第二章 インサイティング・インシデント

シーン13 非日常のはじまり

 ギイィヤォォオオオオン。


 およそ人間が発したものとは思えない悲鳴めいた金切り声が、聞こえてきた。


 窓ガラスが、びりびりと震える。外だ。


「なんの音だ?」


 と公人が疑問を口にする前に、校舎が、いや地面がズズズと揺れる。


 地震だろうか?


 公人は咄嗟に机を掴んで、なんとか体勢を維持する。縦、いや、斜め振動。地震にしては、今まで感じたことのない動きだ。


 揺れが収まり、何が起きたのか把握しきる前に、謎の音に負けず劣らずの胴間声が響いた。


「諸君! 窓の外を見たまえ!」


 真城目が、教室左方の窓を指さしていた。その顔からは、珍しくいつものニヤケ笑顔が消えている。公人は彼の指差す方を見た。


 窓の外には、エビがいた。


 巣作りにやってきたツバメのように、窓の外のベランダにはぐれエビが入り込んでいた、なんて話では勿論ない。


 校舎からはるか遠方、街を横断する巨大な河川の水面から、巨大なエビが、ぬうっと頭を突き出していたのである。


「はぁ?」


 公人は自分の視力、もしくは頭がおかしくなってしまったのかと思い、目を擦って、再度見る。


 やはり、何度見ても巨大なエビだ。


 赤橙色の甲羅、八の字に広がる大きな触覚、黒くて丸い瞳。間違えようはずもない。


 問題なのは、その大きさだ。


 川べりに広がる干潟は、登下校のたびに目にするから、そのサイズ感は把握しているつもりだ。大体、横幅20から30mといったところ。


 巨大エビは、頭のサイズだけ見ても、その干潟よりはるかに大きい。


 ずずずずずずず。


 巨大なエビは、水と干潟を割りながら徐々にその全貌をあらわにしていく。


 土気色を一部身にまとった、その巨大な甲殻類は、川の水をせき止めてしまうのではないかと思うくらいにデカかった。


 真城目が叫ぶ。


「巨大なアマエビがいるぞ!」

「いやぁ、どっちかって言うとイセエビじゃないですかぁ?」

『シマシマ アルカラ シマエビ ダロ』

「どれでもいいだろそんなのは!」


 その巨大なエビは、こちらを正面に見据えてゆっくりと、脚を地面に乗せて、身を陸に投じようとしていた。


 エビが動く度に、ざぶんざぶんと、水が踊り狂って川がうねり、その大きさと質量を物語る。


 かつて市長が誇らしげに語っていた河川の景観は、突如出現した巨大エビによって、なんだか江戸時代の絵巻物みたいになっていた。


「あの巨大エビ、上陸してきたぞ! 呼吸はできるのだろうか!」

「エビって、エラ呼吸じゃなかったですっけぇ」

『セイメイノ シンピ ダナ』

「お前らもっと別のところに驚けよ!」


 頭のネジが外れた厨二病っていうのは、着眼点の焦点までズレるのかと公人が思ったその時、耳を撫でるような可憐な声がした。


「あれは、エビゴン様よ」


 高嶺だった。

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