シーン19 無自覚な前進
「……君が、考えたのか? 現在進行系で暴れ散らかしてる、あのエビゴン様を?」
「そうよ」
「もしかすると僕の家をブチ壊すかもしれない、あのエビゴン様を?」
「中学二年生の頃だったかしら。市がイメージキャラクターの募集をしていたから、そこに応募するために考えたのよ。自信作だったのに、不採用だったわ」
「それをもっと早く言え!」
公人の頭の中で、再び混乱が渦を巻く。
なんとか正常性バイアスでもって補強していた自己認識が、ミシミシと嫌な音を立てている。
エビゴン様は高嶺が創作した架空のキャラクター。しかし、実際に現れ、暴れている。
何故?
巨大怪獣。付喪神。魔法少女。超能力者。
非現実的な存在と展開のオンパレードだ。
まさか本当に、この世界は『物語』の――、
「いや、そんなことよりだ!」
脳内に浮かんだ受け入れ難き事実を振り払うかのように、公人は叫んだ。
「もう、いいや! エビゴン様は君の無念を振り払うため、お話の世界からやってきたってことにしよう! もうそれでいいや前提は! 今はあのエビゴン様をどうやって退治するのか、そこにだけ焦点を合わせよう! そうしよう!」
「急に元気になったわね、手塚くん」
「空元気さァ! 家を守るためには仕方ないね!」
公人は焦った頭で考える。なにかないかと脳を探る。
――その時、閃光のごとく一つのアイディアが浮かんだ。
「ッ! そうだ!」
公人は高嶺を見た。
「高嶺さん。君はあのエビゴン様をデザインした時に、何か弱点みたいなものを設定しなかったのか? もしも弱点があるなら、エビゴン様を倒すきっかけになるかもしれない」
「今、脳内でエビゴン様の設定資料集を開くわ。少し待ってちょうだい」
高嶺が眉間にシワを寄せて目を閉じ、自分のこめかみをトントンと叩く。
「あったわ。17ページ目」
随分書いたなとツッコむ時間すら、今は惜しい。
「そうよ。思い出したわ。エビゴン様はイセエビをモチーフにして作ったのよ。その時に確か、イセエビにまつわる童話を参考にしたはず」
「イセエビの童話?」
「聞いたことない? イセエビの腰は何故曲がっているかっていうお話」
「あれか。自分が世界で一番大きいと思ってる蛇が、お伊勢参りの道中で逆マトリョーシカ的な出会いを重ねていく話か」
詳しくは「イセエビ 腰 童話」で各自調べてくれたまえ。
「そうよ。そして最後はイセエビがお話のオチに使われて腰を強打してしまうのだけれど……私はそのお話を参考にして……そう、エビゴン様は腰痛持ちっていう設定にしたはずよ」
「攻めたなぁ」
「ちょっとくらい欠点があったほうが可愛いじゃない」
それにしても欠点がジジイすぎないかと公人は思った。
「まぁ、いいや! とにかく欠点は腰なんだな! よし! ひどく細いがやっと光明が差し込んだぞ! ないよりマシだ!」
「後はこの情報をみんなに伝えることができれば……」
「よし、高嶺さん。後は頼んだ。緊急事態だが、電話すれば誰かは出てくれるだろ」
「私、誰の連絡先も知らないわ」
「え」
「手塚くんこそ、真城目くんの連絡先、知らないの? クラスメイトでしょう?」
「ぼっちにそんなツテあるはずないだろ」
「そう……」
「……」
「……」
しばし、だんまり。
「仕方ないわね」
沈黙が漂う中、口火を切ったのは高嶺だった。彼女はポケットから髪留めを取り出し、後ろ手で髪を結った。
「私が直接、現場に行くわ。元を正せば、今回は私の失態だもの。出撃してもらう前に、この情報は伝えておくべきだったわ」
「危ないぞ。無理はよくない」
「でも、誰かがこの情報を伝えなくてはならない気がするの」
「間に合うとも、限らない」
「持久走のタイムには自信があるわ」
しかも走って行くらしい。
高嶺はぱちんと両手で頬を打ち、自分自身に喝を入れた。
腕まくりして、準備は万端。その白く引き締まった健脚が、今まさに実力を発揮しようとしている。
「じゃあ、行ってくるわ。手塚くんは、そろそろ避難したほうがいいわよ。後で先生に怒られるわ」
さぁ。
「……あー、」
さぁさぁ。
「あーあーあー!」
ここが分水嶺だ。
公人。
君がいくら否定しようとも、君がこの物語の『主人公』であるという事実は覆らない。
お膳立てはしておいた。後は君が、君自身の意思でもって、一歩を踏み出すだけだ。
さぁ、公人。
どんな微細な力だっていい。物語を動かしてやれ。
特別な力なんてなくていい。君は平凡なままで。
なるんだ、『主人公』に。
「っっっっ! あー、もう!」
公人の咆哮が教室に響き、高嶺をこちらに振り向かせる。
公人はやっぱり、渋面浮かべ、それでもきっぱり、言い放つ。
「僕も、行くよ」
高嶺の足が止まった。
「無理しないで。危ないわよ」
「無理してない」
「本音は?」
「めちゃくちゃ嫌。怖いし怠いし行きたくない。『主人公』っぽいこともしたくない」
「とても素直ね」
「でも、このまま君を一人で行かせてしまったら、たぶん、僕はもっと嫌な気分になる。だから行くんだ」
「手塚くん……」
「言っとくけど、もう止めても無駄だからな。知っての通り、僕は頑固なんだから」
手塚のその言葉に、高嶺はふっと笑みをこぼした。
「ありがとう」
その笑みを直視すると危うく惚れてしまいかねないので、公人は目を反らしながら、
「さぁ、そうと決まれば、てきぱき行こう! 裏門の駐輪場に僕の自転車がある。道路交通法と校則を破る覚悟があるなら、二人乗りしてもいいけど」
「では、お言葉に甘えさせていただくわ」
「いや別に、走って行くなら止めないけどね! 緊急事態だし、適当なチャリ借りてツーリングするのもアリだよ!」
自分で提案しておいて、羞恥心から、それを自ら否定するような選択肢を後出しするのはダンゴムシの常套手段である。
「それはできない相談ね」
高嶺は、恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「実は私、自転車……乗れないの」
そのはにかんだ赤面は、並の男子高校生であれば一目で恋をしてしまうであろうというほどに、破壊力に満ちていた。
なるほど、確かに。
どんな完璧超人であろうとも、ちょっとくらい欠点があったほうが可愛いのかもしれない。
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