シーン23 メタとの遭遇
「ただいま」
自宅に着くなり早々、公人はまっすぐ風呂場へと向かい、今日の激動を乗り切った汗まみれの身体をシャワーで洗い流した。
脳が熱い。
冷水を絶えず頭に浴びせ続けても、そのほてりは収まることはなかった。
どうやら情報量の多さにシナプスは焼ききれてしまっているらしい。こうなればやはり、寝てしまうしかない。
風呂場から出た公人は半袖短パンの部屋着に着替え、自室に入り、電気もつけず暗いまま、ベッドに倒れた。
あの目つきの悪い男から受け取った本を読もうなんて気持ちは、微塵も湧いてこなかった。
身を横たえ、瞼を閉じる。肉体も精神も休息を求めていた。
しかし、
「……寝れん。ちくしょう」
脳内では今日の非日常的な出来事が脈絡なく延々と再生され続け、眠るどころか目が冴えるばかりであった。
公人はしばらく天井を眺めていたが、やがてのそりと起き上がり、部屋の電気をつけた。
部屋の片隅の、通学用のリュックの横に目を向ける。
「……読むしか、ないのか」
公人は仕方なく、そのビニール袋を手に取り、がさがさと中を開けた。
中に入っていたのは、予想通り文庫本であった。
カバーは外され、表紙にはタイトルしか書かれていない。
「よりにもよって、ラノベかよ」
表紙に書かれていたタイトルを目にして、思わず公人の顔が険しくなる。
あからさまなご都合主義を嫌悪する公人にあっては、まとめて避けているジャンルであった。
表紙の装丁に小さく記されていたのは、次のようなタイトルである。
『僕はライトノベルの主人公』
お察しの通り、読者諸君が今現在読んでいる、この本だ。
公人は勉強机の前に座って本を開く。
数ページほど読んで、手が止まった。
「は?」
それもそのはず。そこに描写されていたのは、他ならぬ自分の、今日の行動なのである。
最初の数ページは、高嶺との邂逅が記されていた。発したセリフはおろか、自分がその時に抱いていた思考まで、克明に記述されている。
「ッ!」
公人は思わず本を閉じて、机に放り投げた。
そして、部屋中を見渡す。
「おい! モヤシ野郎! お前の仕業か!」
天井の隅に向けられた怒号は、しかし、虚しく響くだけである。
「人のプライバシーを何だと思ってやがる! 外面だけならまだしも、内面まで見やがって! さてはお前、テレパシーとか千里眼の持ち主なんだろ! この変態垣間見ピーピングトムが! 覗くならアリの巣とかにしやがれ!」
どうやら公人は、この本の記述が、これを渡したあの目つきの悪い男によるものであると思っているらしい。
残念ながら、それは違う。
『僕はライトノベルの主人公』を書いているのは、他ならぬこの三人称視点なのであって、彼はただ、普通であれば知り得ぬ三人称視点の記述を、物質としてこの世界に出現させただけだ。変態の汚名は濡れ衣である。
とはいっても、公人がこの記述にたどり着くには、結構ページを手繰らなければならないから、彼が真実に気づくのはもう少し先の段落になるだろう。
それまでは公人の行動を見ていようじゃないか。
「人の行動を覗き見してそれを本にして自費出版するなんて、悪趣味通り越して気持ちが悪い。なに考えてんだあの変態は」
言いながらも、公人は放り投げた本から目を離すことができなかった。
自分の言動が第三者視点から描写されているなど悶絶もので、決して、中身を見たくはないのであるが、自分の心情が果たしてどこまで描写されているのか、それについては一度目を通さなくてはならないように思える。
「……仕方ない、これは、仕方のないことなんだ」
公人は意を決して再び本を手に取り、心霊映像を見るような気分で、薄目を開けながらページをめくった。
高嶺との出会いから始まり、キテレツな登場人物たちとの出会い、巨大怪獣エビゴン様の出現、公人の出撃、そして退治に至るまで、余すところなく書き記されている。
「うぐぅ」
と、苦しそうな声が漏れるのは、だいたい公人が軽口か長尺のセリフを発しているシーンである。
その瞬間においては「うまいこと言えた感」によって一種の快楽を得ることができていたが、いざこうして振り返ってみると、なかなか、キツい。
「なんでコイツ、高嶺さんに対してこんなスカした態度なんだよ。本当は内心ずっとドギマギしてたくせによぉ。ムカつくなぁ」
彼は過去の自分自身に対して非難を浴びせかけながらページをめくる。
そして、第三章まで読み進めたところで手が止まった。
「……ん?」
妙だと気づいたのは、あの目つきの悪い男が登場したところからだった。
そもそも記されていたのは、すべて今日の出来事である。
それだけでも、この短時間ですべて書ききるのはよほどの速筆家でなければ難しいのであるが、彼が登場してから、いや、もっと言えば、彼が公人にこの本を手渡した後の描写まで既に記されているのはどういうことだ?
この本の作者はあの不審者ではないのか?
それとも、未来視でもできて、すべてを見通した上でこの記述を行ったのか?
数多の疑問が公人の中で芽生える。
そして、
「この本の作者はあの変質者じゃない? 三人称視点、だと?」
そして彼は、数段落前の記述にたどり着き、真実を得た。
そう、あの男はこの本の作者ではない。
『僕はライトノベルの主人公』をここまで書いてきたのは、他ならぬ、この三人称視点である。
公人の手が、完全に止まる。
さらなる真実を知るのが恐ろしいのだろうか。
しかし、ここで止まってもらっては、『物語』が先に進まない。
君が自ら動こうとしないなら、三人称視点はこのような記述をせざるを得なくなる。
公人はついに、ページをめくった。
そのページは、後半から白紙であった。
白紙のページに、次のような文章が浮かび上がる。
そう、この作品は今まさに、公人、君の時間に合わせて、リアルタイムで記述されているのだ。
さて、公人。
ついに見えることができたのは行幸だ。
君も真実を知ったところであるし、ここは一度、スペース空けてシーンを切り替えるほうが見栄え的にいいかと思うのだが、君の意見を聞かせてもらえないだろうか?
「…………」
公人はただ唖然とするばかりで、返事を貰うことはできなかった。
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