シーン61 ハッピーエンド

 三人称視点はすべてを見ている。


 公人が高嶺と唇を重ねていたのは、ほんの数秒間だった。


 舌でも入れてくれたら見ものだったのだが、脱皮したてのダンゴムシではそこまでの勇気は出なかったようだ。


 唇と唇を触れ合わせるだけの、儀式的なキス。


 及第点といったところか。


 公人はそろりと唇を離し、目を開けた。


 高嶺千尋が赤面していた。


 目が合って、示し合わせたように、互いに視線を逸らした。


「ごめんなさい」


「何が? 謝るのはむしろ、僕のほうだ。……初めてだったら、ほんとごめん」


「……初めてよ。でも、それは、いいの。嬉しかった。私が謝りたいのは、私の愚かな行動のこと」


「もう、そんなに自己卑下することないんじゃない?」


「私、本当は、わかっていたの。この『物語』は、どれだけ他の人からは稚拙に見えても、それでも、今この時が最高に輝いてるんだって。知ってたの。でも、怖かったの」


「怖かった?」


「マクガフィンを読んだ時、私は、十分面白いと思ったの。でも、もしもこの作品が誰かに読まれて、それで、面白くないなんて思われたら、みんなが紡いできたこの作品が、否定されてしまったらって思ったら、怖くなったの。だから、だから私は、この『物語』を最初から、」


「終わりよければすべてよしだ。気にしてないさ。それに、何度も言うけれど、僕らは作者なんかじゃない。ただの登場人物だ。作品の面白さや評判なんて、全部、作者のせいにしてしまえばいい。僕らは、全力を出し切ったよ。この『物語』が面白いかどうかなんて判断は、これを読んでくれてる読者に委ねよう」


「……うん」


「それに、我ながら結構面白くできたとは思う! 自意識過剰? うるせぇ! 僕が書いた文章がこの世で一番面白いんだよ!」


「それは、言い過ぎ」


 そうして、二人は笑いあった。


 三人称視点はすべてを知っている。


 公人が、さてこの後どうしたもんかと、こちらも赤面しながら途方に暮れているのも知っている。


 高嶺が、今度は自分からキスしてもよいものか思案しているのも知っている。


 だが、甘酸っぱい光景は、このくらいにしておこうじゃないか。


 フィナーレといこう。



「手塚くん!」



 と、ドアをバァンと開ける音と、あの聞き馴染みのある胴間声が部室に響き渡って、公人と高嶺はほとんど同時に「うわぁ!」「ひゃい!」と悲鳴を上げた。


「おめでとう! 心からの賛辞を君に送ろう! 君と高嶺くんはこれで関係性を一歩前進させ、そして、『物語』は無事に完成へと導かれることとなった!」


「まっ、真城目お前っ! 覗いてたんじゃないだろうな!」


「安心してくれたまえ! そんな無粋な真似はせん! ただ、なんとなく、いい感じの雰囲気が一段落した気がしたので突入してきたまでである!」


「お前っ! もうちょっと、ムードってもんをなぁ!」


 やかましい超能力者の隣には、疲れ切った顔を浮かべる魔法少女の姿があった。


「……ほんとに、できた。ループ、してない。終わったぁ。やった。やったぁ……!」


 へなへなと全身の力が抜けてしまった彼女は、壁によりかかりながら、静かに、歓喜の涙を流していた。


 奥から、ゴトゴトと無理のある歩行をしながらブラウン管載せた冷蔵庫の付喪神が歩いてきた。


『チヒロ』


「あっ、えっ、いろはも? えと、えと……私……」


『オメデト』


「……うん。ありがと」


『キョシキ イツ?』


「ま、まだ早いわっ! 私たち、高校生なのよっ!」


『ジョウダン』


 部室に満ちていたドギマギ青春ラブストーリーの残滓は、登場してきた個性豊かな面々が発する独特な雰囲気によって洗い流され、代わりに、ドタバタコメディのハッピーエンドの空気が漂った。


「あー、もう! とりあえずお前ら! 外出てけっ!」


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