シーン17 劇的なビフォーとアフター

 馬場園は見るからに興奮していた。


「えっと、えっと、自分の力で相手が何もできないって状況に興奮するっていうか。と、と、特に、全体重をかけて押し倒すのが好きなんですっ! わたしの身体が檻となって、オスを屈服させるなんて……想像しただけで至上の快感ですっ!」


「待て」


「屈強な男性を屈服させるのも、もちろん、好きなんですけど、やっぱり、相手は、ちょっと小柄で、線が細いほうがいいですねっ。それで言うと、先輩は、童顔だし身体は華奢だしで、わたしの好みドストライクなんですっ! お昼のときも、ちらちら良くない目で見てましたっ! すいませんっ!」


「落ち着け」


「で、でも、実際手を出したことはないんですよっ! 未遂ですっ! 無実ですっ! 想像するだけなら違法じゃないはずですっ! あ、でもでもっ、妄想だけなら、もう、数えきれないくらい――」


「ストップだ!」


「え、あ、はいぃ……」


 そこでようやく、サーロインのように油の乗った馬場園の舌は停止した。

 息を吸う間も惜しんでまくしたてていたため、彼女の息は上がって、身体は汗まみれ。

 なんだか全体的にじっとりしている。


「……」

「……す、すいませんでしたぁ……」


 無言で視線を交わす二人。しかし公人の目は、今や完全に、捕食者から逃げ延びんとする草食動物のそれに変わっていた。


 馬場園の顔が、みるみるうちに赤くなっていく。


「あ、あぁ……やっちゃった。言っちゃった。ドン引きされちゃったぁ。ここまで晒すつもりはなかったのにぃ……なんでわたし、いつもこうなんだろう……ああ、やだ、やだ。できることなら、時間を戻してしまいたいっ!」


 その時、馬場園の腰に吊り下げられていた革張りの手帳が、妖しい光を放ち始めた。


「う、うぅ……ブラックメモリーチャージ!」


 その時である。


 まばゆい光が馬場園の身体から放たれ、公人の目が眩んだ。

 黒歴史が紡がれたばかりだというのに、光り輝くとはこれいかに。


 キュルキュルとポップで愉快な音楽まで鳴り始めるが、目を開けることができないので、何が起こっているのかわからない。

 やがて光は収まり音楽は止み、ハツラツとした声が響いた。



「黒のゲートは奇跡の軌跡! 影の魔法少女、ピュアブラック! 時空を超えて、今、参☆上!」



 やっと目を開けることが出来た時、公人の眼の前にいたのは、あの大柄な馬場園の姿ではなく、小柄な少女の姿であった。


 彼女はふぅとため息をついてから、


「口上ノルマはこれでオッケーっと。はー。わたしが出てきたってことは、まーた、未来のわたしが何かやらかしたのね。まったく。この変身ギミック、どうにかならないもんかしら」


 その少女が身につけていたのは、いわゆる魔法少女のコスチュームである。


 黒を基調とした、フリフリドレスの肩出しルック。

 頭には、魔女の定番、先の曲がったとんがり帽子を被っているが、サイズは恐ろしくミニマムであり、果たして被る意味があるのかと問いかけたくなる。

 関東平野と見紛うばかりの平らな胸にはペンタブラックな宝石が。

 腰にはコルセットと、先程光を放っていた本が。

 背中には小悪魔のような小さな羽が装着されていた。


「誰だ、君は」

「わたしは、わたしよ。馬場園あたりよ。ただし、中学二年生の姿だけど。あんたは、誰?」

「僕は……手塚。手塚公人」

「ふーん、手塚、ね。覚えたわ」


 なるほど確かに。

 彼女の髪の毛は短くスポーティに切り揃えられてはいるものの、そのくるんと曲がる癖っ毛には見覚えがあった。顔のそばかすや、鼻の形にも面影がある。


 しかし、それにしたって、あまりに姿がかけ離れてはいやしないか。


 小柄なスレンダー体型から、大柄なパッツパツ体型に変化したのはカンブリア紀並の性徴期が起きたということでギリギリ納得できるが、その性格や表情の明度にはあまりにも差がありすぎる。


 公人がそう思ってしまうほど、目の前の少女は明朗快活で、活気と自信に満ち溢れていた。

 かつての、陰気を垂れ流しながらもごもごと口ごもって喋る馬場園とは似ても似つかない。


 魔法少女に変身するにあたって、過去の自分と身体を換装するというギミックについては理解できたが……、


「たった三年で、馬場園に一体何が起きたんだ」

「失礼ねっ!」

「うぐっ」


 そこそこ強めのローキックが炸裂。


「乙女の過去をあちこち詮索するもんじゃないわよっ! そりゃ、魔法少女なんていう損な役回りやってんだから、色々あったのよ! たぶん!」


「君も知らないのかよ」


「記憶を共有してないんだからしょうがないでしょ。だから、なんでこんな教室で変身したのかも知らないわ。フェチズマー――あー、えっと、敵はどこよ」


「おそらくフェチズマーとやらではないが、敵ならいる」


 公人はスネをさすりながら窓の外を指さした。


「エビゴン様という、ビル並にデカいエビが出現して現在大暴れ中だ」

「はぁ? なんで巨大エビ?」

「それは僕も知らん」

「まぁ、いいわ。とにかく倒せばいいのよね。お安い御用よ」

「助かる。あと、現地にはロボみたいな付喪神と、声のデカい超能力者がいると思うが、彼らは味方だから」

「え。何、どんな状況なの?」

「すまんが僕も知らん」

「……なんか、あんたも大変そうね。辛いこともあるだろうけど、お互い頑張りましょ」

「どうも」


 公人の鼻の奥が、少しばかりつんとした。


「それじゃ、行ってくるわ。あと、ずっと気になってたんだけど……」


 馬場園(小)ことピュアブラックが、ベランダへと足を踏み出しながら、公人の背後を顎で示す。


「そこの綺麗な人、さっきからずっと立ったまま気絶してるから。倒れる前に起こしてあげなさい」


 振り返ると、高嶺が石像のように固まっていた。その瞳は光を失っていて虚ろである。

 会話に入ってこないと思ったら、いつのまに。


「分かった。ご忠告ありがとう、ピュアブラック。健闘を祈る」

「ええ。未来のわたしをよろしく頼むわ。……悪い子ではないから」


 そう言ってピュアブラックは、とん、と飛んだ。黒い翼がばさりと羽ばたき、宙に浮く。


 彼女もまた、エビゴン様の元へと飛んでいった。


 教室に残されたのは、どっと疲労を抱えた『主人公』と、気を失った『メインヒロイン』だけとなった。


 賑やかだった教室が、一気にしんと静まり返る。


「おーい、高嶺さん。起きてくれ」


 公人が耳元で声をかけ続けること、しばし。

 ようやく高嶺がハッと我に帰った。目に光が宿り、きょろきょろと辺りを見渡す。


「おはよう。手塚くん。あの……、あたりちゃんは?」

「魔法少女に変身して、エビゴン様のところへ向かったよ」


 どうやら自分が麻痺してきているらしいと公人は悟った。

 こんなセリフを吐いても、違和感というものを覚えなくなっている。


「そう。それは重畳ね」

「君、立ったまま気絶してたよ」

「彼女の話は、少し、私には刺激が強かったわ」

「大丈夫」


 公人はこくりと頷いて見せた。


「僕も同じだ」


 キンコンカンコンと、チャイムが鳴った。

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