第7話 婦女暴行

              

 K市のマンション建設ラッシュが続いている中で、季節は、冬から春になりかけていたが、それはあくまでも、暦上のことであり、実際には、その寒さは、風が吹いてくると、耐えられないほどのレベルであった。

 その時期というのは、2月から3月にかけての。いわゆる、

「年度末調整」

 と呼ばれる時期で、その頃になると、道路など、あちこちで穴を掘って、工事をしている。

 どうして、

「年度末調整」

 というのかというと、

「国土交通省などの、省庁の予算は一年単位で決まっていて、その年度で与えられるのだが、決まった予算は使い切ってしまわないと、翌年に繰り越したりなどするわけもなく、ましてや、今年度は足りていて、余ったんだと思われると、来年度の予算は、使った予算に比例して、減らされてしまう」

 ということになるのだった。

 だから、年度末までに使ってしまわなければいけない。そのために、

「いずれは手を付けなければいけないかも知れないが、今すぐではないと思うようなことでも、手っ取り早く予算を使い切ってしまえるような事業に手を出すのだ」

 と言われている。

 予算さえ使いきればいいので、

「どーでもいいこと」

 が、その使い道になったりするのだった。

 値段的には大したことではないのかも知れないが、これこそ、

「予算の無駄遣いだ」

 と言えるのではないだろうか?

 それを、政府は一体どう思っているのだろう。元から決まっていたことなので、まるで、

「必要悪のようなものだ」

 と感じているとするならば、政治家なんて、

「先生」

 と呼ばれる資格のない連中ばかりではないかと言えるだろう。

 そんなK市において、婦女暴行事件が起こったのは、そんな道路工事が行われていて、誰もが、そんな幹線道路を避けるようになり、他の道を探るようになったことで、ちょうど、新たに建設中のマンションが、死角になっていた時期があったことだ。

 ちょうど、犯人にとって都合のいいところが生まれたもので、きっと犯人も、それくらいのことを分かっての行動だったのだろう。

 つまりは、完全に、計画的な犯行だったということだ。

 捕まってから、警察の取り調べで、この男は、自分が頭がいいことをひけらかすように、自分の証言が、有利なのか不利なのかということは、二の次であり、あくまでも、自分が頭がいいということを、最優先にして話をしているところのある男だった。

 ただ、この男は実は捕まったわけではない。弁護士とともに、出頭してきたのだ。

 自分から、出頭してきたという意味で、自首に近いものであるが、現場から逃げているので、自首とは違う。

 これは、ただの出頭なのだ。

 この男は、まだ、18歳だった。いずれは、青年と呼ばれる年齢になるのだが、この時はまだ未成年。法律で守られる年齢でもあった。

 だが、こいつがやったことは、決して許されることではない。未成年法で許されるものではないのだろうが、それを分かっていて、弁護士は警察に話をしてくる。

 犯人の親は、会社をいくつも経営している実業家で、何不自由なく暮らしてきたのだ。

 判で押したような、

「ボンボン」

 なのだった。

 出頭してきた、容疑者は、名前を、笹川良治といい、笹川グループの総帥だった。

「親は笹川だったら、それこそ何不自由のない暮らしをしても、まだおつりがくるくらいじゃないか」

 と担当した刑事は思ったことだろう。

 一緒についてきた弁護士は、名前を渡辺弁護士という。

 笹川財閥の顧問弁護士だが、昔から勤めていた人ではないようで、最近、顧問弁護士に就任したという。

 前の弁護士というのは、どうやら、あこぎな内容のことを、事もあろうに、笹川氏に対して企んでいたことが、事前に分かったようで、解雇させられたのだ。相談した相手が、さすがに、笹川氏を敵に回すことを恐れて、笹川氏にチクったようだった。

 もっとも、笹川氏は、弁護士と一緒に、このチクった相手も解雇した。

「仲間を裏切るような人は、信用できん」

 という理由だったのだが、それは、前の弁護士に対しての信頼が裏切られたことでの、錯乱状態から、チクった人間も、一緒に解雇する気持ちになったのだろうが、それだけではないだろう。

 やはり、相手が、どんなに悪いやつであったとしても、裏切る相手は、自分の損得でしか動いていないということを自らで表しているやつなので、こんな男が、笹川氏は一番嫌いだった。

 自分も大悪党なくせに、

「そんな自分だから分かる大悪党というものだから」

 ということで、二人をある意味、

「同じ穴のムジナだ」

 と考えたに違いなかった。

 そんな笹川氏だったので、次の顧問弁護士には、少し気を遣った。

 そこで、目星をつけたのが、

「以前、自費出版社系のいくつかの会社の弁護を引き受けて、実にうまく処理した手腕を持っている」

 という話を聞いたからであった。

「一つを解決すれば、他の会社も、皆二番煎じで、同じようなあくどいことをしていたのだから、他も同じ手法で解決できる」

 ということを、いち早く見抜き、それをあたかも、平然とした様子で、当たり前のことのごとく、裁いていけたのが、社長の目には、敏腕に見えたのだ。

 だから、笹川氏はすぐに、渡辺弁護士に連絡を取り、顧問弁護士の話を持ち掛けた。

 これには、渡辺弁護士の方も、

「渡りに船」

 のようだった。

 自費出版社関係の仕事を一気に解決したのも、

「自分の名前を売る」

 という魂胆があったのも事実だった。

 まんまとその作戦が成功したわけだが、その弁護をしている時に、自分の行動の中で、

「バックがいてくれるということは、これ以上の安心感はない」

 と思うようになった。

 しかも、それが財閥並みの大金持ちで、しかも、政財界に顔の利く人物ということであれば、これ以上の後ろ盾はないというものだ。

「自分がやりたいことが何なのか、今はハッキリと分からないが、その時がくれば、役に立つのは、やはりバックという大きな存在だ」

 と言えるのではないだろうか?

 それを思うと、今回の笹川氏の誘いは、

「願ったり叶ったり」

 で、お互いの利害が一致したと言ってもいいだろう。

 利害だけで結びつく関係を、

「薄っぺらいもので、いつ裏切られるか分からない」

 という人もいるが、最初から、利害で結びついているという意識がお互いにあるのだから、これは、絆としては、深いものではないだろうか。

 つまりは、

「人情で結びついていると思っていると、裏切りや、予期せぬ出来事にぶつかった場合、お互いに意思の疎通がうまく行かず、結局、裏切らなければならなくなったり、相手を選択しなければいけない場合、結局人情というものが何の役にも立たないということが分かるだけではないか」

 ということなのである。

 顧問弁護士というのは、

「後ろ盾がある」

 という安心感もあるが、

「裏切ったら、命の保証もない」

 という、恐ろしい面もある、

 最初から、そのことを渡辺弁護士が分かっていたのかどうか、甚だ疑問であるが、いずれ思い知ることになるのだろう。

 そんな渡辺弁護士に連行されるようにやってきた容疑者である、笹川良治は、笹川社長の次男であった。

 長男とは年齢も離れていて、10歳くらい違っていた。

 というのも、長男は前妻の子で、良治は、今の奥さんの子供だったのだ。

 前の奥さんは、笹川氏の行っているあこぎな商売を、見て見ぬふりをしてきたが、実際に自分に関係のあることであっても、金儲けのために、犠牲にしようとしている笹川氏に、

「あなたお願い。あそこを取り壊すことはやめて」

 と、取りすがるようにお願いをしたのだが、笹川氏は聞く耳を持たなかった。

 要するに、

「人情などという甘っちょろいものは嫌いだ」

 ということだったのだ。

 本来、笹川氏と知り合ったのは、料亭の給仕をしているところを、笹川氏のお眼鏡にかなったというところなのであろうが、笹川氏とすれば、そんな彼女と一緒にいるのが、嬉しかった。

 正直、それまで、

「癒し」

 という言葉は知っていたが、どんなものなのかということを理解していなかったのだ。

 それを、その時だけは、

「これが癒しというものなのか?」

 と、味わったことのないものを、自分で感じることができたということに喜びを感じたのだ。

 正直、彼女自身がどうのというよりも、

「癒しというものがどういうものなのかということを教えてくれた」

 ということで、

「この人なら」

 として、嫁に迎えたというわけだった。

 どんな人が嫁にふさわしいのかということをたまに考えていた笹川氏だったのだが、実際に結婚した相手は、そんな思いとは裏腹な相手であり、むしろ、

「ふさわしいなどということを考える必要のない人だった」

 と言ってもいいだろう。

 そんな奥さんだったのだが、見切りをつけるのも、早かったようで、

「この人は私に、癒ししか求めていないんだ」

 と思ったのが、離婚の決定づけた思いだったのだ。

 性欲を求めているわけではない。性欲と癒しの違いについて、前妻は考えてみた。

「性欲であれば、相手の身体を通して気持ちも感じることができるようになったことで、満たさせるのであって、お互いの気持ちの高ぶりが必要なのだが、これが癒しとなれば、あくまでも、自分だけが癒しを得られればそれでいいという考え、相手は本人にとって、蚊帳の外だと言えるのではないだろうか?」

 と思えてきたのだ。

 つまり、

「癒ししか求めてこないということは、そこには、愛情が存在していないということなのだろうか?」

 と感じたのだ。

「それっていつ頃からだったのだろう?」

 と考えると、結論として、

「知り合って、結婚するまでの間でも、あの人は私を癒しの相手としてしか見ていなかったに違いない」

 と感じるようになったのだ。

 要するに、

「これから一緒にいても、性欲はおろか、癒し以外では見てくれないのではないか?」

 と思えてきて。

「それって、性欲のはけ口だけにされて生きていくのと、どっちが辛いんだろう?」

 という考えまで、芽生えてくるようになった。

 つまりは、

「もう、一緒にいる理由はないわ」

 と思ったのだ。

 気になるのは子供のことだけ。

 しかし、笹川は、子供を後継ぎにすることしか考えていない人だった。

 だから、教育も英才教育を施していて、

「わしのような、学のない人間がそばにいるより、学のある連中に囲まれて教育を受ける方がいいに決まっている」

 と思っていた。

 笹川会長は、一代でここまでに会社をしてきたのだが、それは、正直運が大きな影響を持っていた。

 もちろん、運がいいだけで会社を設立し、財閥と肩を並べられるほどになるわけはないのだろうが、それだけ、

「歯車が噛み合った」

 というべきなのだろう。

 そのことを本人がどこまで理解しているかということなのだろうが、子供の教育に関しては、うまく行ったとは言えないかも知れない。

 奥さんが愛想を尽かして出ていった時、子供も、すでに、母親ということに感覚がマヒしていて、別に出ていくのを止めることもしなかった。英才教育の中で、女性もたくさんつけていたので、母親の愛情というものの存在すら分からない、いや、感覚がマヒした状態で、聴いたとしても、訳が分からないということになるだけであろう。

 そんな状態なので、笹川が後妻を貰っても、別に意識もしていなかった。

 長男が十歳の時に、良治が生まれたが、母親は良治の養育で精いっぱいだった。

 長男には、昔でいう乳母のような存在の相手を与えることで、

「帝王学」

 を子供のうちから身につけさせておこうとすら考えていたふしがあるのだった。

 だから、子供を親が育てているという、

「当たり前のこと」

 に、信じられないものを感じていたのだ。

 後妻は、かなり若かった。

「明日からお前のお母さんだ」

 と言って連れてきた時、実はまだ18歳だったという。

 高校を卒業したてで、

「実は親の借金を棒引きにしてやる」

 という言葉に乗って、親が、いわゆる、

「人身御供」

 として差し出したのだ。

 その頃の長男は、8歳だった。母親との年齢差も、ちょうど10歳だったということだ。

 実は、長男は、密かに義母に憧れを持っていた。

 本人がそれを意識したのが、長男が、15歳の時だった。そのことに気づいた義母は、何と、長男の、

「筆おろし」

 をさせてあげたのだった。

 さすがに。

「これはお父さんには内緒よ」

 と当然のごとく釘を刺した。

 義母が何ゆえに筆おろしをさせてくれたのか分からなかったが、そのおかげで、女というものを知ることができ、女の身体の神秘を感じることで、しばらく、情緒不安定になっていた。

 その頃に、良治は、まだ5歳の頃だった。

 正直、物心もついていないその時に、長男は、自分の情緒不安定な状態を、良治にぶつけた。

「義母はどうして、僕に筆おろしをさせたのだろう? そうしておいて、それからは、二度と自分に触れさせようとはしない。あの時が気の迷いだったのか、それとも、一度キリと覚悟を決めてのことだったのか、そこはハッキリとしないが、やはり、筆おろしは儀式でしかないのだろう」

 そう思うと、情緒不安定はさらにひどくなり、弟を苛めのターゲットにしてしまったのだ。

 弟からすれば、こんな理不尽なことはない。しかし、兄に逆らうこともできない。父は、昔気質の人で、長男が一番、後は長男を支えていくものだということを、最優先に考えていたのだった。

 理不尽さは、兄が思春期だったこと、そして弟が、最初の成長期であるということを考えると、時期的には、タイミングはいいが、それ以上にお互いのバイオリズムはピッタリ合っていたような気がして、それこそ、大きな、

「負の連鎖」

 と言えるのではないだろうか?

 歴史が好きな長男は、昔だったら、確かに5歳くらいは若いだろうから、これくらいのことはあってもいいような気がした。まるで殿様にでもなった気分にもなっていたのだ。

 良治の方は、今のところ、誰かに筆おろしをされたわけではなかった。

 父親としては、考えていないわけではなかったのだが、どうしても、兄の方を中心に考えるので、昔から次男の良治に対しては、冷たいところがあった。

 お金があるから、お金で与えられるものは与えてきたので、それでいいだろうと思っていたが、良治は、そういうことに結構考えが甘かった。

 お金で与えられるものに対しては、感情がマヒしていて、お金で与えられないもので、いわゆるタブーと言われるものに、深い感情を抱くようになってきたのだった。

 それが、

「異性に対しての感情」

 だったのだ。

 中学時代までは、そんなに異性の女の子に対しての感情はなかった。

「いろいろなものを、金の力で手に入れられる立場にあるから、感覚がマヒしてきて、いまさら皆があからさまに欲しがっているようなものに興味がないのだろう」

 と思っていたのだ。

 しかし、実際にはそうではなかった、

「手に入る、入らない」

 というのは関係がなかった。

 どちらかというと、異性への感覚は、

「恥じらい」

 というものにあり、女の子が恥じらうことで、自分がいかに興奮できるのかということを知らなかったのだ。

 むしろ、女の子による

「恥じらい」

 というものを知らなかったというよりも、自分の中の、

「興奮」

 というものを感じたことがなかったからだ。

 興奮という言葉は知っていたが、

「汚らわしいものであり、自分のような選ばれた人間に備わっているはずのものではないのだ」

 と思っていた。

 だから、自分のことを好きだと思ってくれる女の子がいれば、普通なら嬉しくて、ドキドキするのだろうが、

「好きになってくれたとして、それが何なのだ?」

 と思うことで、興奮というものをまったく知らない状態になるのではないかと感じていたのだ。

 興奮することで。身体が反応するということも知らなかった。

 ただ、身体が反応するのは、

「恥ずかしいことだ」

 ということで、その証拠に、一度、自分の身の回りの世話をする、二十歳前後のメイド服を着ている女の子に聞くと、顔を赤らめ、

「そんなことおっしゃらないで」

 と言って、困ったような態度だった。

「僕は、ただ、どうしてなのかということを知りたかっただけなんだけど?」

 というと、

「お坊ちゃまは、そんなことを知らなくてもよろしいんです」

 と、矛盾したことをいう。

「僕が僕の身体のことをしるのが、いけないことなのかい?」

 と聞くと、

「私を困らせないでください」

 としか言わない。

 とにかく、何かをここでいうことが、彼女にとって、困ることであり、それが彼女の立場を危うくするものだとすれば、必要以上には聞いてはいけないのだろう。

 しかし、その裏で、

「彼女を困らせてやろう」

 といういじわるな気持ちになったのも、事実だった。

 だが、彼女をあまり苛めて、まわりから白い目で見られるのも嫌だった。

 特に父親に告げ口されて、せっかくの今の立場を失ってしまうのは、実に困ることだったのだ。

 そんな思いを感じていると、

「俺は、このまま、大人になれないのではないか?」

 と思ったのだ。

 大人になるということは、今まで知らなかったこと、そして、大人から、

「これは大人になったら分かることだから」

 と言われてきたことが分かるようになることだと思っていたのだ。

 それが、どんなことだったのか、いちいち覚えているわけではないが、確かにその言われていたことは、少なからずあったのだ。

 その中に、

「恥じらい」

 であったり、

「興奮」

 のようなこともあっただろう。

 メイドの女の子が、

「お坊ちゃま、おやめください」

 と言っていたのを思い出し、その言葉の裏に、

「苛めないでください」

 と言われているようで、何かしらの恥じらいが感じられ、それが興奮に繋がってくるのだということが分かってくるようになるのが、高校に入ってから、まわりにいうと、

「お前は本当に晩生だな」

 と言われたものだ、

 良治は、中学高校と、お坊ちゃま学校に通っていた。まわりは皆社長の息子であったりと、英才教育をそれなりに受けてきた連中だった。だから、

「下々の連中とは違う」

 という意識が強く、その分、帝王学には皆長けていた。

「俺たちは選ばれた人間なんだ」

 ということであり、もっと言えば、

「生まれながらの帝王」

 だと言えるだろう、

 しかし、歴史を知っていると、2代目というのは、結構辛い立場になっていたり、比較的目立たなかったりする。ただ、歴史上の2代目は、

「生まれながらの帝王」

 ではない場合が多い。

 初代が帝王として君臨するまでに、子供はまだまだ成長過程だったりするので、

「帝王ではない父親」

 も知っている。

 そういう意味では、生まれながらにして帝王だというのは、先代にはない、最初からのプレッシャーがのしかかってきているのだった。

 知らない人が見れば、

「最初から帝王であり、ほしいものが何でも手に入るのだから、これほど楽なものはない」

 と思われるに違いない。

 しかし、それはプレッシャーを知らないから言えるのだ。当の本人でさえ、そのことに気づくのは、自分が思春期になるのと同じ頃だった。

 そこの一致するキーワードとして、

「感受性」

 というものがあるのではないだろうか?

 帝王学は得てして、感じることをマヒさせて、理屈をいかに遂行するかということだけを目指すこともある。

 特に子供の間は、無理に考えさせないということで、プレッシャーを与えないようにしているのかも知れない。

 それを思うと、

「感受性」

 という言葉がやけに真剣に感じられるようになった。

 興奮にしても、恥じらいにしても、この感受性を豊かにできていないと、感じることができないものであり、マヒした感情が、表に出てくることはないのではないだろか?

 と感じるのだった。

 そんな良治が、婦女暴行に至った経緯は、分かる人には分かるだろう。

「たがが外れた」

 と言ってもいいかも知れない。

 ただ、一緒にやってきた弁護士は、どこかで見たことがあると思ったが、それはそうだろう。例の、

「自費出版社系の一連の事件」

 で弁護士を引き受けた、渡辺弁護士だったのだ。

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