間違いだらけの私のまま 答えになりたい
「……おれも同じ気持ちです、まあその、先日の一件でもうバレバレかとは思うんですけど……」
えっ、こうくん、あの時の記憶があるの……?
ちょっと待ってよ、これは話が変わってくる。
私がこうくんに『素直になる』という暗示を掛けたあの日のこと、こうくん自身が覚えているとしたら。
私の願いが本懐を遂げていたとしたなら。
「当人が望まない催眠は掛けられない……だから、そういうことです」
あの大原則はやっぱりちゃんと適用されていた。
それは私が敢えて考えないようにしていたこと。
だって、私にとってあまりに都合が良すぎた。
催眠にかこつけて好意を伝えあい、次の日には素知らぬ顔で挨拶した私たち。
互いにしっかり覚えていながらそのことには一切触れなかった私たち。
あなたも私と同じように俯いて怯えていたのかな。
変わっていくことはとても怖くて恐ろしいから。
人と人の関係性を変えることは難しい。
同じ道をまた歩けるとは限らない。
ぬかるんでいて汚泥に塗れてしまうかもしれないし、怪我をしてしまうような断崖絶壁が待ち構えているかもしれない。
完全な袋小路に迷い込んでしまうぐらいなら、そんなリスクを冒すぐらいなら停滞を選んだ方が安全。
そうかもしれない、同じ場所にずっと留まっていれば何も失わずにいられる。
けれど、何も得られない。
何かを得ようと踏み出すなら、今持っている何かを失うかもしれない可能性と天秤にかけて歩き出す必要がある。
トレードオフなくして前進はできない。
危険を顧みずに踏み出さなければ見えない景色があるのだ。
「黙っててすみませんでした。 あんなことしてしまって後ろめたくて、なかったことにしようと……でも、そうすることでおれは先輩を傷付けてしまっていたんですね」
それは傲慢だよ、完全に悲しみを失くすことなんてできない。
こうくんが悪いことじゃない。
私の悲しみも喜びも私だけのものだから、今だけは絶対に分けてなんかやらない。
でも想いを共有したい時だってあるし、そんな時は私から口にするからさ、必要以上に背負い込んで欲しくないよ。
私にも、こうくんのこと少しは背負わせてよ。
こうくんと対等でいたいから。
こうくんは痛くなるぐらいに優しくて、遅効性の毒みたいだと思う時がある。
どんなに強い雨でも、隣で歩くあなたが自分の肩を濡らして傘をさしてくれているから私は濡れないでいられる。
そういう風に自分の痛みを見ないフリして私を守ってくれたこと、数え切れない。
あなたが私の日常から消えてしまった夢から覚めた時、初めて誰より愛されていると気付いた。
あれこそが今の私の現実で、今見ている景色の方が夢なんじゃないかとさえ思う。
失う前に気付けてよかった、絶対に失くせないと確信できたから。
方法は褒められたものじゃなかった。
それでも、一歩踏み出したことは間違いじゃなかった。
私たちはきっと、今の関係性に名前を付けるきっかけをずっと探していた。
だから私の暗示が礎になって、今変わろうとしている。
間違いだらけの私のまま、答えになろうとしている。
「今、同じことしてくれたら許しましょう」
許して欲しい。
赦されたい。
気持ちはよく理解できる。
最初からある筈のない罪に罪悪感を覚えて、自責の念に支配されている。
私が気にしてないと言っても意味がないんだ、気にしているのはこうくんの方だから。
だから形だけでも私が判決を下す必要がある。
許します。
あの日、あの時と同じことをもう一度私にしてくれるなら。
覚えていると言うなら、忘れずにいてくれたなら、できる筈。
大きな瞳が揺れている。
から、ちょっと急かしてみた。
はやく、はやく。
ちょっと焦りだした、もう、一挙手一投足が愛おしいなあ。
ごめんね、焦らなくて大丈夫だよ。
いつまでだって待ってる、その決断は必ず良いものになると信じているから。
やがてこうくんは覚悟を決めて、端正なお顔が頬に近付いてきた。
こら。
「間違えちゃだめ……ここだよ」
私は指を唇に走らせた。
なんで唇だけ人体の中でも際立ってつるつるでぷにぷにしてるんだろう。
唇にも男女で違いはあるのかな。
こうくんの唇は私とどう違うのかな。
教えてよ、ここで。
せめて目は閉じていてあげるから。
今度はこうくんに迷いはなかった。
唇に柔らかなこうくんの唇が触れた。
私たちは、こうくんのように優しくて穏やかで、温かい口づけをした。
初めてのキスはバスボムのベルガモットとレモンの香りがして、バスボムを入れたことを後悔した。
やっぱり私はこうくんから香る自然な柑橘系の香りの方が断然好きだから、お風呂を上がったら真っ先にもう一度キスしようと決めた。
催眠術、なんか私が思ってたのとちがう! カボチャの豆乳 @pumpkin_soy-milk
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