第9話 豊穣の女神

 水路の方の工事は思っていたよりも早く終わった。あとは西の方へと水が流れ出すのを阻んでいる岩盤さえ破壊出来れば夢は叶う。


「で、岩盤はどうやって破壊するんだ?あんな巨大な一枚岩を魔法で砕くなんで絶対に無理だぞ」


「岩盤を破壊するには工夫が要ります。数十か所のポイントに掘削機で穴をあけてそこへ火薬を仕込み同時に起爆することで砕くのではなく裂く・・のです。あとは裂かれた部分に水の重量によって圧力が加わってぱきっと割れるはずです。力学の応用ですね」


「なるほど、勝手に割れるように脆くするということか」


 アマリアは感心してくれているが、私は気が気でない。この事業の最大の難関がここなのだ。計算上はうまくいく。だがどうしても何かに祈ってしまう自分が止められないことに気がつく。私の手が震えている。


「大丈夫だ。お前は十分頑張ったじゃないか」


 私の手をアマリアがぎゅっと握ってくれた。震えはそれでおさまる。


「ここは我らが民が信じる霊峰だ。天の国に通じる場所。大丈夫。お前の祈りはきっと届くよ」


 そんなつもりじゃない。祈りなんて捧げたりはしない。無神論者を気取るつもりはないが、怪力乱神に縋るつもりはない。だけどアマリアの手は暖かった。それが私の不安をどこかへと解かし去ってくれる。


「ありがとうございます、アマリア」


 私のお礼にアマリアは微笑んでくれた。だからきっと大丈夫だ。







 火薬の仕込みは順調に進んだ。工兵のリーダーが導線の設置を終えて、私の方へとスイッチを持ってくる。私はそれを受け取り、息を深く吸い込む。そして。


「カウントダウン!!!爆破まで3,2,1!点火!」


 私はスイッチを両手の親指で押し込んだ。その瞬間カチッという音が聞こえ、続いてどどどどどど、と連続でくぐもった爆破音が響いた。地面が少し爆発で揺れる。そして岩盤の数か所に大きな裂け目が出来た。


「よし!いい感じ!あとは数分で水の圧力が岩盤を割ってくれるはず!!」


 私はいつになく興奮していた。握りこぶしを造って時計を睨む。だが一向に岩盤が割れる気配がしない。


「おかしいですね。割れない?なぜ?火薬の配置を間違えた?いいえ在り得ない。工兵たちは完璧に仕事をこなしていました。計算が間違っていた?いいえ、何度だって検算を繰り返した。材質の高度から考えてこの結果はあり得ないはず…。いや。まさか?!工兵隊長!!」


「はい!お呼びでしょうか!」


 私の傍に控えていた工兵部隊の隊長は駆け足で寄ってきた。


「すぐにわたくしを岩盤の割れ目のところまで連れて行きなさい」


「ええ?!ですがあの岩盤はいつ崩れてもおかしくないはずなのでは?」


「いいえ失敗です。成功ならもう崩れていてもおかしくないはずです!なにか失敗の原因があるはずです!それを調査します!」


「了解いたしました!」


 工兵たちの案内で岩盤の上に登り、そこからラぺリングで岩盤の割れ目まで降りていく。そしてわたしは割れ目をハンマーで少し砕き、ロープにぶら下がったまま、割れ目部分の石をルーペで観察する。


「鈍い黄金色?胴?黄銅鉱?違いますね。…まさか?!」


 私はその石に思い切り魔力を流し込んだ。すると石はばちっと音を立てて淡い光を放った


「ああ…嘘でしょう?!そんなぁ…」


 私はすぐにロープを伝って岩盤の上に戻る。


「ペピータ様?何がわかったんだ?顔色がずいぶん悪いぞ」


「ええ、最悪のことがわかったのです。これを見ててください」


 私は地面に採取してきた石を置いて、その上に思い切りハンマーを振り下ろす。すると鈍く黄金色に輝く薄い膜のような様なものにハンマーが阻まれているのが観測できた。


「これは魔法によるシールドか?!」


「そうです。魔法金属を一定の濃度以上に含む物質に対して圧力をかけるとこのように魔法シールドが発生するのです。誤算でした。これはただの岩盤じゃなかったんです。表面が一枚岩に見えていたから。よくある岩石だと思って勘違いしていました。この岩盤は内側にオリハルコンの元素を少量ながら含んでいたのです。この岩盤は巨大な魔法障壁そのものです。いまある爆薬だけじゃ砕くことは…不可能です…」


 私は頭を抱える。今一歩というところまで来て、この体たらく。私は慢心していた。私には何でもできるとおごり高ぶっていた結果がこれだ。


「ペピータ様。お労しい。ですがここまで出来た人はあなた以外にいません。一度引き換えしましょう。また計画を練り直して再度挑めば次こそは」


「いいえ、次はありません。それ見たことかと誰もが指を指すでしょう。だからわたくしはタイクーンの妃に相応しくない」


 だがここまでやってきたことを無駄にはしたくない。そう無駄にしてはいけない。私は約束した豊穣を齎すことを。その約束をたがえるつもりはない。この身と引き換えにしても。


「総員に命じます。すぐに岩盤から離れてください」


 私の周囲にいる兵士たちとアマリアは動揺しだす。


「どうしたんですか?ペピータ様?なんですかその顔は。なんでそんな厳しい顔をしてるんですか」


「これはタイクーンの妃としての命令です。総員すぐに岩盤から撤収。水路からも距離を取り、待機なさい」


「ですが。ペピータ様?あなたの様子がわたしは心配です」


「わたくしに二度も言わせないでアマリア。命令に従ってください」


「ううっ…了解しました…」


 アマリアと兵士たちはみな岩盤から降りていった。そして麓で展開していた兵士たちはみな水路から離れたところへと集結する。ここからでもみえる。みんな私を心配そうに見ている。私は再びラぺリングで岩盤に沿って降りていく。一番大きな割れ目の部分についてロープの位置を固定する。そして割れ目に両手を添えて、そこに魔力を流し始めた。淡い黄金の輝きが私を包み広がっていく。


「こんなきれいな光が私の夢を阻むなんて、人生って本当に皮肉なんですね」


 そう。私の人生は皮肉の連続だったと思う。父上はタイクーンに私を売り払ったくせに、一番私のことを買いかぶってくれていた。野蛮と謳われるはずのタイクーンは荒っぽいどころか、私に丁寧に接し、好きかってやらせてくれた。不器用ながらも優しくしようともしてくれた。アマリアだって口は悪いけど、私のやることに付き従ってくれた。本当は政敵みたいなはずなのに友のように優しく励ましてくれた。みんなみんな私に優しかった。好きなことをさせてくれた。だから恩返しをしよう。この美しい草原に私は豊穣を齎すのだ。


「あああ!いぁあああああああああああああああああああああああ!!」


 ありったけの魔力を割れ目に流し込む。魔法金属の発する障壁の魔力と私の魔力は波長がズレている。だから魔力を流し込み続ければ岩盤内部の魔力の波長は乱れてしまい、いずれは魔法障壁は術式を維持できなくなるだろう。その瞬間がくれば水の圧力で割れ目に沿って岩盤は割れる。その時私は残念ながらきっと濁流に飲み込まれて死ぬだろう。だけどいい。命を投げ出しても守りたい思いがある。だんだんと割れ目が染み出して来た水で湿ってきた。このままいけば岩盤は割れる。上手くいった。目論見通りだ。










 私は豊穣を見ることは叶わないだろう。




 だが人々に齎すことは出来た。




 夢に殉ずることのなんと心地のいいことか。




















「ぺぴいぃいいいいいいいいいたぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 私を呼ぶ声が聞こえた。そして体に力を感じた。誰かが私を抱きしめている暖かさを感じた。そして体に何か加速がかかる。視界はグルグルと地面と空とを行きかい、そしてタイクーンの顔が見えた。


「タイクーン?…え?どうしてここに?あれ?わたくしたち飛んでる?」


 周りを見回すと私とタイクーンは何かに乗って空を飛んでいるのがわかった。


『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』


 足元から大きな咆哮が聞こえた。驚いた。私とタイクーンが乗っているのは巨大な竜の頭の上だったのだ。


「まったく間に合ってよかった…お前がこんな無茶をするなんて思わなかった。育ちのいい令嬢という触れ込みは大嘘だな」


 タイクーンはほっとしたような笑みを浮かべている。優し気に私の頭を撫でている。


「タイクーン。なぜわたくしを助けたのですか?勝手に軍を動かして、勝手に事業を行って失敗してタイクーンの名誉に傷をつけて、ならばせめてその責を取ろうとしたこのわたくしをなぜ?」


「そうだな。お前は勝手なことばかりやった。まったく女は我儘な方がいいよ。我儘を言わない女は勝手に抱え込んで周りに心配ばかりかける」


 タイクーンは口をとがらせて怒っている。でもそれは激しいものではなく、あくまでも諭すような優しいものだった。


「ごめんなさい。でも迷惑はかけられません。だってわたくしはタイクーンの妃なのですから」


 タイクーンの妃は、王権の代理人。タイクーンの権威に傷をつけることは許されない。


「それが間違いだ。迷惑をかけてもいいのだ。だってお前はタイクーンの妃でもあるが、それ以上に俺の妻なのだから」


 その言葉に驚いた。私はタイクーンとの結婚を気軽に考えていた。政略結婚は契約と等しい。家と家、あるいは国家間の同盟を形にしただけのこと。義務さえ果たせばそこに感情はなくていいのだと。


「まあいい。今はな。お前に俺の妻の自覚を持てとは言わん。少しずつでいい。タイクーンではなく、俺自身を見てくれ。退屈はさせないからさ」


 私たちの間に愛はないと思う。だけど未来に宿らないとは限らない。私は勘違いしていた。愛はある日突然降ってわくものではなく、育むものだったのだ。


「さて、どうせならここで初めての夫婦共同作業と行こうじゃないか。あの割れ目あと少しで砕けるんだろう?」


「はい。あと少しです。もう少し奥に魔力の衝撃を与えられたなら必ず砕けます」


「よし。ならばけっこう!ぜひもなし!」


 タイクーンは剣を抜いた。そしてそこに魔力を込める。


「ペピータお前も俺の剣を握れ」


「は、はい。こうですか…?」


 私は剣の柄に手を添える。タイクーンは私の手の上から剣を握った。そして二人で剣に魔力を込める。


「さあ行こうペピータ。豊穣はもう目の前だ」


「はい!」


 そして飛竜は岩盤の割れ目に向かって、加速をつけて飛んでいく。私たちは叫ぶ。


「「あらららららららーーーーーーーい!!!」」


 私たちは剣を割れ目に向かって思い切り突き刺した。剣に乗っていた魔力は勢いよく岩盤の中へと奔っていく。魔力を流し終わり、私たちは剣から手を放して、飛竜は岩盤の割れ目から離れていく。そして。ごごごごと大きな音が響き始める。岩盤の割れ目がさらに亀裂を深めていく。そしてそこから水が勢いよく溢れていく。


「割れた!きゃああ!割れました!割れましたよ!やりました!わたくしたちはやりきれました!あはは!あははははは!」


 嬉しすぎた私はタイクーンの首に思い切り抱き着く。タイクーンははしゃぐ私を優し気に見詰め、頭を優しく撫でてくれた。


「すごい!水だ!水が噴き出てる!」「見ろ!岩盤が!砕けていく!」「行け!流れろ!流れてくれぇええ!!」 


 地面にいる兵士たちが思い思いに叫んでいる。そして岩盤は木っ端みじんに砕け散り、水が滝のように草原の水路に流れていく。


『『『うおおおおおおおお!!!』』』


 兵士たちが歓声を上げている。皆が飛び切りの笑顔で叫んでいる。水は水路を流れていく。飛竜は流れていく水を空から追いかけていく。そして水路の先にある窪地に水は流れ込み、だんだんと水嵩を増していき、そこは湖となった。飛竜は湖の麓に降りたった。タイクーンは私を抱き上げて、竜の頭から地面に飛び降りた。


「竜神よ。助けてくれて感謝する」


 タイクーンは深々と頭を下げる。


『礼などいらぬ。これも古き盟約に基づくものに過ぎない』


「竜が喋った?!」


 爬虫類が喋りだすというあまりにも奇天烈な出来事に開いた口が塞がらない。


『タイクーン。それとその妻よ。汝らは神が与えし大地を今日大きく傷つけた。その自覚はあるか?』


 何言ってんだこの爬虫類。まあとりあえず頭切り替えよう。人間みたいな知的生物なんだと思えば、会話は通じる。


「はい。そうですね。わたくしたちは今日、大地を大きく傷つけました。そしてそれは今日だけに留まらないでしょう。豊穣を得るために人は世界を造り変える生き物です」


『それがどれほど罪深いことかわかってはいるようだな』


「はい。ですがわたくしは罪を背負った先に豊穣得ることを決してやめません。この世界で生きる人々共に笑顔で過ごしたいからです」


『そうか。それがお前の答えか。ならばしばらくはお前の行く末を監視させてもらおう』


 飛竜はバサバサと翼をはばたかせて宙に浮かんでいく。


『お前の齎す豊穣が神の怒りに触れないことを願う』


 そう言って飛竜はどこかへと飛び去ってしまった。


「あれは何ですか?タイクーンのお友達ですか?」


「天が遣わしたタイクーンの監視役らしい。と言っても俺もよくわからん。今回は俺も急ぎだったので、助力をお願いしたんだ。あっさり受けてくれて俺も拍子抜けしている」


 よくわかんない奴と友達なのか。タイクーンって大変な仕事なんだな。


「しかしすごいな。オアシスを本当に作ってしまうなんて…お前は本当に豊穣の女神の化身なのかもしれないな。ははは」


 タイクーンは新しくできた湖を優し気な目で見詰めている。そういえば結局のところいいところはこの人が持っていったわけだ。なんかちょっと悔しい。だから私は湖に手を入れて水を掬ってタイクーンの顔に向かってかけてやった。


「うわ!?冷たい!この!やったな!」


 タイクーンも湖に手を入れて水を掬って私にかけてくる。


「きゃ!女のおふざけに本気になるなんて!大人げない人!」


 私たちは湖に足をつけて水をふざけながら掛け合う。それは冷たくて心地がよかった。


「おーい!おーい!タイクーン!ペピータ様!」


 遠くから騎竜の泣き声と足音が響いてくる。竜に乗るみんなは笑顔で手を振っている。だからそれにつられて私も笑って手を振った。

















 運命の歯車はまだ回り続けている。



 この先の未来に何が待っているのかわからない。



 だけどこの豊穣を抱いて、私たちは歴史の荒野を奔り続ける。



Chapter0 


『金の羊毛を抱く草原の花嫁』


END












***作者のひとり言***




ここまで読んでいただきありがとうございました。



キリがいい感じになってくれて、なんか感慨深いです。



ニッチな設定だけど楽しんでくれたなら、筆者としては喜ばしいことです。



ではまた別の作品か、運が良ければ・・・・・・この物語の続きでお会いしましょう。



bye(*‘ω‘ *)/

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草原を征する騎竜民族の王様の人質花嫁だけど、愛される様子がないので暇になりました。なので博物学の知識を使って草原にオアシスを造ったら豊穣の女神扱いされて戸惑います! 園業公起 @muteki_succubus

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