものだし」


 こうも軽く済ませる辺り、やはり彼は『こういう事』に慣れているのだろう。


「俺はこの国を離れるつもりだけど、君はこれからどうする? やりたい事があるとか何とか言ってたけど、行き先はあるのか?」


 これからどうするか。状況が次々と変わっていき、きちんと考える余裕も無かった。

 しかし今こうして、自由に選べる時間ができた。一度不安を吐き出したおかげで少しは落ち着いた様子のセフィは、ゆっくりと頭の中を整理した。


「私は、『白十字』になりたいの。学園長はそんなものは無いって言うけど、本当はこの世界のどこかにあるって私は信じてる。だから、それを探しに行きたい」

「『白十字』って、あの『光色勇者団』の?」

「そう。世界最高の白魔術師に与えられる称号。でも欲しいのはそれだけじゃなくて、『白十字』と一緒に受け継がれるはずのケテル神書なんだ」

「神書……ああ、『白十字』ケテルが書いた神術の神髄が記されているとかいうアレか」

「そうそれ! 知ってるの!?」

「うわっ!」


 セフィが目の色を変えて顔を近付けて来たので、少年はたじろいで後ずさった。


「あ、ああ。『魔法』や旧時代について研究する人にとっちゃそれなりに有名だからな。魔術とは全く違う未知の力――神術はまさに神秘の源泉だし」

「ちなみにだけど、どこにあるとか聞いた事ない?」

「悪いけどないな。ケテルが書いたやつに限らず、神書に関しては写本すら見つかってないって話だ。ちょっとでいいから俺も読んでみたいんだけどなぁ……」


 意外にも興味がある様子の少年へ、続けて尋ねてみた。


「あなたは『魔法』とか旧時代の研究者なの?」

「いいや? 俺は魔道具を作ってて、その過程で『魔法』の事を学ぶ必要があったんだ。ほら、魔術も魔道具も原点は『魔法』だし。それと関係ありそうな神術についても知りたいなーってだけだ」

「魔道具を作ってるんだ……じゃあさっきの煙玉もあなたが作ったの?」

「まあな」

「すごいじゃん! パッと見ただけでも精巧だって分かったよ。もしかして、どこかの工房に弟子入りしてるとか?」


 魔道具の製作者に初めて会ったセフィの声は好奇心で弾んでいたが、反対に少年の方は、どこか冷めた目で頬を緩めるだけだった。


「いや、ひとりだよ。工房入りだなんてとんでもない。とても他人に売りつけるような代物じゃないし、日の目を浴びるほどのものじゃない」

「……何かちょっと卑屈じゃない?」

「気のせい気のせい。さ、俺の話はこのくらいにして、君はどうなんだ? ケテル神書を探してるらしいけど、書店巡りでもしてみる?」


 彼があからさまに話を断ち切ったのも気になるが、ここは彼の意図を汲んで、それ以上掘り返すのはやめておいた。


「ううん、当てはあるよ。バラルに行こうと思うの」

「それって、隣国のエズト王国にある街だよな」


 セフィはうなずいた。

 彼女たちがいるマアブ王国の隣に、エズトという小さな国がある。両国を区切る国境を越えたすぐ先にあるのが、セフィが名前を出したバラルという街だ。


「たしか、『勇者団』の話ではバベラルって名前だったな。物語の中でケテルが初めて出てきた街だっけ」

「うん。あそこはケテルの出身地だし、彼女が『白十字』としての力に目覚めたって言われてる場所なんだ」

「なるほど。そこに『白十字』と神書の手がかりがあると考えたワケか」

「それに、バラルには『聖塔』と『図書塔』もあるしね」

「……旧時代に由来する神話関係の遺跡に、大陸で一番本の集まる図書館、か。確かに、むしろここまでおあつらえ向きの場所もそうそう無いな」


 元々、魔術学校を卒業した後はいつか行こうと思っていた場所だ。予定が大幅に狂って早まったと思えば、セフィも少しは気が楽になった。


「よし、そういう事なら俺も手伝うよ、国境越え」

「えっ、いいの?」

「言っただろ? 俺もここを離れるつもりだったって。エズト方面の国境は通り道だし、あえて別行動する理由もないだろ」


 そう言いながら、少年はポケットから金貨を何枚か取り出して、枚数を確かめると再び仕舞い込んだ。


「まずは場所を変えようか。準備を整えるにしても、一か所に留まり続けるのはマズい」

「ま、待って!」


 すぐに向きを変えて歩き出そうとした彼の裾を掴んで、セフィは少年を止めた。


「私はセフィ。まだ、あなたの名前を聞いてない」


 自分の事をあまり語りたがらない様子の彼は、頼もしい言葉の数々とは裏腹に、相変わらず危うげな空気を纏っていた。ひとつでも多く彼に関する何かを持っておかなければ、すぐに消えてしまうんじゃないかと感じるほどに。

 だからセフィは、彼の名前を尋ねた。


 一度助けてくれた彼への不信感はそれほど持っていないが、ゼロでもない。この先、逃亡を共にするのであれば、名前くらい知っておくべきだ。

 頭ではそう考えつつ、そんな打算を端に追いやるほどに、彼女は咄嗟にこう思っていた。


 ――この繋がりを、すぐに切ってしまいたくない、と。


「自己紹介は後回しにしてたんだっけな……うっかりしてたよ」


 彼は申し訳なさそうに苦笑する。

 裾を握るセフィの手を優しくふりほどくと、その手を握って握手を交わした。


「俺の名前はサウェル。少しの間は仲間だ。よろしく、セフィ」


 この世界に運命というものがあるのなら、きっと今、自分の運命は後戻りできないほどに切り替わっただろう。

 親し気な声で名前を呼ばれて心臓が跳ねるのを感じながら、セフィはそう実感した。


 握り返した共犯者の手は、ひんやり冷たかった。

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