第8話 大団円

 こちらは、良治に暴行された方で、その相手は娘のりえで、16歳だった。岡崎治子は、りえの父親とは、数年前に離婚していて、離婚した夫である岡崎は、犯罪を犯して、服役していたのだ。

 治子は、離婚まではしたくないと思っていたが、旦那の方が、こだわってしまい、いろいろあったが、結果離婚に至ってしまった。そんな治子と娘のりえを影ながら支えていたのが、岡崎史郎だった。治子の夫の弟で、二人の相談相手くらいにはなってあげようと思っていたのだ。

 彼は前につき合った女性のトラウマがあることから、しばらく女性と付き合うことはなかったが、治子は勘が鋭い女性で、史郎の精神的なトラウマを、ある程度性格に見抜いていた。

 ハッキリとは言わないまでも、やんわりと、癒しになるような言い方をして、さらに、ちょうどいい距離にいて、話を何でも聞いてくれそうな雰囲気だった。

 今までなら、女性に自分のトラウマを話すなど、怖いという意識なのか、恥ずかしいという思いなのか分からないが、口にすることができなかった。だが、相手が治子だったら、何でも言えるような気がした。彼女は彼女なりに、歩んできたいばらの道が、岡崎に共鳴を与えるのかも知れない。

 治子に感じた思いは、

「癒し」

 だったのだ。

 本当は言葉にしなくても、一緒にいるだけで、心地いいのだが、

「その思いを言葉にするとどうなるのだろう?」

 という感情から、少しずつ治子に心を開いていった。

 つまり、

「治子と一緒にいると、それまで漠然と感じていたことがどういうことなのかということを、一つ一つ、教えてくれる」

 というような、そんな気がしたのである。

 治子本人には、そんな感情はないのかも知れないが、治子を知っている人が治子のことを聞かれると、皆が口を揃えて、

「女神のようだ」

 と言っていた。

 その理由としては、

「こちらが何も言わなくても、すぐに分かってくれて、それを形にするのが、天才的にうまい」

 ということをいうのであった。

 そんな治子だったが、娘のりえに対しては、その神通力が通用しないのか、なかなか、反抗期ということもあって、いうことを聞いてくれず、てこずっているようだった。

「私が自信をもって言っていることが、すべってしまうのよね」

 という。

「他の人に対しては、結構無責任に話をしているのに、皆喜んでくれて、感動もしてくれる。それなのに、娘のこととなると、どうしてこうなのかしら?」

 と、結構嘆いていた。

 しかし、りえは、頭のいい子だった。母親に反抗はしていたが、その思いは、

「根底のところでは、一緒なんだって思っているわ」

 と感じていたのだった。

 りえという子は、学校でも、凛々しいと言われていた。叔父にあたる史郎も、次第にりえを見ているうちに、

「だんだん母親に似てきたな」

 と思うようになってきた。

 そんな彼女は、きっとオーラがすごかったのだろう。

 そんなりえを、良治は、いつどこで目を付けたというのだろう? りえには、正面から人に与えるオーラよりも、後姿のオーラの方がすごい。ひょっとすると、前からのオーラは自分で、抑えることができているので、抑えていたが、後ろからのオーラだけはどうすることもできず、良治の中でりえが天子のように思えたのかも知れない。

 しかし、そんな天子を暴行しようなど、一体どういう了見なのだろうか?

 りえは、自分が、他の女の子よりも、男性に狙われやすいという自覚を持っていた。

 それがどうしてなのか、理由までは分からなかった。

「無防備に見える」

 からなのか、それとも、

「オーラがすごい」

 からなのか?

 それとも、普通に、他の子よりもかわいいからなのか、どれなのかを考えていたが、たぶん、オーラなのではないかと思っていた。

 他の女の子にはないオーラがあると自分で思っていた。

 彼女は他の女の子よりも、母性本能が強いらしい。癒しをオーラとして醸し出しているということであるならば、

「オーラとかわいらしさを兼ね備えている」

 と言ってもいいのではないだろうか?

 良治とすれば、むしろ、

「彼女なら、逆らわないかも知れない」

 と感じたようだ。

 ただ、それは暴行犯としては一番卑劣な態度であり、逆にいえば、そう思わない限り、暴行しようとも思わないからではないだろうか?

 今度の暴行で、弁護士はいつものような言い方をしてきた。

「ここで騒ぎ立てると、お嬢さんが、世間に晒されることになりますよ」

 といういつもの殺し文句である。

 治子は、どうせ、そういわれることも分かっていた。分かっていて、敢えて、

「そんなことはあなたには関係のないことですからね」

 と言ってのけた。

 相手は、少しビックリしているようだった。普通はこういえば、たいていの場合は、折れてくるものだ。しかし、お金にも、脅しにも屈しようとしない相手に、何を言えばいいのか、さすがに困っているようだった。

「じゃあ、告訴するということでしょうか?」

 と言われて、治子は、

「ええ、そのつもりです」

 というではないか、

「何をそんなにこだわっているんですか?」

 と聞かれると、

「あの子にトラウマを残したくはないからです。もし、ここで引き下がってしまうと、あの子は、暴行されたことが頭から離れず、ずっと人を好きになることもできず、一人で苦しむことになるんですよ、親として、それをじっと見ていくことは苦痛で仕方がない。だから、私は、あの子を守ってくれる人を待ちわびるという意味でも、あの子の男性に対してのトラウマを解消させてあげたいんです」

 という。

「でも、一歩間違うと、これから裁判において、裁判官や検事からいろいろ聞かれて、恥ずかしいことを言われたり、私も相手側の弁護士ですから、相手の勝利のために必死になるから、容赦はしないですよ。それが、彼女のトラウマになるとは思わなかったんですか?」

 と言われて、

「いいえ、あの子には後悔してほしくないんですよ。トラウマと一緒に後悔まで残ってしまったら、それこそ、立ち直れなくなってしまいますからね。それを思うと、告訴をしないといけないと思うんです」

「どうしてそこまで……」

 と、弁護士がいうと、

「私は、この街と一緒に育ってきました。この街の昔ながらの賑やかだった頃も知っています。何といっても、ここのアーケードを通るだけで、一式なんでも揃うとまで言われていた頃だったじゃないですか。そんな街で育ってきたことを誇りに思ってきたんです」

 といきなり、治子の、昔話が始まった。

「あなたが、自費出版社の事件を扱っていたことも知っています、私は友達に進めたこともあって、彼女と一緒にあなたと交渉したことがあったのですが、正直、相手にされませんでした。完全に、あなたのいいなりになってしまったという意識が強かったということですね」

 と、治子は、話を変えた。

「じゃあ、それを後悔しているということですか?」

「ええ、正直後悔しています。というよりも、あなたに対し得、残念な気がしたんです」

 と治子がいうと、

「残念?」

「ええ、私は娘に後悔させたくないと言いましたが、あなたにも後悔してほしくないんです。確かにあなたの立場は分かります。何と言っても、弁護士は依頼人を裏切れないからですね。でも、こんなことばかりしていていいんですか? 私がそんなことを言っても、あなたの心に響くことはないでしょうけどね」

 と、治子は吐き捨てるように言った。

 そして、

「じゃあ、あなたは、この人の前で、同じことが言えますか?」

 と言って、そこに出てきたのが、岡崎史郎だった。

 史郎を見て、弁護士の渡辺は、

「君は……」

 と言って、言葉が出なかった。

 すると、治子が続ける。

「ええ、そうよ、あなたが弁護士になろうとしたきっかけを作ってくれたはずの人ですよね?」

 というと、

「どうして、史郎がここに?」

 というので、

「俺は、りえちゃんを愛しているんだ。今まで、人を好きになっても、トラウマがあって、なかなか恋ができなかったのに、りえちゃんだけは、俺を受け入れてくれた。最初はそんな俺を怖がっていた治子さんも、やっと今は俺を信じてくれているんだ。俺は昔のお前を責めているわけではない。むしろ、今のお前に同情しているのさ。昔のお前だって、憎んでいるわけではない、ただ、後悔がないのだとすると、それは俺も辛い。お前は、この俺を前にして、りえちゃんに、示談に応じろと言えるのか? お前には後悔はなかったのか?」

 と言って訴える。

「この街は、平和だと思っていたけど、そうじゃなかった。そのことを知ったのは、あの事件があった時、しかも、この俺がハイド氏だったなんて、思ってもみなかった。そんな俺の身代わりに、お前はなってくれた。あの時のお前は、後悔がないと言ってくれた。だから、俺はお前のためにも、そして、俺のジキル博士をまっとうするためにも、後悔はできないんだ」

 と、弁護士は言った。

「そうでしょう? あなたは自分が弁護士だということを、一体どう思っているの? 前の時の、自費出版の時のようなことでは、今回は許されないの。今までもあなたは、同じような手口で、他の人にも示談金を積んできたというの? それで後悔はないというの? あなたの人生ってどこにあるのかしら? 私は、それが知りたい」

 と、治子は言った。

「これは、きっと、りえちゃんの心の声でもあると思うんだ。俺があの時に犠牲になったのは、俺が身代わりになることで、お前が、今回傷つけた一人の代わりに、何十人、何百人と助けていけるからだって思ったんだ。この街にはどんどん人も増えてくる。マンションも建設されてくるので、婦女暴行なんて事件も増えるかも知れない。あの時お前はいったじゃないか? これからは、この俺が誰も後悔させないって。これが、お前のいう後悔への代償なのか?」

 と、史郎がいうと、

「私は、この話を史郎さんから聞いて、史郎さんが、どうして、うちの娘を好きでいてくれているのに、全然意識しないようにしているのか分からなかった。あの子も、史郎さんを慕っているのよ。ある意味、二人は、叔父と姪なので、結婚はできない。それは二人とも分かっているのよ。ただでさえ、その苦しみを今は乗り越えようとしていた。それは、後悔したくないからだと二人はいうのよ。それなのに、今回、こういう事件が起こった。二人は苦しんだと思う。慕ってくれていたりえが、史郎さんを遠ざけようとしている、こんなことは今までになかったことなのよ。変だと思った。私は、まさかと思っていたけど、史郎さんはすぐに分かったようだわ。ただ、どうしていいか分からない。そして苦しんだ挙句、私に相談してきた。私もさすがにそれはないと思ったんだけど、史郎さんの話を聞いていると、ありえないこともない気がした。それを考えると、私は自分で、後悔したくないと思ったの。本当は、りえのことを考えないといけない時にね。私はそんな自分に嫌悪を感じた。でも、これは無理もないことなのよ。解決しようと思えば、避けて通ることのできない道なの。そう思うと、りえを問い詰めたわ」

 と言って、息を切った。

 横から、史郎が続ける。

「それは辛かっただろうよ。自分の娘が苦しんでいるのを、無理やりにでも薄情させようというんだからね。でも治子さんも、りえちゃんも、精いっぱいの戦いだったと思う。必死になって我慢しているのが分かったんだけど、さすがに、後悔したくないという言葉に感化されたのか、りえちゃんは、薄情した。被害届を出していると、犯人が逮捕されたというじゃないか。まだ未成年で、前途有望だっていう。腹が立つんだよな。何が前途有望かってね、そんなやつは犯罪なんてことは起こさないさ。俺もそれを聞いた時、歯を食いしばって悔しい思いをしたものさ。その時に、お前のことを思い出したんだ。お前だったら、どうするだろうってね? すると、後悔しないように頑張ってるどころか、悪の手先に成り下がっている。俺のあの時の代償はどこに行ってしまったんだ? いい加減に目を覚ましてくれよ」

 というと、渡辺弁護士は、二人に言われたのを胸に秘め、

「俺も後悔したくはないからな」

 と言って、その日は解放された。

 もし、ここで史郎が登場しなければ、今までのように、何とか言いくるめたかも知れない。

 しかし、これでは、もう後ろに下がることはできず、きっと後悔しない正しい道を選ぶことになると思っている。

 もちろん、依頼人を裏切ることになるだろうから、今後の弁護士生活がどうなるか、何ともいえない。

 彼は、顧問弁護士を解雇になった。だが、彼を裁く法律は存在しない。

 今のところ、フリーで事務所を構えているが、いつまで続くのか分からない。

「俺は後悔していないよ」

 と言っているが、明らかに苛めてしまったことには違いない。

 ただ、彼は、今は、

「後悔したくない」

 と言っているがいつもでもつだろうか?

 世の中というのは、どこまで、自分の意思を通せるのか難しいところだ。

「自分に正直に生きるということが、後悔をしないということになり、その考え方の裏返しが、正解を導いてくれるのかも知れない」

 と感じた史郎は、この時のトラウマが、だいぶ癒えてきたりえを見ながら、

「果たして、誰も後悔しないで暮らしていける世の中なんて、誰が作ってくれるのだろう?」

 と、考えるのであった……。


                 (  完  )

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後悔の連鎖 森本 晃次 @kakku

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