シーン5 主人公を射んとする者は先ず胃袋を射よ

(たぶん、悪い人じゃあないんだろう。ただ、本気で頭がおかしいだけだ)


 幾度か高嶺との問答を繰り返すうち、公人が当初予想していたドッキリ説は、彼の確信から遠ざかりつつあった。


 なぜなら、彼女の言動からは悪意の一片すらも感じ取ることができず、自分の醜態をカメラに収めようとする取り巻きの一人たりとも見つけることができなかったからである。


 相手から信用を勝ち取るための慎重な策だと言ってしまえばそれまでであるが、そんな労力をかけてまで陥れるほどの価値が自分にあるかと問われれば、そんなものはないと公人は断ずるだろう。


 ダンゴムシの醜態など、ボディタッチ一つで簡単に得られるものであるし、自分以外にも探せばいくらでもいる。面倒になったら、ターゲットを変えればいいだけの話だ。


 となると、残った可能性はただ一つ。


 高嶺に関するあの噂が、真実であるということだ。


「高嶺千尋は自分を『物語』に生きる登場人物だと思っている。そして、彼女は同好の士を探し求めて校内中を歩き回り、いわゆる奇人変人の類をスカウトして回っている」


 机に突っ伏して昼休みをやり過ごしている間に集まった断片的な情報を整理すると、そのようになる。


 公人には前述のとおり友人と呼べる存在がいないので、噂の真偽を確かめる術はなかったのだが、本人から直接スカウトされつつあることを見るに、どうやらあの噂は本当のことだったようだ。


 つまり、理由は全くもって不明だが、高嶺は本気で公人を『主人公』だと思い、公人と一緒にお昼を食べたいと考えているのだ。


 さりとて、


「……僕は『主人公』なんかになれる素質はない。君になら、もっとふさわしい人がいるだろうよ。だから断る」


 それが公人の了承を得られるということには繋がらない。


 なぜなら、相手が邪心マシマシの悪女から、「この世界が物語である」という妄想を心の底から信じている電波女に変わるだけのことだからである。

 しかも今なら、同じく頭のおかしいお仲間もセットでついてくる。


 どちらにせよ、関われば面倒なことになるという事実は変わらないのだ。

 いやむしろ、理解から遠い分、後者のほうが面倒さ加減は増すと言えるだろう。


 したがって公人は今日も今日とて拒否の姿勢を崩さない。

 「頭おかしい奴に構っていられるか」と本音を漏らさないのは彼のせめてもの優しさだ。


 しかし、断られて尚、高嶺はウフフと微笑み返した。


「今日はね、秘策があるのよ。頑固な手塚くんだって、思わずニッコリOKしてしまうようなものよ」

「はぁ」


 高嶺は、後ろ手で隠していた木目のバスケットを取り出して、中を開けた。


「ご覧じあれ、よ」


 中に入っていたものを見て、公人の喉が思わずゴクンと鳴った。


 手作りと思しきカツサンドである。


 こんがりトーストされたパン。色鮮やかなキャベツ。そして中心には赤身の断面を覗かせる分厚いカツが挟まったカツサンドが、小綺麗な包装紙に包まれて、バスケット中にぎゅうぎゅう詰めにされている。


 肉と油とマスタードの香りが、常に空腹を抱える男子高校生の胃をこれでもかと刺激した。


 既製品ではおよそ出すことのできないうまそうオーラにあてられ、公人はすぐにでも包装紙を引き剥がし、中身にかぶりつきたい衝動に駆られてしまう。


「確かに、これは、とんでもない」

「添え物にフライドポテトもあるわ」


 となると飲み物は絶対コーラだなと提案しかけたところで、公人はハッと我に帰る。


 いかん。このままでは誘いに乗ってしまいかねない。


「……いや! それでも、僕は、遠慮しておく」


 そうとも。

 この頑固とも呼べる一途さこそが、手塚公人が手塚公人である所以なのさ。


 しかしまぁ、乙女の好意をここまでくらってまだ折れないっていうのは、そろそろ読者のヘイトを貯めかねないし、なにより展開が前に進まない。


 ここは、彼の本来の性格に多少の齟齬が生じてしまうとしても、展開を進めることを優先させようじゃないか。


 だから、高嶺は俯いて目に涙を浮かべるし、公人の胸には更なる罪悪感、そして頭には一つの疑問が浮かぶんだ。


「一応、聞いておくが、僕が断ったとしたら、そのカツサンドはどうなる? 一人で食べ切れる量じゃなさそうだが」

「……そうね、どうしようかしら」

「廃棄するのか」

「いいえ。そんなもったいないことはしないわ。無理してでも食べるわ。牛乳で流し込んで食べるわ」

「合わねぇだろ」

「だって、手塚くんが食べてくれないんだもの」


 高嶺の、俯きがちにぷくっと膨らませた右頬が、ようやく公人の決意を揺るがせた。


 そういうことにしておこう。


「あー、もう」


 公人は首筋まで伸びたぼさぼさ頭をガリガリと掻いてから、ぎゅっと目を瞑り、渋面浮かべ、


「わかった。わかったよ! そこまでしてもらったんだ。好意を無下にするのも申し訳ない。もらうよ、それ」


 誰に対するでもない言い訳を漏らしながらも、ついに公人は高嶺の誘いに乗った。


「ほんと?」


 曇天からのド快晴。高嶺の表情が実にわかりやすく、ぱあっと晴れ渡った。


「ウフフ。それじゃあ場所を移しましょう。せっかく一緒にお昼を食べるんだもの。机と椅子がある場所がいいわ」

「わかったよ。今日だけはとことん付き合ってやる」


 公人は残った焼きそばパンを口に放り込み、しばらくもぐもぐやってから、立ち上がって高嶺と並んだ。


 横でニコニコしながら歩いていく高嶺を見て、公人は、「ああ、らしくないことをしてしまったな」と思った。


 その「らしくない」行動が、第三者の何者かによって操られた結果だなんてことは、まるで思いもしなかった。

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