第8話 歴史の審判に抗うために

 エーレンフリート王国から兵士たちが派遣されてきた。私は彼らと、草原の民の軍勢との混成軍を編成し西へと旅立った。


「なぁ。いくら何でも無茶が過ぎるんじゃないのか?」


「わたくしは無茶だとは思っておりません」


「わたしはお前がタイクーンに叱責されるところは見たくないぞ」


 アマリアは心配そうに私を見詰めている。すぐにディスってくるし、生意気だが根はいい子だ。


「ですがわたくしにはやらなければいけないことがあります。それは天命にも似た運命。歴史の審判への抵抗です」


「歴史の審判?そんなものが下されるのは死んだ後の話だろう。生きている間は関係ないと思うのだが」


「いいえ。わたくしがタイクーンに嫁いだのはきっと運命だったのです。あの日世界が寒冷化していることに気づいたときから自分にできることを探していました。生きている間にしか歴史には抗えないのです。わたくしは今できることを成し遂げます。それがここにわたくしがいる理由なのです」


 寒冷化はおそらく全世界規模での食糧難を引き起こす。そうなれば安全保障はグダグダになり世界大戦にまっしぐらだ。タイクーンは肌感覚でその未来を予測しているからこそ、草原の民を統一してみせた。父上は強大な軍事力を持つタイクーンに国を売ることで、国民の命を守ってみせた。なら私だって何かを成さねばならない。広大な黒土の土地の発見と水源地の確保の可能性。あの土地を開拓できれば周辺諸国、いいや大陸全土を養えるだけの農作物がとれるかもしれない。タイクーンも父上もこれから来る戦争に備えている。ならば私は戦争をしなくてもいい理由を作ろうと思ったのだ。


「兵士の皆様。わたくしはタイクーンの妃、ペピータと申します」


 山脈の麓に辿り着いた私は、整列した軍勢の前に立ち兵士たちに語り掛ける。


「此度のわたくしの招集に応えてくださってありがとうございます。皆様はもう気づいておられるでしょう。この世界を包む戦の不穏な空気に」


 兵士たちが互いに顔を見合わせている。寒冷化の兆しが見え始めてから小規模な衝突が各地で頻発しつつある。みんながそれを思い出している。


「それは間もなく途方もなく巨大な悪夢となってすべての人民を覆いつくすでしょう。この大陸の何処にも逃げ場はなくなります。世界は戦争という巨大なる肉挽き器に人々を投げ込むのです。あなたたちは兵士です。ですからすでに覚悟はおありでしょう。ですがあなた方の妻は?子は?親は?戦い抜く覚悟をお持ちでしょうか?残念ながらそうではないでしょう。むしろ彼ら彼女らはそんなものを持ってはいけないのです。いいえ。持たせないように我々が戦うのです。今この場で!」


 兵士たちは興味深げに私を見ている。女の演説はきっと珍しいから。だけどそれ以上にわたしの本心に彼らだってたぶん気づいている。だってこれから行う私たちの戦いは未来の戦争を止めるための闘い。


「わたくしはここにオアシスを造ろうと思います」


 ざわざわと兵士たちが騒ぎ出す。とくに落ち着きがないのは草原の民の兵士たちだ。彼らはよく知っている。オアシスの価値を。草原は砂漠によく似ている。水はどこにもない。だから放牧を生業とすることで彼らは生きている。


「そしてそれはただのオアシスではありません。雨季にたまった水や大地の気まぐれで湧くような一過性の水たまりではなく、永遠に清き水を留める本物のオアシス。誰もがその水を飲むことが出来る。誰もがその水を浴びることが出来る。誰もがその水を大地に巻くことが出来る。そう永遠のオアシス。誰もが一度は夢見る御伽噺」


 ここにいる兵士たちはよく知っている。水の価値を。エーレンフリート王国出身の兵士たちだってもとは農民たちだろう。水源地を巡って村同士で殺し合いをしたことを経験した者だっているだろう。水は命を繋げるのに必要だから、たやすく人の命を奪う理由になる。


「これより我らが挑む戦は永遠のオアシスを造るという大事業!皆様、想像して欲しい。この地に恵みの水が流れる蒼を、そしてその恵みを吸って黄金に輝く麦を!我らの挑む戦は万人へ勝利を齎す!すべての人々を救うための戦!わたくしはあなた方と共にこの偉大なる事業に臨むことを誇りに思います。さあ皆様、準備はよろしくて?」


『『『『『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』』』』』


「さあ皆様。それでは世界を救いましょう」


 兵士たちはそれぞれハンマーやスコップや工具を持って歩き出す。草原に恵みの水を引き寄せるために。





 今回の工事計画そのものは私とエーレンフリート王国から派遣されてきた土木技術者たちによりすでに立っている。事前の計測と測定によれば、理論上岩盤は砕くことが出来るはずというのが私を含めた技術者たちの見解だ。父上には手紙を送って王国の最精鋭の工兵部隊を派遣してもらった。それにありったけの爆薬も。工事計画自体はシンプルだ。草原側にある粘土層の水路を岩盤近くまで伸長させる。そして岩盤を割って水を流す。ただそれだけだ。水路に水が流れればあとは水路の果てにある窪地に水が溜まってオアシスは姿を現す。


「こういう時は女は出しゃばるなと母上から習った。確かにそうだ。男たちの生き生きとした顔を見ると邪魔をするのは申し訳なく思えるよ」


 アマリアは鍋をかき混ぜながら、工事の風景を微笑ましく見ていた。軍勢に着いてきた炊事係の女たちは料理や洗濯に勤しんでいる。そして男たちは笑顔で生き生きと働いている。父上から習った。男には使命を与えよと。そしてそれを認め労い感謝を与えてやるだけでいい。それだけで懐を傷めずにどんな男もお前に傅くだろうと。


「少しでもこの事業に士気とやりがいを持ってくれればわたくしとしても嬉しいですよ」


 父上が言っていたことは正しかった。やりがいと使命を与えるだけ男たちは楽しく働いてくれる。ちょろいという感想が浮かぶが、同時に彼らの楽しそうな顔を見ているとこちらもほっこりした気持ちになってくるので、女もまたちょろいのかもしれない。


「なあペピータ様。世界は本当にこのまま暗黒の時代に突入するのか?」


「はい。わたくしたちがここで何もしなければ、そうなりますよ」


 アマリアは目を細める。どこか悲しそうな声を漏らす。


「タイクーンがまだ現れる前の話だ。草原の民は互いにいがみ合い争い合う日々だった。私にはもう二人兄がいた。彼らは私を可愛がってくれた。だけど放牧地をめぐる争いで我が氏族のために戦いなくなった。ああ、見せてやりたい。もういない兄上たちにこの光景を。奪い合うのではなく、新たに造り出すためにまとまる人々の姿を…」


 私は涙を静かに流すアマリアの肩を抱く。過ぎ去って失われたものは戻ってこない。だけど何かを新しく作ることは出来る。亡き者を偲ぶ郷愁は新たに生まれる何かできっと報われるはずだ。私はそう信じたい。


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