シーン53 最後のひと押し

 太陽が、今日もじりじりと熱かった。


 いつになったら夏は終わりを迎えるのだろうと思いながら、あるいはいつになっても終わらないかもしれないとも思った。


 僕は中庭のベンチで、プラタナスの影に入ってぼんやりと景色を眺めていた。


 隣には、『親友役』の新谷がいた。


「なぁ、今日って何月何日だっけ」


 僕がそう尋ねると、新谷は首を傾げた。


「さぁ、具体的な日付は覚えてないなぁ。九月の中旬だってことは、なんとなく、わかるんだけども」


「先週も同じこと言ってた気がするな」


「先週どころか、先月じゃない?」


「先月どころか、半年前のような気もしてきた」


 セカンド・ターニングポイントという展開上のビッグバンが起きてからというもの、世界は高嶺さんの思考によって大きく歪められていた。


 時間は引き伸ばされ、景色はぼやけ、至る所に魑魅魍魎が跋扈していた。


 この世界は、どうやら、このままだと起伏のない記述が続いて緩慢な終末を迎えるか、あるいは、バケモノどもによって埋め尽くされてしまうらしい。


 どっちのルートに転んだとしても、『物語』としてはおしまいだ。


 高嶺さんの願望通り、この作品はまたイチから書き直されることになるのだろう。


「ぼちぼち、この『物語』も終わりらしいぞ。やり残したことはないか?」


「結局、公人と本屋デートできなかったことが心残りかなぁ」


「あれは悪かったって言ってるだろ。なんせ、その日、僕は一回殺されたんだ」


「悪いと思ってるなら、約束を果たしてくれよ。もちろん、こんなヘンテコな世界じゃなくて、ある程度、整合性の取れた世界でね」


「それは僕に、この『物語』をなんとかしろと言ってるのか」


「そうだよ」


「高嶺さんとキスをすれば、もしかしたら、なんとかなるかもしれんとは言われたな。必要十分条件ではないが、必要条件ではあるらしい」


「へぇ。すればいいじゃん」


「好きでもない相手とそういう行為をするのは、僕の主義に反する」


「この、こじらせボーイめ」


「うるさい」


「世界を前に進められるんだよ? キスの一つや二つ、安いものじゃないか」


「安いキスなんて、あってたまるか」


「めんどくさっ!」


「うるせぇ」


「一体君が誰に操を立ててるかは知らないけど、」


 そう前置きして、新谷は言った。


「君は『主人公』という役割を背負っているんだ。だったら、そんな小さなこだわりは捨てて、ぶちゅーと、やっちゃえばいいんだよ」


「そういうもんなのか」


「そういうもんなのさ」


 新谷がニカッと笑う。


「大丈夫さ。君はちゃんと魅力のある人間だ。『親友役』の僕が保証するんだ。間違いない」


「別に、僕は、自分に自信がないからキスを拒んでいたワケじゃない」


「はいはい。そういうことにしておいてあげるよ」


「じゃあ、そろそろ、行ってくる」


「うん。頑張って、世界を救ってきておくれ」


「ああ」


 そう言い残して僕はベンチから立ち上がる。


 振り返ることもなく、旧校舎へと足を向ける。


 まったく。


 なんで、お前に背中を押されなきゃならんのだ。





 飛び交うランタンに頭をぶつけないよう注意しながら、ガラスの筒みたいな廊下を歩き、現校舎と旧校舎をつなぐワープポイントで数秒立ち尽くし転送、門番のオウムガイに合言葉を伝えて昇降口を開けてもらい、常に段数が変化する階段を昇って、ようやく僕はナラティ部の部室にたどり着く。


 相変わらず建付けの悪い木製のドアをぎぃと開けて部室に入ると、長テーブルの前で、高嶺さんがパイプ椅子に腰掛けてマクガフィンを読んでいた。


「こんにちは、手塚くん」


 彼女は実に『メインヒロイン』らしい素敵な笑顔を僕に向ける。


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