第6話 悪徳弁護士

 この時の弁護士は、民事で争っていた。その時には泣き寝入りする羽目になってしまい、その時の被害者の中に、実は自分のおばさんがいたのだった。名前を、

「岡崎治子」

 といい、今は、44歳になっているので、当時は、30歳とちょっとくらいだっただろうか?

 元々、商事会社に入社して、大卒で入社したのだが、バブル経済の影響を受けている時代で、

「残業はしてはいけない。経費節減は至上命令」

 という時代だった。

 アフターファイブをいろいろなことに熱中する人がいる中で、叔母は、大学時代に文芸部に所属していた関係で、小説を書くということに、違和感はなかった。

 そのおかげで、

「また小説を書いてみようかな?」

 と思うのだった。

「せっかくだから、どこか、同人誌のようなところでもあれば、そこで細々と活動すればいいか?」

 というくらいに思っていた。

 もちろん、小説を書いて、書いた作品をどこかに持ち込めばどういう運命になるかということは分かっていた。

 それはそうだろう、素人が書いた作品など、誰が忙しい立ち場の編集者が見てくれるわけなどない。自分の受け持ちの先生だけで手いっぱいなのに、別に素人を発掘したからと言って、給料が上がるわけでもm臨時ボーナスが出るわけでもない。そんなものは、バブルの時代でもなかったことだろう。

 それを思うと、

「細々とやっていくのが、一番似合っている」

 と言えるのではないだろうか。

 下手に必死になって、あわやくばなどと思うと、痛い目を見るのは自分だろう。

 というところまでは分かっているつもりだった。

 しかし、そんな叔母でさえ、騙してしまうのが、あの自費出版社系の会社だった。

「私はそんな手には引っかからない」

 というような凛々しさを感じていたのに、なぜ引っかかってしまったのか。岡崎は驚きを感じえなかった。

 だが、実際には引っかかった。

「少しくらいは、どんなところなのか、覗いてみるか?」

 という興味本位で、まずは、原稿を送ったのかも知れない。

 一度おばさんが言っていたのは、

「この出版社は、ちゃんと原稿を読んで、それに対して批評を的確に返してくるのよ。しかもね、褒めるばかりではなく、最初に、欠点を指摘しておいて、徐々に褒めてくる。つまり、自分たちはちゃんと見ているんだということを、敢えて、批評することで表して、しかも、短所は長所の裏返しとばかりに、ちょっとここを変えれば、素晴らしい作品になるという具体例を示し、そして、徐々に持ち上げていくのだから。読み終わった時は、自分が天才にでもなったのではないかという錯覚に陥ってしまうほどなのよ。実に上手だと思うけど、評価されているのが、自分の作品でしょう? 自分ではそこまで気づかなかった部分を指摘してくれるので、完全に信用してしまうのよ。それが、彼らの思うつぼと言ってもいいのかも知れないわね」

 というのだった。

「なるほど、短所を最初に指摘されれば、ちゃんと読んでくれているということを、自分にいいように考えようとするから、十中八九、そういう考えになりますよね。だから、騙されやすいんだろうか?」

 というと、

「一応大学時代に文章を書いた経験のある私でも、コロッと騙されるんだから、本当の素人は、完全に手のひらの上で転がされてしまったかの如くって、漢字なんじゃないかしら?」

 と、おばさんは言った。

 そのおばさんは、ちょうどその時、学生時代から貯めていたお金があったので、借金などすることもなく、しかも、詩集のようなものだったので、数十万円で本を作ることができた。

 だから、他の人のように、

「借金してまで」

 ということもなく、

「貯金で本が出せた」

 と、貯金の使い道を本を出すことで、夢を叶えたと思えば、損をした気分になるどころか、本人としては、大満足だったのだ。

 しかも、大学時代に文芸部にいたこともあって、

「安価でできたのだから、まるで同人誌でも発行しているような感覚だ」

 と思っていた。

 同人誌であれば、別に売れなくても気にはならない。

「売れれば儲けもん」

 というくらいにしか思っていなかったので、出版社と本を出した他の人に感覚とは、まったく違っていた。

 だから、他の人が弁護士を雇ったり、被害者の会を立ち上げたりするのを、まるで他人事のように見ていた。

 それでも、その中に自分の本もあることから、一応、

「被害者の会」

 には顔を出していた。

 本人は、

「別に被害者ではないんだけどな」

 と思っていたので気が楽だったが、他の人は、とにかく、

「許せない」

 と必死で叫んでいたのだ。

「他の人たちの目的って、何なのだろう?」

 と考えた。

「お金が返ってくることなのか?」

 それとも、

「あの詐欺師連中に天罰が当たることなのか?」

 そのどちらもであろうが、どっちが切実かというと、おばさんの立場からは分からなかった。

 実際に損をしたと思っているわけではないので、お金が戻ってくるなら御の字で、損をしたという気持ちになっているわけではないので、別に、

「詐欺師連中に天罰を」

 という気持ちにもなっていないのが事実だった。

 だから、自分だけが蚊帳の外という気持ちで見ていたが、その気持ちを見破った人がいた。

 その人は同じ会社の人で、元々は、

「仕事が減っちゃって、何か趣味でもしないと、身が持たないんだけど、今から何かないかしらね? お金のかからない趣味がいいわ」

 と言われて、

「じゃあ、小説家、詩を書いてみるのはどうかしら? 博学になった気にもなれるし、パソコンで書くんだったら、持っているパソコンを使えばいいしね、お金は、かからないわよ」

 と言って誘ったのだ。

 彼女は、ずぶの素人だったので、この出版社からの、

「おだて」

 ともいうべき、

「少し落としておいてから、後は、引き上げておだてまくる」

 というやり方に、完全に引っかかってしまった。

 むしろ、おばさんのように引っかからない方が珍しいくらいで、すっかり褒められたことで有頂天になっていた。

 それは別に悪いことではない。褒められて伸びる人もいるくらいだ。だが、そこで、自分の度量を見誤って、自分がプロにでもなった気分になり、

「出版社か誰かの目に留まりさえすれば、自分の作品は売れるんだ」

 と思ったようだ。

 出版社もそのように言いくるめて、完全に、その気にさせてしまうのだ。

「これが一番怖いのに」

 と思ったが、そう思い込んでしまった本人に他人が何を言っても、もう後の祭りだった。

 下手に指摘すれば、こちらが、相手の才能をやっかんでいると思うことだろう。そうなってしまうと友達関係にもひびが入り、相手は完全に、自分の殻に閉じこもってしまう。

 それも、

「自分は天才だ」

 とでも思うから、殻に閉じこもっても、平気なのだ。

「あっちの世界にいけば、あっちの優秀な友達ができ、自分も優秀の仲間入りだ」

 と思っているのだろう。

 百歩譲って、彼女がある程度の才能があったとしよう。そして、出版社界で、

「底辺の方での合格者」

 だったのだとすれば、どうなるのだろう>

 それは、受験において、五分五分が怪しいところを受験して、運よく合格できた場合と似ているのではないだろうか?

 それまでは、クラスの中でもトップクラスだった自分が、成績優秀者が揃っている学校にいけば、自分は底辺でしかない。

 成績も、

「こんなはずではない」

 と思っているが、その時初めて、自分が、

「来てはいけないところに来てしまったのだ」

 ということに気づかされる。

 そう、その同僚も、おだてられて、自分が天才だと思って、本を出してみると、まったく売れない。本を出すまで、いや性格には金を出すまでに、あれだけ熱心に前のめりになって協力してくれていた出版社の人は、今度は裏を返したかのように、知らんぷりであった。

 そうなると、不安が不信感に変わる。そこまでくると、それまでモヤモヤした感覚があったが、それがやっとその時に感じた不信感で、繋がった気がするのであった。

「何だ、これ、架けられた梯子に上ったはいいが、外されてしまったような感じではないか?」

 と思うと、やっと、自分が愚かだったことに気づかされる。

 それは、彼女だけのことではなく、皆そうであろう。

「どこかで似たような感覚を覚えたことがあったような」

 と一度は感じることだろう。

 おばさんはそこで感じたのが、

「生命保険の勧誘」

 だという。

 保険を契約するまでは、しつこいほどに連絡をしてきて、いろいろ食事をごちそうしてくれたりした。

 相手の誠実さに打たれる形で、やっと保険の話を聞く気になって、最終的に、

「お任せします」

 となった時、いよいよ、保険の契約ができてしまうと、最初だけ、成約のお礼ということで、何かしらの特典はあったが、その後はそれっきりである。

 連絡を入れても連絡が取れないとか、以前、あまりにもひどいので、

「全然連絡をくれないんだけど」

 といって文句を直接言いに行くと、署長が出てきて、

「担当者が変わった」

 というではないか。

「はぁ? こっちは知らねえよ」

 というと、

「じゃあ、新しい担当に挨拶させます」

 ということで、その人が、申し訳なさそうに出てきて、低姿勢で対応してくれたが、結局、その人も何年も経つのに連絡もない。

「ああ、どうせ、もう担当が変わって、俺の名前はたらいまわしにでもされているんだろうな?」

 と思うと、もうバカバカしくなった。

 そう、自費出版社系も、

「本を作らせて、金を出させれば、もうそいつには用はない」

 というだけのことである。

 それが、

「自費出版社系の会社の正体」

 なのである。

 おばさんは、正直、今回の、

「被害者の会」

 には、ほとんど乗り気ではない。

 しかし、署名を頼まれて、署名をした関係と、自分が誘ったことで、入会した人がいるという後ろめたさから、渋々つき合っているようなものだった。

 そんな気持ちは、弁護士から見れば簡単に分かるようだった。そんな態度を看過されたことで、弁護士から、

「ちょっと、岡崎さん」

 と言われたので行ってみると、

「困るんですけど」

 と言われたので、

「はぁ? 何がですか?」

 と、こちらも付き合わされているという意識から、不愛想な態度になった。

 これで相手も確信したのだろう。

「岡崎さんだけが、テンション低いんですよ、皆さん、一致団結して立ち向かっているのに、どうして、そんな他人事のような態度が取れるんですか?」

 と、おばさんを、その他大勢の人と同じ括りに見えているようだった。

「正直私は、被害者だなんて思っていないから、テンションが上がらないだけです」

 というと、

「えっ? あなたはこちらで本を出されたんじゃないんですか?」

 と言われ、

「ええ、出しましたよ。でも、ちょっとした詩集だったので、金銭的にも大したことはないし、自費出版をちょっときれいに製本してもらったと思えば、私は、もったいないとっも思わないし、さらには、騙されたという感覚ではないですよ」

 というと、

「ああ、そうなんですね? まさか、そういう人もいるとは思っていなかったです。だったら、どうしてこの会に出席なさっているんですか?」

 と言われたので、

「私が誘って入会させたために、本を出す羽目になった人がいるので、後ろめたさからですね」

 というと、

「そうですか。でもですね。それならあなたが別に後ろめたいという気持ちになる必要はないんですよ。正直、本を出すことを決意したのは、その人ですからね。正直私も弁護士という仕事をしているから、全力で依頼者の財産や立場を守りますが、私個人としては、半分は、自業自得だって思っているんですよ。確かに、騙す方も悪いです。でも、騙される方も隙があるから騙すんであって、騙された方にも、それなりに落ち度があったのだということを自覚してもらわないと、正直、こういう事件はなくなりません。本当はそのことを言いたいんですけどね、弁護士という立場上それはいえないし、言ってしまうと、こちとら、おまんまの食い上げですからね」

 と言って、笑っていた。

 おばさんは気づいていたのだ。

「本当は、言いたいんだけど、弁護士の立場の方が、目の前の裁判代金よりも、もっと重要で、弁護士が、依頼者の財産を守ることが、一番の最優先であるということを分かっているからだった。それを言ってしまうと、依頼人を裏切ることになり、依頼人を裏切ると、終わりなんだ。この商売は」

 ということになるだろうからであった。

 つまり、弁護士というのも、心の中で思っていることと、実際に人に向かっていう言葉と、さらには、本当はどうすればいいのかということの三つがそれぞれ違っているので、「これほど厄介な仕事はない」

 と感じていたのだ。

 とにかく、心の中で思っていることと態度は違う。態度は、

「これこそ、弁護士」

 というような態度を取らなければいけないが、これは、自分でもヘドが出るほどやりたくないと思っていることでもあり、

「何で、あんなに苦しい試験勉強を乗り越えてきたのに、依頼人のためには、犬にならないといけない時だってあるんだ」

 というほど、理性やプライドと、実際の行動にギャップがあり、

「精神を蝕む仕事なのだ」

 と感じるのだった。

 ただ、それでも、弁護士は好きにはなれなかった。警察官も嫌いだが、弁護士の方がもっと嫌いだ。

 だが、ある意味、徹底しているという意味では潔いとも言える。下手に中途半端な態度を取ると相手から舐められるし、依頼人からは不信感を持たれる。

 安い依頼料ではないし、裁判の勝敗によって、自分の人生が決まるのだ。

「弁護士の一番の仕事は、依頼人の財産や立場を守ることだ」

 と言われているがまさしくその通り。

 実際に依頼人が思っていることを百パーセント叶えるということは、実質難しい。

 なぜなら、裁判は難しいのだ、何と言っても相手があることであるし、しかも、判断は裁判官に委ねられる。相手は検察官という専門家がいる。

「専門家と専門家の対決をジャッジするのも専門家」

 ということだ。

 検事は、犯罪者の犯罪を正確に事実を実証し、罪に服させるために、基礎して、そこで、弁護士相手にそれまで見つけてきた証拠をネタに、被告を追い込んでいく。

 弁護士は、被告人として起訴された人を守るわけだが、それはあくまでも、検察が出してきた証拠を打ち破るだけの、武器が必要だ。

 相手の言い分が、法律上成立しないということであったり、時には、被告人の精神状態が、異常だったなどと言って、実刑を免れたり、有罪は免れないと分かった時には、情状酌量を得るための証人を集めることで、執行猶予を取りに行こうとする。

 だから、弁護士の仕事は、

「被告を無罪にする」

 ということではない。

 有罪にはかわりないが、いかに、その罪を軽くできるかというのも、弁護士の手腕だったりするのだ。

 だから、そのためには、弁護士が必ずしも正義であるわけにはいかない。

 どこからどう見ても犯罪を覆すことができないと分かれば、作戦を変えることも必要だ。

 そこで弁護士は、被告に必ずいうことがある。

「それは、分かっている事実は、どんなことであっても、私に告白してください。あなたのすべてを知っておかないと、弁護のしようがありませんからね」

 というのだ。

 だから、最初に弁護士と容疑者は、入念な打ち合わせをする。容疑者も本当は普段はおとなしく、今回何かの犯罪に手を染めたとしても、それは、情状酌量の余地があることであれば、、弁護士は必死に執行猶予を取りに行く。そのために、こちらに有利なことも不利なことも、両方知る必要がある。

 有利なことであれば、そこを中心に話題を持っていき、ひょっとすれば、検察側の意識を変えさせることもできるかも知れない。しかし、不利なことも知っておかないと、せっかく有利なことを必死になって訴えたとしても、不利なことを検察が突っ込んでくればどうしようもない。

 つまり、ここで、当事者の中で知らないのは、弁護士だけだったということになると、弁護士は、一気に形勢逆転させられてしまう。

 しかも、裁判官に対しても、ここでの仲間割れは、被告と弁護人の意思疎通がうまく行ってないということを意味しているのであって、検察の怒涛の攻めに耐えられないだろう。

 と感じてしまうと、それこそ、状況はかなり不利である。

 ウソをつかれてしまうと、弁護士も、途方に暮れてしまう。

「まさか、裁判になって、ウソが発覚するなんて」

 と思うと、一気に被告のことが信じられなくなってしまう。

 裁判においては、被告は弁護士の言う通りに動くものだと思っている弁護士は多く、しかもそれが、裁判中に起こってしまうと、もう、どうしようもないと言ってもいいだろう。

 弁護士の方も、

「ウソをついているのは、これだけだろうな?」

 と、それ以外がないかが不安になる、本当であれば、自分がこの場を仕切るくらいの演説をぶちまけるだけの自信があったが、依頼人に不信感を抱いてしまうと、弁護士も人の子。ここまでと、ここから先、まったく違った展開に、先が読めないということになってしまうのだった。

 検察官は、この時とばかりに、必死になって、弁護士をやり込めようとする。しかも、よく法廷で対決するような相手であれば、お互いに手の内が分かっているだろうから、弱みを見せると、後は一気呵成ということになりかねない。

 それを思うと、怖くなり、被告を疑うのは、当然のことで、それ以上に自分自身を信じられなくなってしまうのだった。

 裁判官もそれを見て、

「何かおかしい」

 と感じるのだろう。

 弁護士はある意味孤独である。検事や裁判官は、

「真実を見つける」

 という正当性がある。

 しかし、弁護士にとって、真実は二の次であり、あくまでも。目的は、

「依頼人を守る」

 ということである。

 つまり、他の二人には探求心という攻撃性はあるが、弁護士は、依頼人を守るためだけに攻撃ができる、ほぼ、守りに徹していると言ってもいい。だから、弁護士は、依頼人を守ったことでしか、満足することはできない。だが、それが本当の満足なのかというと、理不尽なことも多いので、難しいところであったりするだろう。

 しかも、依頼人にもし、ウソをつかれてしまうと、弁護士というのは弱いものだ。全力で守ろうとしている相手から、裏切られたも同然だからだ。

「まわりを全員敵に回しても、依頼人を守るのが仕事だ」

 と思っているのだから、これほど孤独なものはない。

 そこが、弁護士の苦悩なのではないかと思うのだ。

 裁判になっても、孤独な弁護士は、本当に孤独でしかない。いわゆる、

「四面楚歌」

 なのだ。

 弁護士も、依頼忍に対して、自分が理不尽なことをしていると、感じさせられることがある。

 それは、依頼人の所業が、明らかな悪党だと誰もが認める時である。無抵抗の相手を惨殺したり、自分の欲求のためだけに蹂躙したりと、弁護士も人間なのだから、心情として、

「こんなやつは、八つ裂きにしてやりたい」

 というくらいに感じることもあるだろう。

 しかも、そんなやつに限って、ウソを平気でつくのだ。

 いや、ウソをつくから、こんなおかしな犯罪を犯すに違いない。

 しかし、それにしても、自分を守ってくれる相手にまでウソをつくというのは、どういうことなのだろう?

 そうか、こいつは、最初から誰も信じてはいないんだ。だから、人道的に許せないと誰もが思うことであっても、関係ない。この男にとっては、

「自分さえよければそれでいいんだ」

 と思うことだろう……。

 弁護士の気持ちを代弁すると、そんなところだろうか?

 そんな何を考えているか分からない、

「魑魅魍魎」

 のような連中ばかりを相手していると、自分の正義などという感覚はマヒしてくるに違いない。

 普通は、弁護士になろうと思う人は、ほぼ皆、

「法律を使って、正義をまっとうするんだ」

 という気持ちで、弁護士を目指し、難しい司法試験に合格してから、弁護士になるために、さらに勉強を重ねていくというものだ。

 なってしまえば、まさか、こんな自分が待っていようなどと、誰が思うことだろう。

 それを思うと、

「もう、ここまで汚れてしまった自分を元に戻すわけにはいかない。毒を食らわば皿までという言葉もあるが、まさに、それなって感じなのではないだろうか?」

 さらに、

「俺の気持ちなんて誰も分からないさ。俺は一生孤独なんだ」

 と、思うことで、孤独な自分を、強さの象徴のように感じることで、自分が鬼になれると思っている弁護士もいるだろう。

 ただ、それも自分が思っているだけ、まわりは、自分を認めてはくれない。

 しかし、それは、同じ弁護士同士であっても、同じこと、余計に他の弁護士に対しては、自分と立場は同じなので、同情という気持ちも芽生えてきそうなのだが、そんな気持ちを通り過ぎて、相手の気持ちが分かるだけに、余計に、

「許せない」

 という気持ちになるのだ。

 だから、本当に孤独なのだ。まわりが見れば、

「その孤独は自分が作っている幻なのではないか?」

 と思うかも知れないが、

「これこそが、本当の孤独なんだ」

 と感じることで、他の人たちとの違いを感じさせるのだった。


  

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