第八章 第三幕

シーン54 僕がライトノベルの主人公

「どうも」


 僕は椅子を引いて、高嶺さんの正面に座る。


 いきなり本題を切り出すのも無粋かと思って、僕はとりあえず、軽い雑談でもしてみようかという気になった。


「今日も暑いね。このところ、ずっと暑い。いつから日本は熱帯雨林気候になったんだ」


「そうね。でも、私、夏は好きよ。海が綺麗に見えるから」


「なんで、君はそんなに海産物が好きなんだ」


 ちらと窓の外に目をやると、いろはが撃ち漏らしでもしたのか、巨大なマンタがゆらゆらと空を飛んでいた。


「そう言われると……難しいわ。最近好きになったような気もするし、物心ついた時から好きだったような気もするの」


 果たしてその設定は、『物語』をループしていくうちに獲得した嗜好なのか、それとも今回のバージョンで新しく生えてきたものなのかという疑問に思いを馳せる。後で真城目や馬場園に聞いてみてもいいかもしれない。


「来週の日曜日、よかったら、水族館へ行かないか。勿論、僕だけじゃない。ナラティ部のみんなでだ」


「それは、」


 と、珍しく高嶺さんが返答に詰まった。


 ダンゴムシにも、今が好機だということはわかる。


 続けて言葉を紡いだ。


「真城目は二つ返事で了承するだろうし、馬場園は嫌だと言うだろうが無理やり引っ張って連れてこう。いろはの運搬も、僕が引き受ける」


「それは、とても魅力的な提案ね。考えただけで、わくわくするわ」


「なら、決まりだね。行こうよ」


「でも、それは無理なのよ。だって、」


「この『物語』が、ループを迎えてしまうから?」


 高嶺さんは、そこで静かにこくりと頷いた。


「別に、無理に書き直そうとしなくてもいいじゃないか。確かに、この作品は、傑作と呼ぶには大言壮語が過ぎる三流ライトノベルだ。でも、ここまで書いてきたんだから、このまま、最後まで走りきろうよ」


「それは、この作品を、完成させてしまうということ?」


「高嶺さんなら、やろうと思えば、できるんだろう? ループを止めることがさ」


「そうね、きっと、できるわ」


 流石は作者に寵愛され、神に等しい力をもたらされた『メインヒロイン』だ。


 ……いや、もうこんな言い方はよそう。皮肉にしかならない。


 記述は、もっと正しく行うべきだ。


 高嶺さんは、ちょっと完璧なだけの、ただの少女だ。


 作者のわがままによって、『メインヒロイン』という看板を背負わされた挙げ句、過剰なまでの力を与えられた、ただの女の子だ。


 いい加減、僕はそれを認めよう。


 凡人なのに凡人のまま『主人公』という役割を押し付けられた僕と、完璧だから『メインヒロイン』という役割と世界改変能力を押し付けられた高嶺さん。


 その本質は、実は、まったく変わらないのだ。


「高嶺さん。君は本当に、この『物語』のリライトを望んでいるのか?」


「望んでいるわ。だって、この『物語』は、まだ、もっと、面白くできるもの」


「それは君が考えることじゃないだろ。僕らは、プロの作家なんかじゃない。作者ですらない。ただの、登場人物に過ぎないんだ。君がその判断を下す必要はない」


「でも、だって、私は、『メインヒロイン』だもの。プロットで、そう決められているんだもの。世界を、変える力を持っているんだもの」


「それは作者が無理やり押し付けたものだ。そんなの知るかの精神で、熨斗付けて送り返してやればいい」


「でも……でも……」


 高嶺さんの表情が、叱られた子供のように歪んでいく。


 その涙をこらえる姿はまさしく天使のようで、気を抜くと彼女の所業をすべて受け入れそうになってしまう。


 それでも、僕は、鋼の意志で説得を続ける。


 『メインヒロイン』の高嶺さんの役割が、この第三幕においてクライマックスを引き起こす舞台装置なんだとしたら、『主人公』の僕の役割は、それを乗り越え、『物語』を完結させることなんだ。


「でもっ、私、私はっ!」


 もう少しで説得できそうだと思ったのがまずかったらしい。


 展開というやつは、やはり、ここで余計なひと手間を加えるようだ。


 高嶺さんが、身を翻して、脱兎のごとく駆け出した。


「高嶺さんッ!」


 彼女は部室の扉ではなく窓に向かって走る。そして、さも当然のように壁抜けをして、そのまま外へと出た。


 彼女は宙をふわりと浮いて、静かに駐車場に着地し、駆けていく。


「さすがはクライマックス。なんでもありだな」


 なんて皮肉を垂れながら、僕はどうしたもんかと必死に考えを巡らせる。


 このままでは、無意味に記述が引き伸ばされて、字数オーバーというタイムリミットを迎えてしまう。


 素直にドアから外へ出て、彼女を追いかける?


 うん。普通なら、そうだ。凡人の僕にできる精一杯は、それくらい。


「でも、それじゃ、駄目なんだろ」


 僕は作者に向かって啖呵を切る。


 わかってるさ、お前がそんなありきたりな展開を望んでいないってことくらい。


 ここは、僕が『主人公』として、殻を破る時だってことくらい。


「ああ、もう! どうにでもなれッ!」


 覚悟を決めた。


 僕は歯をきつく食いしばり、腕を十字にクロス、脚に力を込め、窓に向かって、駆ける。


 がしゃん。


 ガラス戸を破るのは初めての経験だった。当然だ。僕は幼少期の頃から引っ込み思案でヤンチャなこととは無縁の人生を歩んできたのだから。


 チンケな体当たりだったが、それでも窓ガラスは粉砕され、僕は宙に身を投げることになる。


 足が無意識にバタつく。全身に浮遊感、一足遅れて重力を感じる。


 部室があるのは2階。即死に値する高さではないとはいえ、僕の貧弱な肉体では、着地の瞬間に両足複雑骨折してもおかしくはない。


 だから、まだだ。


 一人称を、振り絞れ。


「うおおおおおおおおッ!」


 僕は眼下に目を向ける。そこには、お誂え向きの植え込みがあって、緑のクッションでもって、落下してきた僕を受け止める。


 いや、受け止めた。バキバキという、小枝が折れる音。それは、着地の衝撃を木立が代わりに受け止めてくれたという証明だ。


 結果、僕は無傷で着地を果たす。


 一線超えた衝撃で心臓バクバクのまま、全身チェック。切り傷ナシ。足の痛みナシ。頭と全身に葉っぱの類がついただけ。それも、走ればそのうち落ちる。


 僕は、視線を移して高嶺さんの姿を探す。


 いた。前方約100m先。


 彼女は身体を半分斜めにしてこちらを向いていたが、僕が再び足を踏み出すのを見た途端、身を翻して、校舎の向こうへ隠れるように走っていった。


 逃さない。


「高嶺さんッ!」


 僕は彼女に向かって走り出す。


 乾いた地面を蹴るたびに、視界に映る景色がぐんぐん変わる。


 顔が、振るった腕が、踏み込む足が、整合性を無視して風を切る。


 僕の足は、今やスプリンターも真っ青な速度を出せる。


 いや、出す。


 違う、出した。


 出したんだ!


 視界の奥に捉えていた高嶺さんの影が、みるみるうちに大きくなっていく。もはや表情も確認できる。


 彼女は驚いていて、泣きそうで、助けなくてはと思った。


「止まってくれ!」


 ついに声が届く距離まで迫った。


「来ないで!」


 彼女も、僕に追いつかれまいと速度を上げる。


「嫌だね! 僕はもう決めたんだ! 必ず、今回でこの『物語』を完成させるって!」


「どうして! どうしてなの⁉ 手塚くんだって、この『物語』が十分な出来じゃないってわかってるでしょう!」


「知ってるさ! 記述してきたのは他ならぬ僕だからな! でも、だからって、またイチから書き直すなんて御免だね!」


「その記憶も、消してあげるから! 手塚くんに、迷惑なんてかけないから! だから、書き直させてよ!」


 そこで、高嶺さんは陸路をやめた。


 どういうことかというと、突然、羽でも生えたかのように宙に浮き、そのまま見えない階段を昇っていくかのように、空へ向かって駆け出したのだ。


 肩で息をしながら、僕は天翔ける高嶺さんを見る。

 諦めたように、眺めはしない。手を掴む存在として、じっと見据えるんだ。


 流石に無理か、なんて思考は捨てろ! 自分はなんでもできると思い込め!


 僕が、『主人公』として、一人称視点を託された理由は、きっと、そこにある。


 一人称視点による記述は、真実でなくても構わない。


 だから、好き勝手に書いたっていい。嘘だっていい。虚言でもいい。


 読者に届きさえすれば、その記述は、後で真実になりうるのだ。


 いわば、わがままだ。身勝手だ。読者を置いてけぼりにする行為だ。


 だが、そんなの、知ったことかよ。


 『物語』もクライマックスなんだ。ここでメチャクチャやらなくて、どこでやるんだ。


 整合性が取れていない、説得力がないなんて批判は、完成してからいくらでも受け止めてやる。


 だから、今は、無茶をさせろ!


 僕は、脳内で飛翔に関する類語を、片っ端からかき集める。


 自分が、空を飛べるだけの記述を生み出すため、シナプスをパッチワークで縫いつなぐ。


 僕の背中には、蝋の翼が生える。指を鳴らすと、重力制御魔法が僕の全身を包む。スニーカーの踵を三度叩くと、仕込まれていたロケットブースターが作動する。


 オカルトでも、魔法の力でも、オーバーテクノロジーでも、なんでもいい。


「とにかく、僕を、高嶺さんのところまで運びやがれ!」


 ヤケクソで記述した文章が、どうやら読者の元へと届いたらしい。


 僕の身体は、記述の通りに変化した。


 つまり、蝋の翼がはためき、重力制御魔法が紫色の力場を展開し、スニーカーからはブォンと火が噴いた。


 我ながら、統一感のない非日常要素のキメラだ。


 だが、今は、これでよかった。


 僕は、身に宿ったカオスな力を駆使して、高嶺さんへと接近する。


「どうしてっ……どうして、そうまでして、私を、止めるの?」


 高嶺さんはわかりきった質問を発した。



「そんなの、決まってる。僕が、このライトノベルの『主人公』だからだ」



 僕は、高嶺さんに向かって手を伸ばす。



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