〈王国記19〉 休日5

「明日からまた仕事かあ、お休みがもっと続けばいいのに」

「またがんばれば、いつかはお休みだよ」


 私の愚痴をエナがたしなめる。けれど確かに、お休みは必ずくるのだから、そこまで頑張ればいい話だ。

 ケーキは逃げないし、レイアともきっとまた会える。エナとまた買い物に行ける。まだ行ったことのない場所もたくさんある。


 足取りが軽くなった。それに、この五日は、騎士としてのオリエンテーション的な仕事、儀式ばかりだったが、明日にはついに配属が発表され、実務的な仕事に移る。より、騎士としてこの国に貢献できることを思えば、仕事にも身が入る。隣でエナがつぶやく。


「どこに配属されるか緊張する」

「ええ? エナが言う?」


 私はつい反駁する。カルムの言によれば、模擬戦の成績が配属先に影響するという。それであれば、あれだけ華々しい勝利を収めたエナが不安がる必要はないだろう。問題は……。


「私こそどきどきだよ」


 一歩も動けなかった私である。もはや何を判断材料として配属先をあてがわれるかもわからない。


 部隊はいくつかあるが、新人騎士が割り振られる部隊は限られている。市民の生活を守る生活安全部隊、未開の地を切り開き、魔獣を討伐する遠征部隊、他国との国境を守る国境警備隊、あたりの実働部隊が妥当だろうか。どんなに遠くの地域に配属された場合でも、騎士である限り、定期的に中央に招集されると聞いている。もしエナと一緒の部隊になれなくても、そこで必ず会えるはずだ。


「でもできることなら一緒の配属先がいい」


 この先も隣にエナがいるところを想像するだけで安心する。反対に、そうでない景色はひどく不安だ。

 私だって、という不安気な顔のまま「奇跡の確率だね」とエナがそっけなく言う。


 しばらく二人とも無言で歩く。思えば、兵学科に入寮してから、長い時間をエナと過ごしてきた。従騎士クラスの時分から部屋が一緒だったことを考えると、もう五年の付きあいになる。お互いに、ほとんど知らないことはないし、共通の思い出をたくさん作ってきた。でもいよいよお別れだ。卒業試験のときにはかけらも湧かなかった実感が、今になって一気に押し寄せてくる。


「どこに行っても、お互い頑張ろうね」


 隣から声がとんできて、情けなくも泣きそうになっていた私は、横を見る。隣のエナはもう不安そうな顔はしていなくて、まっすぐ前を向いていた。月に照らされたその横顔は、綺麗に研ぎ澄まされて見えた。その顔を見て、本当にお別れを実感した。


「って、普段だったらアンナのほうが言うのに」


 ふっと力を抜いたエナが、こちらを見てぎょっとする。え、泣いてるの? 顔をしかめて身を引いている。


「う~~~、がんばろう~~~!」


 ごまかすために抱き着こうとしたら、やめて、と押し戻された。つくづくつれない。あきらめて、一歩くらい離れて鼻をすすりながらとぼとぼ歩く。一人は心細いということを、私はよく知っている。だからこそ、この先の日々が恐ろしかった。

でも、しばらく一人でしゅんとしていたら、見かねたエナが、なにしょげてんの、と手を伸ばしてくれた。思わず顔を見るも、照れているからか目は合わない。でも、喜んでそれに飛びつく。


 二人手をつなぐ。そうしたら、自分でも情緒不安定なんじゃないかと思うくらい、すぐに気持ちが高揚してきた。


 つないだ手の先にいるのが、エナという個人であること。そのことに、いつだって励まされてきた。他の人じゃなくてよかったと、心から思う。こうして手をつないだ先にいるのがエナでなければ、今の私にはなっていなかった。かっこよくて、優秀で、人見知りで、愛想がなくて、言葉がたりない、心根の優しいエナに、常に助けられてきた。そして、助けられたのと同じくらい、私もエナの力になれているという絶対的な自信があった。こんなに素敵な人の、支えになれている。それ一つだけで、どんなに他のことがうまくいかなくても、私は自分を誇れた。


 なんでもできそうな万能感が身体を駆け上がってくる。夢までひとっとびな気がした。顔色ひとつ変えずに世界を変えられる気がした。エナは絶対にお花屋さんになれるし、私は絶対にあの子を見つけ出せる。この安心を、この勇気を、この手の冷たさを覚えていよう、と思った。思い出せば、たとえ欠片のように小さくても、この気持ちを胸に呼び戻せる。


 感情があふれ出してくる。だんだん抑えきれないくらい、気持ちが高まってくる。今すぐ何かを始めたい。歩みを進める足がだんだん速くなる。後ろで足をもつれさせているエナが叫んでいるけど、この手を離すなんて考えられなかった。楽しくて、振り返って微笑むと、エナも呆れたように笑った。気づけば、二人夜の街を走っていた。王国全土くらいであれば、このままノンストップで走り切れそうな気がした。



そうして、家までたどりついた私たちは、息も切れ切れにドアを開ける。最初は笑っていたエナも、そのころには怒っていて、意味わかんない、を連呼していた。私も私でエナのぼさぼさの髪を見て申し訳ない気持ちがこみあげてきて、心から謝罪をする。


 置かせてもらっていた荷物をまとめ、またね、とハイタッチをして、別れる。去り際、やっぱり悲しくなって、少し鼻がつんとする。

 私は家に帰って、身体を清めるなりすぐに寝床について、ぐっすり眠る。

 この数日間は、私の人生の中でも、とても幸せな一ページだ。

 そうして、騎士としての生活が始まる。

 最後に交わした、またね、がずいぶん先になること。

 翌日、私が中央の生活安全部隊に、エナが東の鎮圧部隊に配属になることを、このときの私はまだ知らない。



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きわめて私的な王国記、きわめて私的な革命記。 @R4i

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