次の日、城の執務室には二人の大人と一人の子供がいた。

 この部屋の主、コンラート公爵家当主のギース。

 長兄であり、次期当主のルーカス。

 そして、この家の五男坊のエル。

 ギースとルーカスはこれから話すのは領内の政策についての何らかの意見だと思っている。

 10才のエルだが、このようなことはこれが初めてではない。だから二人の表情に特に驚いた様子は見られなかった。むしろ真剣な面持ちである。

 そんな中、エルがさっそく切り出す。


「今日、時間を取ってもらったのは東の森の魔物の件です」

「そのことか」

「あれは頭が痛い話だね」


 税金が重く、悪徳領主と庶民に噂されるコンラート公爵家だが、税金の使い道として大きな比重を占めるのが軍事費だった。

 雇っている私兵や彼らの武器、兵站など、とにかく金がかかる。

 それは東の森から侵入してくる魔物が増え、戦線が森との境界線全域に広がった昨今、急速に増大傾向にある。

 また、兵が魔物に殺されれば、遺族に対して年金の支給義務が国法で課せられているから経費はさらにかさむ。

 エルはその解決案を持ってきていた。


「この際です。我が領と東の森の境界線に沿って城壁を建設してはどうですか」


 エルが思い描いているのは前世の中国で、秦の時代に匈奴の南下を防ぐために作られた万里の長城だ。

 あまりにも長大で後の時代にかけて多大な時間を要して築かれたらしいが、この世界においてはそんなに時間はかからないとエルは考えている。

 なぜなら、「魔法」があるからだ。


「城壁を築き見張りを各所に配置することで、魔物に対し兵を効率的に投入することができます」

「待て待て、エル。城壁と簡単に言うが、それは無理だ」

「そうだよ、エル。森との境界線は何百キロ、下手すれば千キロを超えるかもしれない。そんな大規模な建築に使う資材をどうするつもりだい?」

「土魔法士を考えているなら、数と賃金面で一考の余地もない」

「いやいや、北の山があるでしょう」

「確かにあそこは良質な岩石が採れる。だが、距離がありすぎる。運ぶのにどれほどの労力がかかると思っているんだ」

「父上の言う通り」

「二人共、僕の魔法属性をお忘れではないですか?」


 エルは手元にティーカップを出現させてみせ、ニヤリとした。

 それは一瞬前までテーブルにあったものだった。

 エルが使ったのは転移魔法だ。

 時空属性に適性のあるエルはそれを呼吸するかのごとく、ごく当たり前に使うことができる。

 余談だが、魔法はこの世界の者ならば大なり小なり使える。各々、それぞれに属性の適性――火や水、風など――を持っており、だが、属性の適性がないからと言って、その属性の魔法が使えないというわけではない。つまり、エルだけでなく、ギースもルーカスも転移魔法を使うだけなら可能だ。ただ、適性のない者が使えば、魔力消費が桁違いに大きくなり、魔法の効果も著しく減衰するのだが。


「ふむ、転移魔法か……日頃、魔法を鍛えているのは知っていたが、魔力は持つのか?」

「北の山ぐらいなら余裕です。一日に何度も連発はできませんが」

「我が弟ながらとんでもないなあ。魔法士以上じゃなか」

「エルがいれば城壁を築けるか……ただな、それでも金がかかることに変わりないぞ。それをどうするか」

「そこは商会連中に出させましょう。領内を移動することの多い彼らが多くの恩恵を受けるのは間違いないですから。まあ、でも、金を出すだけなら渋るでしょう。だから利も与えましょう。例えば、寄付金の額に応じて村に出店するための土地を与える、とか。城壁ができさえすれば、どこの村も発展するはずですし魅力的なのでは」

「なるほど」


 話を聞いたギースとルーカスは考え込む。

 境界線に沿っての城壁など、最初は夢想にしか思えなかったが、今では後ほど側近たちと話し合う価値があると二人は認めた。

 時空属性に高い適性を持つエルの魔法ありきの雑な計画だが、逆を言えば、エルが生きている間しか行えない政策なのだ。


「この城壁建築計画はルーカス兄上の発案として兄上に陣頭指揮を取ってもらいたいのですが」

「いいのかい?」

「はい、次期当主として箔が付くと思います。その代わりと言ってはなんですが、城壁が完成した暁には、兵の方に余裕ができますよね?その分を僕に任せてもらえませんか」


 このエルの発言にギースとルーカスは身構えた。

 今まで家族として見てきたから断言できる。エルには野心がない。長兄のルーカスが次期当主であことに異議を唱えたことは一度もなかった。

 では、なぜ、兵力を必要とするのか――。

 まさか、軍部を掌握する気だろうか――。


「兵は屈強な人でなくてもいいです。むしろ、人当たりがいい人を優先的にほしいです」

「んん?そんな者たちを集めてどうするんだ?」

「交番を作りたいと思います」

「交番?とはなんだ?」

「兵士がいる小規模の詰め所ですかね?まずは領都で試していきたいと考えています。交番をそこそこに設置して、交番の前に兵士を立たせて市民の道案内をしたり、市民同士のトラブルに対応したりします。また、交番を基点に見回りも行います。

 モットーは地域密着型!そうすることで治安の向上はもちろん!市民が兵士に親近感をいだきます!そしてさらに!それは我がコンラート公爵家の評判の評価にもつながるでしょう!」

「分かったから、落ち着け。で、それをやってお前に何の得がある?」

「……すべてはお家のためですよ?」

「父を見くびるな。お前はそんな殊勝なやつではない」

「酷い言われようですね……」

「エルは貴族の義務から逃げ回っているからね」

「ルーカス兄上まで……最低限のことはやっていますよ……。でも、まあ、僕にもメリットがあるにはあって、僕を交番を管理する組織のトップにしてください。あ、実務の方は二番目に権限を持つ人に任せて、僕はのんびりお飾りをやりたいなぁ、と。ダメでしょうか?」


 ギースとルーカスは顔を見合わせる。

 やはり自分たちの心配は杞憂に終わったと笑い合う。

 エルからしてみれば、その反応が分からず、きょとんと首をかしげる。家業に席のない五男坊の就職先として真面目にプレゼンをしただけなのだが。


 そして遠くない未来、東の森から魔物の大群が押し寄せる。

 スタンピードと呼ばれる最悪の災害だった。

 だが、長大な城壁が魔物の進行を阻み、コンラート領内の被害はゼロのまま終息する。

 その奇跡的な出来事は瞬く間に王国中に知れ渡り、城壁を築いたルーカスは先見の明があった偉大な人物として称えられることになる――。

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