城壁建築計画の話が出て数週間後。

 老舗商会のウェーバー商会本店の執務室には二人の男女がいた。

 会長のノルマンと、十代後半の少女だ。

 少女は月光のような銀髪と非常に整った顔立ちをしており、トパーズのごとき瞳が理知的な光を帯びている。


「やはり城壁の件、真の発案者はエル様か」

「はい、裏は取れていますし、何より、エル様本人がおっしゃっていました」

「くく、やはりエル様はとんでもないことを考える。普通の頭では森との境界線に沿って城壁を作るなんて、壮大過ぎて逆に思いつかない。あの時、もしかしたらエル様なら解決してくれるかもしれない、と軽い気持ちで口にしただけなんだがな」


 ノルマンは心底愉快げな様子だ。

 先日、コンラート公爵家から城壁建築計画が発表された。それに伴い領内領外問わず商会に寄付金を募ったが、ウェーバー商会はまっさきに投資を決定した。

 商圏の拡大は願ってもないことだった。また魔物被害に対する寄付は市井のイメージアップにもつながるだろう。

 もう数年前のことになる。

 ノルマンは最初、エルの時空属性が目的で彼に近づいた。

 転移魔法は商売人と相性がいい。無論、庶民の方から貴族に何らかの要求をすることはできないが、顔を売っておこうと思った。

 何度か話しているうちに、ノルマンは経営の悩みをぽろっとこぼし、エルがそれにアドバイスしたことがあった。

 結果、大きな利益を商会にもたらしたのだ。

 この時からエルの才能に惚れ込み、娘のリリアンをエルの婚約者に、とコンラート公爵家に打診してきた。

 そして、エルの素性をよく知るため「ある人物」を送り込んでいた。


「それではこれからも引き続き、エル様のことを頼むよ、タルテ」


 ――エルの専属メイドのタルテである。

 タルテは時おり、ウェーバー商会を訪れエルに関することをノルマンに報告していた。

 もちろん、このことはコンラート公爵家に了解を取ってのことだ。

 タルテは聖属性に適性を持つ。

 つまり、回復魔法を使えるので、エルのそばに置いておく者として申し分なかった。

 それについてエル本人が蚊帳の外に置かれているという事実はあるが。


 執務室を辞したタルテは歩き慣れた様子で商会内を進む。

 とある部屋を訪れる。

 そこは関係者が使う会議室の一つだ。

 今日は終日貸し切られていて、ノックして中に入ると一人の少女が待っていた。

 美しい所作でティーカップを傾けているのはリリアンだった。城に務める前のタルテの元主でもある。

 タルテは一礼してリリアンに近づいた。

 リリアンがカップを置いて口を開く。


「正式に私がエル様の婚約者に決まったそうよ。今頃、エル様もお城の方で聞いているはずだわ」

「おめでとうございます」


 タルテは祝福するが、リリアンの表情は晴れない。


「なにかご不満が?」

「いいえ、不満なんてないわ。ずっと前からお父様に言われていたし、私も心を決める時間があったから。エル様本人も知的で落ち着きがあって申し分ない人だと思うわ」

「では何が?」

「分かっているでしょう?エル様のことよ。私がパーティーで露骨に避けられているのは知っているでしょう?ずっとダンスに誘ってもらえるのを待っているのに全然来ないし。来るのはどうでもいい男どもばかりだし。なんかお父様と親しげに話しているし」

「私も常々、お嬢様のことをプッシュしているのですが、力になれず申し訳ありません」

「はあ、いいわ。それで分かったのかしら。どうしてエル様が私を避けているのか、その理由が」


 タルテは気まずげに視線をそらす。


「言いなさい」

「……その、ネトラレるからだそうです」

「んん?ネトラレ?」

「お嬢様が婚約者になった場合、お嬢様がイケメン貴族やイケメン執事にネトラレる未来しか見えないそうです……」

「はあ!?ちょっと待って!つまり、私はホイホイ浮気する尻軽女だと思われているってこと!なんで!?」

「お嬢様が将来、美人になるからだそうです」

「んんっ、そう言われて悪い気はしないけど、それで?」

「……」

「え?それだけが理由なの?ほんとうに?あまりにもあんまりだわ……というか、なら、どうしてタルテは避けられないわけ?私と同じくらい綺麗よね」

「それはこのせいですね」


 タルテは指にはめた指輪型の魔法具を発動させる。

 魔法具とは魔法の力が込められた道具の総称で、タルテの美しい容姿が一瞬にして地味な見た目に変貌した。

 その後でタルテは姿を元に戻す。

 この魔法具はノルマンに貸し与えられた物だった。

 一般論として回復魔法を使える聖属性の適性の者は希少だ。加えて、タルテの容姿ともなれば、厄介なトラブルに巻き込まれる恐れがある。

 そのための防衛手段だった。


「そういうことね」

「エル様は私には甘えてくれます。膝に頭をのせて耳掃除したりすると、私の中の愛情があふれるのを感じます」

「なんで婚約者より先に恋人っぽいことしているのよ!しかも、しれっと愛情とか言っちゃてるじゃない!」

「貴族の御子息はハニートラップ対策に早いうちに女を知る必要があると聞きます。立候補するつもりですので、お嬢様にお許しを」

「な、なっっ」


 とうとうリリアンは顔を赤くして固まってしまった。

 一方のタルテは平然としている。

 しばらくしてリリアンは再起動すると、心を落ち着けるようにお茶を口にした。そして息を吐く。


「ふぅぅううう、まあ、いいわ。いえ、よくないけど、いいことにするわ。タルテ、それはエル様の妾を希望するってことでいいのかしら?」

「はい」

「どうしてロクに話をしたことのない婚約者の妾を認めないといけないのよ。それもこれも、全部エル様が悪いわ。私が美人になるのが理由?ネトラレる?こうなったら、そんな心配をしなくてもいいように、たっぷり、あの手この手で体に覚え込ませないといけないわね、ふふふ」

「……エル様、ご愁傷様です」


 婚約者の嗜好の矯正を誓い暗い笑みをリリアンがこぼしている頃、リリアンとの婚約が決まったと両親から告げられ自室で茫然自失としていたエルの背筋になぜか悪寒が走ったとか、そうでないとか。

 エルとリリアン、そしてタルテはこれより長い時を一緒に過ごし様々な苦楽を共にすることになる。(Fin)


(あとがき)

 最後まで読んでいただきありがとうございました。

 特に続きは考えていませんが、もしかしたら何らかのエピソードを書き加えることはあるかもしれません。

 久しぶりに書きました。他の作品を放ったらかしにしているので完結さないとなあ……(完結させるとは言ってない

 また機会があれば拙著の作品をよろしくお願いします。

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ネトラレが嫌な主人公が貴族の五男に転生した話 あれい @AreiK

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